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人間は愚かであり、その人間が生み出した社会も間違っている|杉江松恋・日本の犯罪小説 Persona Non Grata【第12回】

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文=杉江松恋

 西村京太郎にしむらきょうたろうは、本質的に犯人小説の作家であったと思うのである。

 その名を高らしめたのは一九七八年の寝台特急ブルートレイン殺人事件』(現・光文社文庫)に始まるトラベル・ミステリーの作品群であり、主人公の十津川省三とつがわしょうぞう警部は名探偵の代名詞と言っていいほどの人気キャラクターに成長した。十津川は初めから鉄道専門の探偵だったわけではない。初登場作は『赤い帆船クルーザー(現・光文社文庫)で、日本人で初めてヨットによる単独無寄港世界一周を成しとげて英雄となった内田洋一うちだよういちが不審死した事件を彼は担当する。十津川にヨットの経験があったため指名を受けたのだ。強壮剤のカプセルに仕込まれた青酸カリが内田の死因である。十津川が容疑者をしらみつぶしに当たっていくと最後に一人だけが残った。その人物は事件当
時、日本からタヒチに向かうヨットレースに参加していた。遭難して米軍に救助されていたという証拠まであり、犯行は不可能に見えたのである。この鉄壁のアリバイを十津川は崩さなければならなくなる。

『赤い帆船』は不可能犯罪ものの逸品として、西村作品でも五指に入る出来である。犯行計画は、現在の視点からすると経済効率が悪い部分もあるのだが、大胆かつ緻密で、自分に捜査の手が伸びた場合の誤導まで準備されているところが心憎い。盤上の敵として十津川が相手取るにふさわしい犯人なのである。自身について語る箇所が少ないために人物に関する印象はやや薄いが、西村が描く名犯人の典型といっていいキャラクターである。

 この作品で十津川の階級は警部補、二年後の『消えたタンカー』(現・光文社文庫)で警部に昇進している。初期の十津川が主として扱っていたのは海洋を舞台とした犯罪だが、彼が島に監禁されて私設法廷で謎解きをいられるというった筋立ての『七人の証人』(一九七七年。現・講談社文庫)のような作品もある。紆余曲折を経て『寝台特急殺人事件』に辿たどり着き、その路線でシリーズは成熟していくことになるのである。

 もし西村がトラベル・ミステリーという可能性を見出していなかったら、と思わなくもない。その場合の十津川省三は、『赤い帆船』のような天才的犯罪者と丁々発止の闘いを繰り広げる探偵として名を馳せていたのではないだろうか。

 天才的犯罪者対探偵という図式で真っ先に思い浮かぶのは江戸川乱歩えどがわらんぽの児童向け作品、怪人二十面相対明智小五郎あけちこごろうのシリーズである。図式に当てはまる作品が意外と少ないのは、ミステリーが連続ものではなく一話完結型に適した物語構造だからだろう。司法の手を逃れ続ける犯人は、通俗型のスリラーに向いたキャラクターであった。謎解きの論理性が備わり、犯人と対峙すべき名探偵を配した作品で珍しく成功を収めたのが、ジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライム・シリーズであった。事故の後遺症で四肢麻痺まひとなった元科学捜査官のリンカーン・ライムは、有能なアメリア・サックスを現場に派遣して自分の目や手となってもらうことで捜査を行う。彼らが対決するのは現場に自らの署名を残したがるような、異常犯罪者ばかりなのである。第一作『ボーン・コレクター』(一九九七年。文春文庫)で開幕し、現在まで継続するほどの人気シリーズとなった。英語圏で名探偵の登場するミステリーが復権したのも、同作の功績とするところが大きいと私は考える。

 十津川ものの初期作品を発表した一九七〇年代後半から一九八〇年代にかけての西村京太郎は、一九九〇年代のジェフリー・ディーヴァーに比肩すべき分野の開拓者であった。『赤い帆船』に至るまでの足跡をたどることには意味があるはずだ。

