小説:剣・弓・本020「美と狂気」
【セド】
「なあ、ライ、あとどれだけ歩きゃいいんだ」とボヤくと、
「おかしいですね。事前の調査では睡りの塔にはもう着いていてもいいはずです」とライが片眼鏡をいじりながら語る。
「何か、睡りの塔、遠ざかってねぇか」
「確かにそんな風にも感じられますが」ライは冷静だ。
ナスノが目を見開いて、
「もしかして、これが精神系攻撃……」と力強く、かつ小声でつぶやいた。かと思うといつもの調子になり、
「嗚呼、私たちは精神系幻覚型攻撃を受けて、認識を書き換えられてしまっているのですね。
遠近の感覚も、
時間の意味も、
私たちの存在の意義さえも……
このまま、塔にたどり着けぬまま、彷徨い続けてこの世を去ることになるのですね……
嗚呼、私はこれまで美の足跡をつけてきましたが、その足跡ももう消え失せてしまう……
美と私の間には、天を突くほどの高い壁が、そう絶望と名付けられた壁がそびえ立ってしまったのでしょうか。もう美に歩み寄ることは叶わないのですか? あなたならどうしますか?」
こいつがたまに口にする『あなた』って何なんだ? 俺たちの誰かを呼んでるわけじゃなさそうだし。狂ってんのか。
「嗚呼、私は何と不幸な! 美にこんなにも焦がれているのに見放されて、それでも美を、美を、美を ……!!!」
長い髪を振り乱し、両膝を突き、頭を抱える。
そんなナスノの大袈裟な様子に対してネネは、いつものように不快な色を見せた。彼女は相変わらず喋らないが、顔をあからさまにしかめている。
俺に言わせれば、ナスノって男は鼻っからかなり狂ってるからな。幻覚型だか何だか知らないが、あんまり効果がねぇんじゃねえかとも思う。
そんなナスノの肩を軽く叩き、ライが声を張る。
「ナスノさん、皆さん、確かに精神系攻撃を受けている可能性もゼロではないですが、悲嘆する前にまず試してみたいことがあります」
「試してみたい? どんなことだ?」と尋ねてみる。
「セドさん、僕たちのことをひとまず置いて全速力で、本気で走って塔に駆け寄ってもらえますか?」
(つづく)
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