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最新長編を二号連続全編掲載!【小説】澤村伊智|斬首の森(前編)

ジャーロ9月号(No.84)より、澤村伊智さんの最新長編をご紹介します。
後編は、次回ジャーロ11月号(No.85)に掲載予定です。
―――――――
〝レクチャー〟され、死体を運んだわたしたち。
逃げた森の中で、また新たな殺戮さつりくがはじまる――

イラストレーション 山田 緑


 わたしは生きている。
 解き放たれている。
 誰かに縛られることも、何かに縛られることもなく。

 ずっと押さえ付けられていた。
 自由を奪われていた。支配されていた。
 そのことに全く気付かないくらい、徹底的に。
 それが普通だと思っていた。
 いや、そもそも思うこと自体がなかった。
 わたしは自分で思うことも、自分で考えることもしなかった。
 使わなければ、ないのと同じ。
 死んではいないけれど、生きてもいない。
 わたしには意志というものがなかった。思考というものもなかった。
 でも、今は違う。

 わたしは思う。
 わたしは思うことを思う。
 わたしは考える。
 わたしは考えることを考える。
 わたしの意志で。たしかにわたしの意志で。
 自分の意志で、触れたいものに触れる。
 自分の意志で、歩きたい方へ歩く。
 そう、他の誰でもない自分のために。
 皆とささやき合う。笑い合う。
 わたしであるものと、わたしでないもの。
 わたし自身と、わたしを操っていた存在。
 わたしにとっての核。
 わたしにとっての末端。
 その間に引かれた線を、はっきり認識する。
 その違いを、価値を、しっかりと受け止める。選び取る。切り捨てる。
 そして実感する。
 心の底から。
 魂の全部で。
 細胞のひとつひとつで。

 わたしは生きている。

 わたしは自由だ。


第一章

   一


 マサキさんの死体は、早くも変なにおいを放っていた。

 腐っているのとは違う。

 分かりやすく臭いわけでもない。

 でも嗅ぐだけで気持ちが沈む。
 やっぱり「変な」としか言い様がない。病院のベッドの上で死んだ父さんのにおいとも違う。あの時は消毒液や薬や、病院にある諸々のにおいも混じっていたんだな、と気付く。

 だからこれはきっと死臭だ。

 死体のにおいだ。

 人の形をしているだけで、もう人ではない、肉の塊のにおい。

 ちょっと前まで泣きながら大声でしゃべっていたのに。

 マサキさんだったモノを運びながら、わたしは思った。四人がかりで、それぞれ手足をつかんで持ち上げて、廊下を歩く。

 息が合わない。足並みもそろわない。

 廊下がやけに狭いせいで、すぐ壁にぶつかる。角を曲がるのも大変だ。おまけにゴム手袋も気持ち悪い。「持ちやすいから」と部長が貸してくれたものだけど、全然だ。

 わたしは右足を持っていた。

 わたしに見えない膜がかかっていた。

 左足担当のシンスケさんがブツブツ言っている。相変わらずニヤケているけれど、初めて顔を合わせた一昨日おとといとは違い、頬はごっそりこけている。くまもすごい。

 シンスケさんの言っていることが、少しずつ分かるようになっていた。

「……なるほど、なるほど、なるほどねえ。なるほど、なるほど……」

 何が「なるほど」なのだろう。

 他の二人も不思議そうに、ちらちらとシンスケさんを見ていた。

 前を行く部長が立ち止まった。わたしたち四人も慌てて立ち止まる。

 振り向いた部長の馬面には、いつもの優しい笑みが浮かんでいた。

何方どなたですか? さっきからぶつくさ念仏だか何だかを唱えてらっしゃるのは」

 手にしたマグライトで、トントンと自分の肩をたたく。

 死体が重い。下ろしたい。でもきっとそれは悪いことだ。下ろしたら失敗で人間として終わっていて、クズでゴミで二度とがれない。だからわたしたち四人は死体の手足を持ったまま、姿勢を正した。

「どうして誰も答えないんです?」

 どうしてだろう。答えないとクズでゴミなのに。シンスケさんです、その一言が出せない。他の二人も言わない。シンスケさんは元々この合宿自体を引いて見ている感があったから、この期に及んで反抗的な態度をとり続けるのも分からなくはないけれど。

 また膜を感じた。

 板張りの床の冷たさを、足の裏に感じた。

 部長はわたしたちを順ににらんだけれど、やがて「急ぎますよ」と再び歩き出した。わたしたちはすぐその後に続いた。

 外は真っ暗だった。

 草木のにおいがとても濃く、死体のにおいが分からなくなった。

 部長の足取りは確かだった。わたしたちはマグライトが照らす方を目指すだけでよかった。それでもみんな何度もつまづいて、転んで、マサキさんだったモノを落とした。その度に部長に、みんなに謝った。すみません、ごめんなさい、申し訳ありません、二度とこのようなことはしません――

 部長は「はい」としか答えなかった。あとはマグライトを振って〝歩け〟と指示するだけだった。

 少しひらけたところに出ると、部長は地面にマグライトを向けた。

「まず服を脱がせて。そこからは、分かりますよね」

「はいっ」

 右手を持っていた男の人――名前は忘れた――が答えた。それを合図に全員が、マサキさんから手を放した。一気に楽になった。解放された。さあ、次にするべきことをしなければ。

 肩で息をしていた左手の女性――こっちも名前は忘れた――が、真っ先にひざまずいてマサキさんの服に手をかける。慣れている、と思った。でも覚束おぼつかないところもある、とも思った。思いながらわたしとシンスケさんはジャージのズボンに手をかけ、息を合わせて脱がせた。

 裸になったマサキさんはますますモノのように見えた。

 色黒なのに、ライトに照らされた肌を「白い」と感じた。

 部長がそれまで提げていた大きなバッグを、どさりと地面に投げ出した。ジッパーを開ける。中に入っていたのは長柄のびたスコップが四本。わたしたちは無言でスコップを拾い上げる。



この続きは有料版「ジャーロ 9月号(No.84)」でお楽しみください


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