 西村が一九六五年に第十一回江戸川乱歩賞を受賞した『天使の傷痕』(現・講談社文庫)は、当時の新聞紙面を賑わせていた、ある社会問題の存在が事件の遠因であることが展開の中で明らかになっていく物語である。選考委員の中島河太郎なかじまかわたろうは同作を「社会問題を扱っているが、昨年の長篇『四つの終止符』と同様に、一種の批判を試みたもので、単なる社会派的傾向のものではない」と評した。これは「社会派推理という様式だけを借りたのではなく、根底に社会に対する批判がある」と読み替えられる。言及されている『四つの終止符』(現・講談社文庫)は一九六四年に文藝春秋から書き下ろしで刊行された西村のデビュー長篇である。聴覚障害を持つ青年が介護に当たっていた母親を毒殺した容疑で逮捕され、留置場で自殺する。青年の恋人も命を絶ってしまうのだが、彼女の友人が事件に疑問を抱き、新聞記者と共に真相を追求していくのである。

 両作に共通しているのは、社会の中で弱い立場に追い込まれている人々の内実が描かれていることだ。犯罪がなぜ起きたのかという原因に遡っていくことで、その状況が明らかになる。大きな括りで言えば動機に着目した作品と言うものである。犯罪に関与した人々の心理を細やかに描き出すことに、新鋭作家であった西村は腐心した。

 西村には乱歩賞受賞後、作風が定まらずに雌伏を余儀なくされた時期があったのだが、一九七一年に発表した『ある朝 海に』(現・光文社文庫)によって模索から脱した。ここで西村が俎上に載せたのは南アフリカ共和国の有色人種差別政策である。カメラマンの田沢たざわは同国の都市ヨハネスブルグを訪れ、アパルトヘイトの実態を目の当たりにして心を痛める。その彼と接触したのは、ある犯罪計画を企む集団である。彼らは豪華客船をシージャックし、人質をとって国連に人種差別撤廃を要求しようと考えているのだ。その考えに共鳴して田沢は協力を申し出る。『四つの終止符』『天使の傷痕』は一九六〇年代に隆盛した、いわゆる社会派推理小説の定型に則っているが、『ある朝 海に』はそうではなく国際スリラーである。しかし根本の部分は変わらない。人を犯行に衝き動かすものが中心にあり、ミステリーという叙述の形式を使ってそれを語ることで、広く人々の心に訴えかける物語となる。一九七一年の西村京太郎はそうした作家になった。

『ある朝 海に』は依頼があって書いたものではなく、西村が出版社に持ち込みを行った作品であった。同作刊行から五ヶ月後、やはり書き下ろしの形式で西村は『脱出』(現・講談社文庫)を上梓している。ここでも中心にあるのは人種差別の問題だ。しかも舞台は日本国内である。アフリカ系米兵と日本人女性の間に生まれた岡田おかだサチオは、自分の出自が差別の対象とならないブラジルへ移住しようと考える。金が貯まり、明朝船に乗ることができるという夜、彼ははずみで人を殺してしまうのだ。窮地に陥ったサチオを匿ってくれる人が現れ、日本脱出へ向けての秒読みが始まる。『ある朝 海に』で描かれた南アフリカにおいて、日本人は「名誉白人」扱いとして差別対象から外されていた。『脱出』では、日本人が差別を行う当事者として描かれたわけである。そうした状況によって追い詰められた者の犯罪が描かれる作品で、両作は表裏一体の関係を持っている。

 挙げていけばきりがなく、一九七〇年代から八〇年代にかけての西村は社会問題、ことに差別の対象とされる弱者や、周縁にいる人々への目配りを絶やさなかった。『殺人者はオーロラを見た』(一九七三年。現・徳間文庫他)は民族問題を扱った代表作である。これに対置すべきは、幻想味が非常に強い異色作『幻奇島』(一九七五年。現・徳間文庫)だろう。作品の舞台となるのは南海の孤島・御神島おがんじまである。酒酔い運転で女性を撥ねてしまった〈私〉こと内科医の西崎にしざきは、左遷されてこの島の診療所に転勤してくる。そこで不可解な連続殺人に遭遇するのである。

 御神島のモデルは、秘祭アカマタ・クロマタ神事のある八重山やえやま列島ではないかと思われる。島内で起きることは、西崎にとっては野蛮極まりない因習そのものだ。しかし島民にとっては生きるために必要不可欠な論理に貫かれたことなのである。島外の人間である西崎が持っているのは自分ではそれと気づかず差別する側に回った者の視点で、彼にとって理解できない異物という形で島民の考えが描かれる。その衝突する地点で事件が起きるのだ。これもまた、状況によって生み出された犯罪を描く小説と言うべきであろう。

