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ヴォーン=ウィリアムズの生まれた場所に行ってきた

もう数ヶ月が経ってしまいましたが、少々の休養も兼ねて、昨秋グロスターシャーに遊びに行ってきました。グロスターを拠点に、秋の景色を眺めてたくさん歩きたい、というのが主旨でしたが、本当に10月なのかと疑うほど暖かく、紅葉には残念ながら早すぎた。
かなりオープンエンドな旅でしたので、あ〜どこに行こうかな〜って着いてから考えてたら、あれ、ヴォーン=ウィリアムズはグロスターシャーの生まれじゃなかったっけ?と思い出しまして、その生誕の地に行ってみることにしました。

私はイギリスのクラシック音楽が好きで、中でもヴォーン=ウィリアムズの大ファンなので、ちょっとオタク語りします。ニッチです、とてもニッチ。でももしかして興味ある人がいたらなあと思って書いておきます。

20世紀イギリスを代表する作曲家レイフ・ヴォーン=ウィリアムズは、1872年10月12日、グロスターシャーのダウン・アンプニー Down Ampneyという村に生まれました。父アーサーは教区牧師、母マーガレットはウェッジウッド家の生まれで(そしてチャールズ・ダーウィンの姪)、レイフは二人の三番目の子どもでした。アーサーがこの小さな村の教区牧師に任命されたため、一家は1868年、この小さな村にやってきたのでした。レイフが生まれて二年半後、突如アーサーがこの世を去ります。マーガレットは子どもたちを連れて、自分の生家であるサリー州のリースヒルプレイスに戻ったのでした。

ということで、彼が幼少期の大半を過ごしたのはリースヒルプレイスで、でした。彼がこの家を兄から相続した後、1944年にナショナルトラストに寄贈しています。現在は彼のミュージアムとなっていますが、2024年春まで改装のため閉まっているそう。私は2019年に訪ねることができました。彼のピアノもありますよ。そして周りは素晴らしいハイキングコースです。春には森にブルーベルが咲いて、丘の上からの眺めは本当に素晴らしかった。また行ってみたいな。

…ちなみに今回の旅では、ローリー・リーの愛したスラッドの村でローリー・リー・ワイルドライフウェイを歩いたり、グロスターといえばチーズ転がし祭り!ということで(?)あのクーパーズヒルも見るなどしてきました。ちなみにクーパーズヒルは、見た瞬間脳内で「アカーーーーン!!!」の声が響き渡りました。想像してた以上に、生で見た斜面はアカンかった。あれを転がるなんて…正気の沙汰やあらへんで…。なおクーパーズヒルはコッツウォルドウェイというハイキングコースの一部にもなっていて、この日はここからペインズウィック〜ストラウドと歩いてきましたが、またそれは別の機会に。

アカン角度のクーパーズヒル。どれだけアカンか、スマホのカメラでは捉えきれない。

それで、ダウン・アンプニーです。RVWは『英国聖歌集』(1906年)の編纂・出版にあたりいくつか聖歌を書き下ろしたのですが、そのオリジナルのチューンのひとつにこの村の名を冠しています。Come Down, O Love Divineとして、日本では讃美歌集では「みたまの神 きよき愛よ」、聖歌集では「きよき愛よ」として知られています。クリスチャンではない上、いま手元に資料がないので確認できませんが、ペンテコステの礼拝で歌われるのですね。
RVWの愛した自作曲として、1958年のお葬式でも演奏されたそうです。なんとその音源がYouTubeにありましたし、葬儀が執り行われたウェストミンスターアビーから、式次第がPDFで公開されています。素晴らしい時代に生きていますね。

さてグロスターからは、私は車じゃなかったので、公共交通機関で向かいます。イギリス全般に言えることですが、公共交通機関のアクセスがとても不便です。お車に乗られる方は是非お車で行ってみてください。
グロスター〜ストラウド〜サイレンセスター〜サーニーウィックとバスを乗り継ぎ、あと30分ほど歩いてたどり着きました。トータルで2時間半ぐらい。ストラウド〜サイレンセスターのバス旅はすっごい道が悪くて揺れたなって印象があります。コッツウォルズのはちみつ色の家々を見ながら座席から転がり落ちかけました。
それでサーニーウィック、サイレンセスターロードからダウン・アンプニー・ロードに曲がる直前にバス停があり、そこから歩いて村へ向かいます。なんと歩道がありません。車道です。このあたりの人たちはみんな車生活ということでしょうね。サイクリングしてる人も何人か見かけましたが、イギリスってどこにでも歩行者用の道があるんじゃなかったのか!という衝撃も。

