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もし、1年前の今日出逢った貴方に届いていたら。

恋愛関係は一方が振り向いてくれなくなったら、呆気なく散ってしまうもの。

まさか、自分の誕生日に警察に通報され無理矢理引き離され、放棄されるような終わり方になるとは思ってなかった。

実家に返送されて放心状態ながらにも、至って冷静だった。

私が感情的になると、パニック症が邪魔をして死にたくなってしまう。

どうして死にたい衝動に駆られてしまうのだろうか。

例えば、自暴自棄になってヤケ酒をするなど喫煙量が増える、など、そういった衝動と似て私はこの世からも、その状況からも逃げ出したくて死にたいと口にして、自傷に走ってしまうのだろう、と気付いた。

その悶々とした感情を逃す方法や、場所すらなかった私はどんどん自分を追い詰めて、最終的にその様子を彼が見て、完全に冷められてしまった。


でも、

今まで彼はずっと、ずっと、
側で支えて見捨てずにいてくれた。

こんなに優しくて、勇敢で、1年経っても何度も惚れ直す人って初めてで、この人と長く共に戦って励まし合って、時には一緒に泣いて笑って、幸せに生きたいって、強くそう生まれて初めて思った。

普段はこんな綺麗事のような言葉を並べる様な性格でもないが、本当に言わせて欲しい。

ただ、彼だって1人の人間で言ってしまえば、他人であり家族のように無償の愛で済まされる訳にはいかない。

恋人同士は互いの中に価値があってこその特別な愛情で、互いに与えて授けてゆくものだと思っている。

だからこそ、私1人の病を彼が大切だからと良心を働かせてしまったばかり、それを全て背負おうとしてくれた時点で、実話彼は入って来てはいけない、私の中での危険領域に自分の命をかけて私を救おうとした事が、彼までもを追い詰めてしまい、一緒に溺れかけてしまう結果になってしまった。

鬱病は悪ではない事だけ世の中に認知してもらいたいし、腫れ物扱いをしたり、完全に放って置くのも余計にその人を傷つけてしまう事を伝えたい。

"何か"をきっと伝えたくて、私の中にいる黒い奴が暴れ出してしまうのだろう。

お互いを守るためにも、本当はそっと見守ってくれていれば良いのだが、いざパニック発作になってる人、しかもその人が自分の恋人で大切な人だったらどうしても助けようとしてくれるのは当然で、とても有難い事。

私はいわゆるコロナ鬱なんだと言うことに、気付いた。

彼が、私の誕生日に私がまた発作を起こしてしまったせいで完全に今度こそきちんと呆れさせてしまい、無理矢理警察に引き離され、「二度と会いたくない」とまでを警察を通じて告げられて、居なくなってしまった。

私が素直に、彼が手を差し伸べてくれた時に帰っていれば………

なんて、たらればの話を彼にしても、
もう遅い。

私が仕出かした事。

私自身が私を追い詰めた事。

私自身が全てを追い退けて、彼の親切心までを拒絶するような形で追払い彼をもっと傷つけてしまった。

今までこういうことが度々あり、徐々にエスカレートしていくのは私もひしひしと痛感していた。だからこそ、余計に恐くなって不安を勝手に自分で募らせていったのかもしれない。