 犯罪及び犯人には、それにふさわしい培養地があるはずだ。そのことを追い求めていた西村の姿勢が別の形で示されたのが、『名探偵なんか怖くない』(一九七一年。現・講談社文庫)に始まるパロディ・ミステリー連作である。『名探偵なんか怖くない』はエラリー・クイーン、ジュール・メグレ、エルキュール・ポワロ、明智小五郎という四人の名探偵が、一九六八年に起きた三億円事件の真相を突き止めるために企画された推理ゲームに招かれるという内容である。富豪の企画とは、実際のものとまったく同じやり方で第二の三億円事件を起こし、犯人として想定される人物を名探偵たちに監視させようというものだ。人間が犯罪を成し遂げる過程をその初めから見届けようとするのだから、これも犯人小説と言うべき作品である。同作中で、ある登場人物が名探偵たちを批判する場面がある。名探偵がつかまえる犯人は彼らと波長が合う「文学的な人間」ばかりであり、皮肉な見方をするなら名探偵の「分身」に過ぎないのだ、というのがその趣旨だ。批判は事件と内容と呼応しており、明らかにされる犯人像はいかなるものか、という興味を掻き立てる。

 同作はシリーズ化され、三作の続篇が書かれた。第三作にあたる『名探偵も楽じゃない』(一九七三年。現・講談社文庫)はミステリー・マニアの集まりに名探偵たちが招待されることから始まる。この序盤でもやはりマニアによるミステリーの犯人批判がある。こちらの矛先は「今の若い日本のミステリー作家」に向けられる。彼らの作品で印象に残るのは「ストーリーやトリックだけ」であるために謎解きで得られるべきカタルシスがない。犯人だけでも魅力のある人間ならまだいいのだが、「平凡な犯人が、いざ、人を殺す段になると、とてつもないトリックを使う」ことに違和感があって仕方がない、というのだ。

 登場人物の台詞ではあるが、これも作家の本音が漏れだしたものと見るべきだろう。社会構造が必然として生み出す犯罪に目を向けることと、巧緻な計画を実行しうる人格を犯人に与えること、着想と人物描写はミステリーの両輪であり、どちらが欠けても作品としては不十分なのだという考えが、一九七三年の時点でこの作者にはあった。

 西村京太郎こと本名・矢島喜八郎やじまきはちろうは一九三〇年九月六日に生まれた。生地は荒川区日暮里にっぽりだが、育ったのは現在の東京都品川区小山こやまである。東京府立電機工業学校を経て一九四五年四月、八王子の東京陸軍幼年学校に第四十九期生として入学した。戦時下であり、同じ死ならば将校として死にたいというのが動機である。入学後、わずか四ヶ月で敗戦、このときに将校たちが物資を私物化するのを目撃している。「隠匿し、臥薪嘗胆がしんしょうたんを期す」という口実の欺瞞ぎまんは明らかだった。選良と言われる人々の裏を見た初めであっただろう。

 終戦後は工業学校に戻って卒業、新聞に出ていた国家公務員募集広告を見て応募し、臨時人事委員会に就職した。現在の人事院である。そこから官庁の職階作りなどを手始めに複数の異動を体験、一九六〇年に退職するまで十二年間の公務員生活を送った。

 人事院でも職場の同人活動に参加するなど文学への関心はあったが、当時は実存文学の全盛期で自分で書くには至らなかった。作家を志したのは、一九五四年にウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)『暁の死線』(一九四四年。創元推理文庫)を読んだことがきっかけである。同作はボーイ・ミーツ・ガールの恋愛小説要素があるスリラーだ。あることから殺人の嫌疑を着せられた青年と、彼に惹かれる女性とが無実を証明して街を出る長距離バスに乗ろうとする。始発バスの発車時刻がタイムリミットとなる仕掛けで、迫真のスリルがある。西村はもともと江戸川乱歩や甲賀三郎こうがさぶろう作品などでミステリーには関心を持っていたというが、アイリッシュの洗練された都会型スリラーでその魅力に開眼したのである。前出の『脱出』が『暁の死線』をなぞったプロットになっている点は記憶しておいたほうがいい。西村が自選ベストの第一位とするのは、乱歩賞受賞後第一作として発表した『D機関情報』(一九六六年。現・講談社文庫)だが、第二位として『ある朝 海に』と『脱出』の二作を挙げている。

