『雨露』梶よう子&『サン=フォリアン教会の首吊り男 新訳版』ジョルジュ・シムノン 著/伊禮規与美 訳|Book Guide〈評・縄田一男〉
文=縄田一男
『雨露』梶よう子
若者たちの士魂と葛藤、そして悲運
本書の題名には〝うろ〟と振り仮名が振ってある。では雨露と雨露はどう違うのか。
ここで少々堅い話になるが、鎌倉時代の辞書『名語記』に「あめつゆの草木をうるほす徳のごとくなる故に、雨露の恩となづけたる也」とある。すなわち、雨露の恩とは広大な天地の恵みの事を指す。
それでは本書における天地の恵みとは何か。
本書が何を書いたものであるかと言えば、上野の彰義隊の戦いを描いたものである。こう書けば賢明な読者は、雨降りしきる中、上野寛永寺に立て籠もった彰義隊の若者が最新式の兵器を駆使する新政府軍にわずか半日で敗北する様が目に浮かぶだろう。
物語は明治十四年十二月、似顔絵描きをして細々と暮らしを立ててきた若者が上野山王台にある宝塔「戦死之墓」の前で一つの決心をするところから始まる。
その決心とは「ようやく、ここに眠ることが出来るのだ」というもの。
眠るとはどういうことであろうか。
作品は、かつて「ただ、江戸を守りたい。非力であろうと、臆病であろうと」と彰義隊に加わったこの若者の回想で始まる。
彰義隊は侍だけでなく町人も加わったが、前述の如く、わずか半日で敗北。物語は無謀な戦いに身を投じた若者たちの士魂・葛藤・悲運を描いていく。
ここで冒頭で触れた〝うろ〟について話を戻せば、これが広大な天地の恵みであることはすでに述べた。
私たちは、あの日大地に吸われた若者たちの血の上に生きているといえよう。とすれば、冒頭の若者の決心は回避されるのではあるまいか。歴史を実感させる見事な幕引きと言える。
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『サン=フォリアン教会の首吊り男 新訳版』ジョルジュ・シムノン 著/伊禮規与美 訳
〝メグレ警視の活躍、永遠なれ!
かつて数冊は必ず生きていたハヤカワ・ミステリ文庫の〈メグレ警視シリーズ〉もいつの間にか絶版になり、悲しんでいたら新訳が次々と刊行されるに至った。
今回はその中から『サン=フォリアン教会の首吊り男』を取り上げる。しかしこの一九三一年に出版された作品の瑞々しさはどうであろうか。まるで今日書かれた作品のようではないか。
そして、犯人なり被害者の人生を理解した時にメグレの謎解きは終わる、という公式もこの時から生きている。もう絶版にしないでくれ。
《小説宝石 2024年1月号 掲載》
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