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憧れ

【1】
春先に大学のある町に越した時、入学までの期間に図書館に行った事がある。丘の中腹にあったため、自転車で行くにはかなりの勾配だった。大学在学中、町の図書館にはその一度行ったきりだった。

ただ、図書館へ向かう登り坂は更に先へと延びていて、その先へ行ってみたいと思った事は覚えている。壁のように聳えているその道に対して、単純にその先の景色が気になったという事もあった。「新しく来た町に蠢く日常」を垣間見たいという好奇心もあった。また、もしその先にお店があったら意外だな、楽しそうだなと思わせる、裏寂しい雰囲気も魅力的だった。
結局、図書館までの道のりで消耗した体力を考え、来た道を自転車で下る誘惑に抗えなかった。

【2】
大学卒業から4年後の春、もう1度大学近くの町に引っ越した。学生街の賑わいの中暮らした日々への憧憬が募っていたためだ。

丁度その頃、大学時代の女友達から「今度舞台に立つから観に来て」と誘いがあった。行ってみると、その女友達がAとBという2人の女性も誘っていた。聞くと彼女らも同じ大学、同じ学部、同じ学年だったらしい。僕と女友達はゼミが同じだった。女友達とA、Bは講義を通じて知り合っていた。僕とA、Bはゼミも専攻コースも違っていたため、お互いの顔を認識していなかった。

帰り道、Aと僕は同じ電車に乗り、同じ駅に降りた。自分の住むアパートとかなり近くに住んでいることが分かった。彼女も大学入学を期に引っ越し、そのままそのアパートで暮らし続けているとの事だった。

しかし、僕とAの住む街は学生街からは1本も2本も通りを入った、コンビニ1つしかないような無機質で曇り空の似合う住宅街だった。結局僕は家賃と間取りの都合でアパートを妥協していた。大学入学から8年間、彼女はこの町で暮らしていたんだ、と思ったことを覚えている。

【3】
僕とAは共通する趣味が多かった。本が好きで、散歩が好きで、コーヒーが好きだった。家が近かったため、会社終わりに散歩したり、本を貸し借りしたり、どちらかの家でコーヒーを飲んだりしていた。居心地が良かったので、そのまま付き合った。

自分が大学在学中付き合っていた彼女は地元に住んでいたし、社会人になってからの彼女も家が遠い人ばかりだった。だからこそ暮らしを共有し合うような付き合い方は楽しかった。お互いの学生時代の思い出の喫茶店に行った。彼女は大学時代、男性と付き合っていなかったらしく「もし恋人がいたら連れて来たい」と思っていたお店がたくさんあったようだった。

【4】
夏の暮れに、大きな花火大会を2人で観に行く事にした。しかし、かなり大きな大会だったため、相当混雑すると聞いた。そこで、2人で事前に食べるものを買い込み花火を観ようと決めた。この町に長く住む彼女によると、近くに見晴らしの良い高台の公園があるらしい。

急な坂を登り切ると、丘の上に広い自然公園があった。すぐ近くに、大学生の頃一度来た図書館があるのを目にした。自然公園がある丘は、あの日の図書館の丘だと気付いた。

気になっていた坂道の先には、何もない、今は自分達の住む住宅街があるだけだった。

その時に「この付き合いは相手を好きで続けているのではなく、してみたかった恋愛体験をなぞっているだけなのでは」と強く思った。

数年振りに観た花火は、自分の理想の中で膨れ上がっていたそれよりも綺麗と思えなくなっていた。

【5】
2人でアパートに帰ってから「花火ばかり観てないで私を観て欲しかった」「花火がお互いの顔を照らす中見つめ合って観たかった」と言われた。憧れの恋愛像を追い求めるのは正しいのか嫌疑的になっていた自分は、ぼんやりと「ごめん」と言うしかなかった。いつかこの考えを、相手にも伝えた方が良いのだろうかと迷うまま1ヶ月程して、彼女の方から別れを告げられた。

それからまた1ヶ月が経ち、彼女が返し忘れた本が自分のポストに返ってきていた。別れる少し前から、引っ越しを考えてると言っていた事を思い出した。

憧れた坂道の先にあった町で、彼女が8年暮らした町で、今も暮らしている。

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