 一九五六年、講談社の長篇探偵小説募集に本名で「三〇一号室」を応募、翌五七年には第三回江戸川乱歩賞に「二つの鍵」を初めて西村京太郎名義で応募した。西村は人事院で先輩だった職員の名前、京太郎は東京出身で長男だから、というのが筆名の由来である。一九六〇年に人事院を退職した。理由の一つは人事院が普通の官庁になって学歴重視の傾向が見えてきたことで、上司から職場での見合い結婚を勧められたのも直接の原因だという。一年の間家族には退職したことを隠し、午前中は上野うえのの図書館、午後は浅草あさくさで映画を観るという生活を送りながら各種懸賞に応募し続けた。しかし芽が出ず、働いて金を貯めては小説を書くという生活になる。住み込みのパン屋店員、生命保険外交員、中央競馬会の警備員、私立探偵などさまざまな職を転々とした。

 一九六一年、『宝石』短篇懸賞に応募した「黒の記憶」(角川文庫刊『歪んだ朝』所収)が二月増刊号に掲載されたが、入選作ではないため無報酬だった。翌六二年、第五回双葉新人賞に応募した「病める心」(角川文庫刊『危険な殺人者』他所収)が一席なしの第二席に入選、初めて原稿料を手にする。ここから筆運が上がり、六四年に『四つの終止符』上梓、六五年の『天使の傷痕』による乱歩賞獲得、と運は上向いていくのだが、作家としてはまだまだ認められた存在ではなかった。前出の『D機関情報』は初版三千部が売れ残ったという。西村初のスパイ小説だが、不人気に懲りたか以降同路線の作品はない。

 前後するが、一九六五年の乱歩賞受賞後に西村は新鷹会しんようかいが指導する代々木会よよぎかいに入会し、一から小説修業をし直している。新鷹会は長谷川伸はせがわしんが始めた勉強会で、池波正太郎いけなみしょうたろう平岩弓枝ひらいわゆみえなど、主に時代小説分野で才能を輩出した。長谷川自身は一九六三年に亡くなっているので没後弟子ということになるが、その小説作法を西村が学ぼうとしたことは興味深い事実である。このころの西村は模索期に入っており、総理府の「二十一世紀の日本」創作募集に応募したSF小説『太陽と砂』(一九六七年。現・講談社文庫)など、ミステリーからも離れて自身の道を探し続けていた。

 なんとか方針が定まったのは一九七一年三月に書き下ろし長篇『ある朝 海に』を発表してからで、同年には初期代表作の『殺しの双曲線』(現・講談社文庫他)や『名探偵なんか怖くない』を含む七長篇を発表した。先に見た作家としての熟成はここから始まり、一九七八年のトラベル・ミステリー路線発見に行き着くのである。

 十津川警部シリーズが安定して書かれるようになる前、西村は私立探偵左文字進さもんじすすむを主人公とする作品を集中して書いていた時期があった。日本人の母とドイツ系アメリカ人の父の間に生まれ、彼の地で私立探偵のライセンスを取得したという快男児である。第一作『消えた巨人軍』(現・中公文庫他)は、東京発新大阪行きの最終新幹線に乗車していた読売ジャイアンツの長嶋ながしま監督はじめ総勢三十七名が車内から消え失せ、球団本社に脅迫電話が届くという驚愕の発端だ。一人でも始末に負えない人質を三十七名、しかも血気盛んな運動選手をどうやって誘拐したのか、その人数をどこに秘匿しているのか、という不可能趣味の作品である。トリックの独創性もさることながら、壮大な計画を練り上げた犯人のキャラクターに見るべき点がある。犯行成就のためには、仲間を平気で切り捨てるような人物なのだ。逮捕された後も犯人は、人生には勝つか負けるかしかない、感傷なんか必要ないと言い切って、自分の運命を左右する取調べもそこそこに、妨害しようとした巨人阪神戦の結果をトランジスタラジオで聴きたがる。この偏執的な人物像があってこその作品なのだ。

 シリーズ第二作『華麗なる誘拐』(現・河出文庫)は一九七六年末発行の『問題小説』一九七七年一月号に一挙掲載された。単行本刊行は翌年三月だが、内容とは別の要素でマスメディアを騒がすことになる。同年一月を皮切りに東京・大阪で発生した青酸コーラ事件との類似性だ。時期的に、事件の犯人が『問題小説』掲載の同作を読んで着想を得たのではないかという可能性が指摘されたのである。

