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【小説】長浦 京|1947 第8回

ジャーロ7月号(No.83)より、長浦京さんの連載をご紹介します。
(連載第1回は『ジャーロ2021年1月号(No.74)』に掲載しています)
―――――――
ホ・喜太フイテのオフィスに呼び出されたイアンは、
失踪していた元通訳・パン美帆メイファンと再会する。

イラストレーション 浅野 隆広




「中尉、聞こえなかったか」

 胡喜太は窓から射す朝の陽を背に浴びながら、黒檀こくたんの机に座っている。

「それとも、その日本の娘さんが通訳するには難しい言葉だったかな。俺は寝取られるのはどんな気分かといたんだ」

 奴は机の横に立つ潘美帆に目を向けた。

「何なら俺の秘書に――」

「いえ、私の仕事です」

 まゆがいった。

 got cuckold寝取られたという言葉を交え、胡喜太の言葉を英訳してゆく。だが、その声は、目の前にいる「前任者」のメイに気後れしているのか、やはり小さい。

「英語をしゃべれるあんたに通訳は必要ないだろう」

 イアンは口を開いた。

 胡喜太が勿体もったいつけてから英語で返答する。

「メイは通訳ではなく俺の秘書として採用した。有能な人材はいくらいても無駄にならないし、俺は中尉のように生まれた国や肌の色で人を差別しないからな」

「あんたの考えに対して、俺に口出しする権利がないように、俺がどんな信条を持っていようと、あんたには無関係だろう。その下らない質問に答えることが、今日の商談をはじめる条件なのか」

「いや、好奇心で訊いただけだ」

「ならば返答はしない。無駄話は終わりにして本題に入ろう」

「逃げたか」

 胡喜太が小さく首を横に振る。

「日曜なのに、わざわざ会社を開け、時間をいてやったのに。素っ気ないな」

 奴の挑発的な言葉や態度は、敵意からなのか、それともこちらの反応を観察するためなのか、イアンにはまだわからない。

「まあいい。とりあえず座ってくれ」

 勧められるまま、まゆ子とともにソファーに座った。

 メイも木製の椅子を自ら運び、胡喜太の横に座った。

「何か飲むか?」

 奴が訊いた。

「結構だ」

 イアンは返した。

 胡喜太が卓上のタバコを一本手に取ると、メイが即座にライターに手を伸ばし、火をつけた。

 この男とはじめて会ったときのことが、嫌でも脳裏に浮かぶ。

 開店前のレストラン(上野うえの精養軒せいようけん)で、胡喜太はイアンが同伴していたメイに火をつけさせようとしたが、イアンは「彼女は俺の秘書であり、芸者ではない」と断った。

 なのに今、メイは奴から「俺の秘書」と呼ばれている。

 イアンも上着の内ポケットからタバコを出すと、自分でマッチをり、火をつけた。

「まず確認したい」

 マッチの燃えカスをガラスの灰皿に落とすと、胡喜太の顔に視線を移した。

「あんたが新宿区高田馬場たかだのばばに持っている倉庫に、権藤ごんどう忠興ただおきかくまっていたな」

「根拠は?」

「一昨日、十月十七日。五味淵ごみぶち幹雄みきおが殺される直前、奴が療養していた南元町みなみもとまち東山邸ひがしやまていから権藤のところに電話をかけさせた」

「その番号を調べたら、俺の倉庫の電話のものだったってことか」

「ああ。あんたはGHQ内の対立に巻き込まれるのを避けるため、権藤に関する件からは完全に手を引いたといっていた。なぜ俺にうそをついた」

「当たり前のことだが、あんたに真実を話さねばならない義理などない。その上でいうが、俺はうそはついていない。俺は利益につながると確証を得られたときだけ、うそをつき他人をあざむく。それ以外は、ただ黙って笑っているか、何をいわれても相手にしない」

 胡喜太はゆっくりと煙を吐いた。

「ではなぜ権藤はあんたの倉庫にいた」

「三ヵ月ほど前、配下の組を通してギャビー・ランドルというアメリカ人中尉から倉庫を貸してほしいと依頼があった。接収ではなく賃貸だ。食料品を運び込むといっていたよ。米軍物資の横流し品を、ヤミに流す前に一時的にプールしておくのに使うのだろうと思っていた」

「窃盗が発覚するリスクを負ってまで、なぜ貯蔵する必要がある? すぐに日本の市場に流してしまったほうが安全だろう」

「軍人さん、あんたも需要と供給って言葉くらい知ってるだろ。食いもんであれ、薬であれ、いくら高値で売れるからって、じゃんじゃんヤミに流していたら、いずれ値崩れする。品薄で高値なときに、量を絞って供給するから儲かるんだ。俺も倉庫に何が運び込まれたか、配下に確認させた。人身売買用の娘たちや、覚醒剤なんかが隠してあったら、俺にも火の粉が飛んでくるからな。だが、倉庫には確かに缶詰や薬瓶、軟膏なんこうが積まれていた。写真も撮らせてある。それがいつの間にか別のものにすり替わっていたようだ」

「権藤がいることは知らなかったと」

「だから、俺は今あんたとこうして話していられる。知っていたら、どうなっていたか、あんたにもわかるはずだ」

 奴は吐いた煙越しにこちらを見ている。

「弟のホ・孫澔《ソンホ》と同じように殺されていた、ということか」

「GHQが権藤の警護に俺や弟を選んだのは、朝鮮人は日本人より信用できるからじゃない。いざというとき、あっさり切り捨てられるからだ。で、中尉が権藤を追ってわざわざ日本に来たせいで、寝返る可能性のあった弟は、秘密保持のため殺された」

「そんな簡単なものか」

「あんたたち欧米の人間にとっちゃ、簡単なものだろ? 俺たち東洋人の命なんて」

 そこで胡喜太は言葉を止めた。

 沈黙は奴なりの弟への哀悼の意なのだろう。

「そういえば、あんたが秋葉原あきはばらで叩きのめした野際組のぎわぐみの連中、全員殺されたよ」

 胡喜太が部屋を流れるタバコの煙をぼんやり見ながら、また口を開いた。

「舎弟頭のせた中年、何て名だったかな? まずはあいつが野際組組長の目の前で撃ち殺され、その日のうちに六人全員殺された。あんたに脅され、口を割った報いだそうだ」

 六人。イアンが急所を外して撃った、あの少年も死んだのか。

「吐かせたのは舎弟頭だけだ。そもそもあの痩せた男は、ろくな情報を持っていなかった」

「だろうな。口を割った云々うんぬんは関係ない」

「宣伝行為か」

 イアンはいった。

 GHQの参謀第二部か日本で活動しているCIAが意図的に誇張された情報を流した。

「決まっているだろう。他に何がある」

 胡喜太があざけるような表情で返す。



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