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20200416 バルネラビリティ

6時過ぎに起床。
ここまで眠ったのは珍しい。
本日、在宅勤務日。

8:15。
勤務開始のメールを送信。
机に向かう。

読書⇔子どもと遊ぶ
この繰り返し。
緊張と緩和を交互に。
そう言えば、少しは聞こえはいいだろうか。

午後は、読書に没頭。

◇読書『時間術大全』

久しぶりに再読。
我々の時間を奪っている大きな要因の1つは「無限の泉」と呼ばれるモノ。
ズバリ「スマホ(SNS等)」だ。

今回、この本を再び手に取ったわけだが…
たった1つでいいから、即実行レベルの変容を求めたい。

「Facebook」のアプリ、消去!

見ようと思えば、ブラウザから見られる。
集中できる環境を手に入れるための第一歩。

他人にとっては小さな一歩だが、私にとっては大きな飛躍である。


◇読書『わがままの練習』

「バルネラビリティ」
初めて目にした言葉だ。

バルネラブル(vulnerable)とは、直訳で「傷つきやすさ」という意。
これに「~できる(ability)」が加わり、バルネラビリティ(vulnerability)。
「弱くいられる能力」という意味をもつ。

大変印象的だったところを引用。
この著書で、最も印象に残る箇所となった。


“素手のままでは熱いものは熱い。とがったものが刺されば、痛いと感じる。もし分厚い手袋をはめていれば、リスクは少なくなるけれど、そのままでは、だれかの手をにぎりしめても、ぬくもりは伝わらなくなる。”

“たとえ傷つく可能性があっても素手でいるほうが、生身をさらして生きているほうが、愛や喜び、人とのつながりを豊かに実感できるし、傷つく可能性は、実は偽りなく生きる喜びでもある。”


自分は厚手の手袋をはめていたと、そう断言できる。
読んだ瞬間に感じた。

あえて多くは語らない。
何度もこの文章を噛みしめたい。
それが次へのステップになる。

『わがままの練習』、本日をもって読了。
何度も手を止め、思考を深めることができた1冊であった。


◇読書『プレジデント(雑誌)』

メモ術についての特集号。

「何のためにメモをするのか」
メモに限らずだが…
9割以上のベクトルが自分に向かうと思う。
自分のためのメモ。

情報の“一時保管庫”としての機能。
書きっぱなしでは、効果は半減。
一時保管のままでは意味がない。
(“書く”だけでも、多少の価値はあると思う)

自分が読み返せればいい。
ラフで充分。
メモをいかに活用するか。

仕事(主に事務)用に小さなメモ帳を使っている。
タスクをどんどん書き込み、消化したら横線を引く。
この瞬間のプチ快感が好きだ。
が、基本は職場でしか使わない。

それ以外では、1冊のノートを常備。
ここに何でも書き込む。
読書での気付きや構想を練るときも活用。

ただし、これが存分に活用されているかと言えば怪しい。
非常に、怪しい。
「怪しい」と言っている時点で、もう怪しさを通り越している。
完全なるクロ。

しかし、その時々の「思考」を経験するだけでも価値はある。
立ち返る機会が増えれば、一層思考は深まるだろう。


「清書をする」
松下幸之助の秘書を20年以上務めた江口さん。
メモしたことは必ず「清書する」という習慣があったという。
この作業を通して、記憶の定着が強固となる。

やはり「書く」という行為を通して、考え、頭に入っていくのだろう。
デジタル時代の今だからこそ、アナログの価値が浮き出てくる。

ジャーナリストの田原総一朗さんは、鞄を持たないという。
その代わり「封筒」に荷物を入れて移動。
なんともミニマリスト。

封筒のいいところは、それ自体にメモができること。
この徹底した環境がすごい。


夕方、注文していた本が届いた。
今夜から読み始めよう。

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