Googleストリートビューより。こんな感じの道を30分ほど歩く。

仕方ない、ぎりぎり隅っこと、時折もう茂みの中を進みます。私の脇を減速していく車のみなさんに、心の中で本当にすみませんと謝りながら。

しばらく進むと石造りの小さな橋がかかっており、そこからまた5分ぐらい?で村の入り口に到着します。

小さーい橋。適当にとった写真だからなお小さい。
村の入り口の看板。このあたり乗馬もしているみたい。RVW生誕の地、ちゃんと書いてある。

さてこの村は本当に小さくて、平日の午前中数時間だけやっている商店兼郵便局兼カフェが一軒、小さな小学校、教会、くらいしかありません。お買い物に行くのも近隣の街に車で買い出しに行くくらい。第二次大戦時にはイギリス空軍基地があったとのことで、関連の記念碑などもありました。

まずは彼の父が牧師をしていた、そして彼が洗礼を受けた教会に行ってみることに。村の入り口からすぐに右折してしばらくまっすぐ行くと、All Saints' Churchが右手にあります。
YouTubeに、Come Down O Love Divineの曲を教会の映像に合わせたものをあげてらっしゃる方がありました。私のレポートなんかより遥かにいいものです。演奏はケンブリッジ大学トリニティカレッジ聖歌隊。

入り口に村の案内板がありました。RVW、空軍、ここで見られる鳥たち等。

同じものを村の他の場所でもいくつか見かけました。
外観

All Saints' Church はテンプル騎士団によって1265年に建てられ、現在の建物の形になったのはヴィクトリア朝とのことです。教会の尖塔は14世紀に遡るそう。
確か毎日朝から夕方4時ごろまで鍵が開いているんじゃなかったかな。日曜日の礼拝やお葬式などはあるようですが、私が行った時には誰もいませんでした。平日の昼間でしたからそれは当然として。静かな、風の音と鳥の声だけが聞こえてくるような空間でした。

生後間もないレイフが洗礼を受けた洗礼盤がありました。説明によると、洗礼を施したのはアーサーではなく、近隣の村 Lattonの教区牧師であったそうで、うっかりレイフを落っことしかけてしまい、母マーガレットがスカートでキャッチしたそうです。なんてこった!石の床ですからね、危ない危ない…。

洗礼盤
レイフが落っことされ母に救われた経緯が書いてあります。

教会のオルガンは、もともと1874年に取り付けられ、RVWの生誕百周年を記念し、1974年にエリザベス二世の命により修復されたものです。余談ながらエリザベス二世といえば、RVWが戴冠式のために作曲した O taste and see は、一昨年の葬儀でも演奏されましたね。また戴冠式では、彼が編曲した Old Hundredthも会衆一同で演奏されましたが、これは会衆も参加できる機会を作るべきとの彼の提言によるもので、反対意見も出ましたが、女王の賛成があって叶ったのだそうです。

そして一昨年のヴォーンウィリアムズ生誕150周年を記念して、彼に捧ぐ新たなステンドグラスが作られたそうです。彼の音楽家としての旅路、彼を象徴するもの…イングランド民謡、バニヤンの『天路歴程』、海…がモチーフになっています。2022年12月に、グロスター公爵夫妻やヴォーンウィリアムズ家のみなさん参列のもと記念の式典が行われ、その式次第も置いてありました。

私の撮る写真はなんだか左に傾きます。

教会の後ろ側には、RVWの人生についての展示がありました。誰もいないのでじっくり読んできましたよ。

こんなかんじに、彼の出生から逝去にいたるまで、展示がしてあります。

外に出ると、どなたかのお墓参りをされているご夫妻がいらっしゃいました。アーサーのお墓があるそうですが、探せませんでした。

そのあとは村の中心へ行ってみることにしました。そのへんのベンチに腰掛けて持参したサンドイッチで遅めの昼食を取ったり。本当に村の方しかいらっしゃらないようなところだったので、さぞ怪しく映ったろうなあ…。

ランダムな、素敵な抜け道
村役場の看板は五線譜でした

レイフの生まれた旧牧師館。普通に人が住んでおられるお家のようで、こっそり写真を撮らせていただきました。

The Old Vicarage

さてこのあとはまた車道を30分歩いて、サーニーウィックのバス停からバスに乗りました。サイレンセスターで少し寄り道、コッツウォルドストーンの街並みをぷらぷらしたり、洗礼者聖ヨハネ教会(というんでしょうか)にでかー!となったり、カフェでお茶しばいたり。

St. John the Baptist Cirencester
の中
の中2
裏庭から

バスに乗ってグロスターに帰りました。

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