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小説:狐

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『狐』 ジブラルタル峻 作 2024年2月6日、30投稿にて完結。
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2024年2月の記事一覧

小説:狐027「正しい嘘」(997文字)

 いつものカウンター席に腰かける。ドアがギギギと音を立てた。 「ぅいらっしゃっ」  マスターの挨拶の仕方で分かる。あのトーンと言い回しは一見さん向けではない。常連客、それも常連度の高い客が来店したのだろう。そんなことを思い浮かべつつジョッキを傾ける。  案の定スミさんだった。 「えっ! どしたんだナリさん!」  私のビールジョッキを指さして、大きな声を上げる。店内の他の客も私のほうに目を向けている。注目されるのは苦手なんだが。  スミさんが驚嘆の表情を浮かべながら 「

小説:狐028「個性」(1378文字)

「で、何だ、なんかあったのか?」  スミさんの顔色は悪いままだ。肌の色・質感がまるで粘土だ。私が球状の氷を入れずにビールを飲むのがそんなに奇異なのだろうか? そもそもこっちのほうが一般的な飲み方のはずだ。 「なにかあったと言えばあったし、なかったと言えばなかったって感じです」 「おいおい、ナリさん。変な言い方するなあ。あんた、もっとまともだったろ」 「『狐』ってこういう所ですよね」 「あ、ああ、確かにそうだ。まともなやつはあんまりいねぇな。みんなだいたいまあ何つーか、平た

小説:狐029「何かであって何かでないもの」(1394文字)

「20年前の話、していいですか」  語りたいことを語る。それを決意した。 「小4の遠足でした。『せせらぎヶ原美術の森公園』って所に行ったんです。  そこはだだっ広い公園なんですが、その中心に美術館があるんです。みんなは芝生の上でフリスビーをしたり、野球のまねごとみたいなことをして遊んでいたんですが、私は運動が大の苦手なので、美術館に入ってみたんです。  そこで、とんでもないものを目の当たりにしました」  マニさんがすかさず言い放つ。 「せせらぎヶ原美術館と言えば『何かであ

【完結】小説:狐030「狐」(1318文字)

「実は造形のアートスクールに入学しました。一昨日のことです。  何かきっかけがあったわけじゃないんです。ここでみんなの話を訊いていて、少しずつ自分が内的に動いていたんだと思います。自分でも自覚できないような速度で。気づかぬ程の力で。  もしきっかけがあったとすれば、それはもうずいぶん前のことですから」 「その遠足んときの、“なにものでもないもの”みたいな作品に出くわしたことだな」とスミさん。 「『何かであって何かでないもの』。作者は扇 榴弾。日本現代美術の巨匠」とマニさんが