『華麗なる誘拐』は、喫茶店でコーヒーを飲んだカップルが突如死亡する場面から始まる。砂糖の容器に青酸カリが混入されていたのだ。相前後して首相官邸に電話が入る。正体不明の人物は〈ブルーライオンズ〉を名乗り、日本国民全員を誘拐したと宣言する。その生命を守るために、防衛費全額に相当する五千億円を払えというのである。当然一笑に付されるが、喫茶店での殺人事件が犯人によるものであることがわかって事態は一変する。国民全員が誘拐の対象である以上、次の犠牲者がどこで出るのかはまったく予測できないのだ。このことが漏洩すればパニックを引き起こすかもしれず、秘密裡に捜査が開始される。そんな警察当局を嘲笑うように、ブルーライオンズの犯行は続くのである。

 この時期、西村は誘拐ものを中心とした犯罪小説を好んで執筆していた。競馬の八百長を仕掛ける犯人と十津川が対決する『日本ダービー殺人事件』(一九七四年。現・集英社文庫)、クルーザーからの人間消失の謎を描く『消えた乗組員』(一九七六年。現・光文社文庫他)、巨大タンカーが人質にとられる『炎の墓標』(一九七八年。現・講談社文庫)などなど。その中でも『華麗なる誘拐』は、一億二千万人の日本国民全員が人質になるという着想の冴えと、五千億円という巨額の身代金をどのように受け渡しするのかという不可能性への興味で群を抜く傑作である。

 さらに注目すべきは、本作が劇場型犯罪を描いていることだ。ブルーライオンズの犯行計画は、ある時点まで進むとマスメディアを巻き込んでの情報戦に展開していく。秘するのではなく、むしろ大胆に公開することで犯罪を成功に導こうとする逆転の発想が当時としては斬新であった。犯罪者がマスメディアを利用して捜査当局を翻弄していくという劇場型犯罪の作品は、一九九五年に連載が始まり、二〇〇一年に単行本化された宮部みやべみゆき『模倣犯』(現・新潮文庫)以降、犯罪小説の型として定着した感がある。一九九七年に公開された大河原孝夫おおかわらたかお監督の映画「誘拐」などの影響も大きいだろう。早期の作例としては一九七八年の天藤真てんどうしん『大誘拐』(現・創元推理文庫)も見落とせない。

『華麗なる誘拐』が特筆すべき作品であるのは、マスメディアと一体化して犯行を進めていく中で、いつしか自我を肥大させていくという犯人像を描いていることだ。犯人は自分以外の何者かになっていくのである。左文字進は早い段階で犯人と接触し、計画が成功すればするほど破滅も近づく、と予言する。天才的犯罪者であるがゆえに、自尊心も強い。マスメディアの中で踊っているつもりが、いずれは踊らされることになり、墓穴を掘ってしまうのである。こうした犯人像を一九七六年の段階で描いていたということがまず驚きだ。先に青酸コーラ事件との類似性が騒がれたことを書いたが、一九八〇年代以降、顔のない犯人による無差別の殺傷事件は増加していく。転換点となったのは一九八四年のグリコ・森永事件だ。犯人とされたキツネ目の男は徹底的に身を隠してブルーライオンズのように自滅はしなかった。しかしマスメディアで踊り過ぎたがために破滅した犯罪者は無数に存在する。

 左文字進シリーズは第三作の『ゼロ計画を阻止せよ』(一九七七年。現・講談社文庫)で『ある朝 海に』以来の犯罪の背景に存在する社会問題を描く路線に転じ、犯罪者と探偵の対決を描くものではなくなっている。結果、『消えた巨人軍』『華麗なる誘拐』が突出した作品として読者の記憶に残ることになった。特に後者は、日本の犯罪小説史における里程標的作品である。

 犯罪はなぜ起きるのか。犯罪者の心はどのようなものか。西村京太郎はその問いを突き詰めていく作家だった。推理小説という様式ではなく、それを構成する要素に立ち戻り、着想と人間描写を突き詰めていくという作法は、一九七〇年代の作品群で花開いた。ここに影響を受けた書き手たちが一九九〇年代の隆盛を担っていくことになるのだ。

《ジャーロ No.91 2023 NOVEMBER 掲載》


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