見出し画像

創作:存在しない本の感想文

 エトケン・ガリダール(1901-1979)と言えば『全体化と極限性』のほうが有名かも知れません。彼の文学的な言葉づかいは本書でも際立っていました。ガリダール哲学は積極的に異化あるいは矛盾律を採用します。それが嫌な人はきっとこの人の著作を読まないのでしょう。「カンガルーの群れがいつも跳ねているわけではないのと同じです」(本文954ページ参照)。

 開き直るわけではないですが、理解できない箇所のほうが多かったのです。そもそも理解などしたくて読書をしているわけではないという側面もあります、少なくとも私としては。このことはガリダール自身の意図とは乖離があるでしょうか。人は何をもって理解するのでしょうか。「その理解は単なる分解ではないか」(34ページ参照)。

 よく分からないことを言っている人の声に耳を傾ける。分かろうとする。分からないなりに考える。思いを巡らす。あるいは「麻痺したアヒル」を放し飼いにする。その上で「当人にとってこの上ない」最大限の優しさで飼育する。

 ある程度生きてきて知ったような顔をすることもあるこの私。自分には歯が立たないこともあるんだ、と自覚する。そういう営みがしたいのだと思います。

「自分の持ち物」が機能しないという様態を楽しむには充分な一冊です。
 言わば、言葉の上に置き去りで、緩い液体になり切らない、初恋未満の低空飛行的心情を綺麗に洗い流す、緩い波のような読書体験です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?