その不安を逃す行方もなく、ましてやコミュニティを作る度に無くなってしまって、私はどんどん抜け出せなくなった。


欲を言えば、とても会いたい。

もう情は尽きてしまったかな。


でも、彼のいう通り、また互いを傷つけてしまうかもしれないし、私ももうこれ以上嫌われたくないし、矛盾だが僅かな光を信じたいからこそ、今はグッと我慢する。

彼がいう通り、私は何度も死んだんだ。

やり直して、私は鬱だった

黒い奴がすっと消えていった

と、過去形にして強制的に鬱という病を過去のものにして逃す方法が、今更ながらに一種方法があった事にようやく理解した。

私は生まれ変わる。

彼が私に言ってくれた通り、生まれ変わってもまた出会いたいと言ってくれた言葉が忘れられない。とっても嬉しかった。

またこの人に出会えるなら人間でも良いかも、なんて思ったりもした。

自分でもここまで人を想う事はなかったから、驚いている部分はある。

本気で愛すってこういうことなのかぁ。

だからこそ、自分で生まれ変わると決心して、でも、今すぐ焦らずに極論な選択肢として別れるのは寂しい、ってのが本音。

もう一度信じで欲しい。

我儘ばかりだけれど、本当のお互いの姿をまた見てまた惹かれ合えたら、私の人生は本当に幸せって心の底から言える未来にしたい。

こればかりを聞くと、
離れてしまった彼のために、と聞こえてしまうだろうけど、冒頭でも話したようにここまで真剣に向き合い、自分の本気で弱い所までを晒け出した人は初めてだったから。

特別ってこういうことなんだなぁ、と
ジワジワと感じる。

きっと、誰のせいでもなく
きっと、処方された薬が間違いなく合わなかったのかもしれない。
きっと、いきなり生活がなくなって一転したからかもしれない。

ある精神病を抱えた女性が薬を処方され、それが返ってその人を狂わせたが、薬を一旦止めてみたら正気が続いた
っていう話を聞いて、もしかしたら私もそうだったのかもしれない事に気付いた。

ただ、それに気付く余裕が私自身にもなかったし、ただでさえ不規則で不安定な会社で勤める彼にとっては、その余裕を失くしていった私が更に彼を追い詰めて、彼の中の風船が膨らみ過ぎて破裂させてしまった。

彼は良く自分のせいや、自分は力不足だと嘆いていた。

そんな事はないと、強く主張出来る。

彼1人の力で簡単に無くなるものではない。

むしろ、1人の人間で治せるものだったら臨床心理士なんて分野は存在する必要がなくなる。

私ももちろん彼に頼りたい気持ちはあるが、頼り過ぎないような環境と関係をもっと早くに作りあげて置けば良かったのかもしれない。

過去のことばかり、言ってももう変わらない過去だから仕方がないし、彼は自分も守るために言い方が悪いけど、私から逃げる形を取ったのだと思う。

本当はね、
本当はまたやり直したい。

またお互いに言葉を交わさなくても、幸せな気持ちになれるような関係に戻りたい。

でも、今すぐには不可能だって事は自分でも理解している。

数日で人は変われるかもしれないが、
数日で今まで掘り下げてしまった深い溝が簡単に塞げる程の事ではないし、もし今すぐに会ったら余計に自分で深くしてしまい、本気で人として嫌悪されてしまうかもしれない。

それは悲しい。


どんどん数字が減っていく、体重。

どんどん増えていく大きなアザ。

こんなボロボロになってしまって、1日で綺麗になれないから、私は自分が出来る所まで修復しなきゃ。

そう、全て思わせてくれたのも彼が居なかったら、きっと私は深い溝に埋まったまま、気付かずに自分を傷つけて、本当に死んでしまってたかもしれない。



1年前の今日、
1月30日から31日に変わるくらいの頃、
私は彼に惚れたんだ。

そして、お互いに愛を交わし結ばれた日。

2月8日に初めてデートしたけれど、
落ち着き過ぎたのか居眠りばかりしてた
彼。

2月14日に初めて、バレンタインを迎え椿山荘に泊まって過ごしたけれど彼が扁桃炎持ちを知り、高熱のまま病院に行った2月15日。

そして、私が大学のために渡米した
3月1日。

毎日欠かさずに電話をくれて、
近況報告して、手紙を送り合った。

でも、コロナの影響でやむなく3週間程で帰国。

帰国した日も、相変わらず扁桃炎で高熱のまま迎えにきた3月23日。

そして思いもしなかった生活が、
私たちを壊していった。

9月頃から体調を崩し出し、
大学のリモート授業もなく、仕事も外させれ、
私は孤独になってしまった。

そこから3〜4ヶ月、
私に黒い奴が現れて私たちを邪魔して、
引き離された。

何が起きるかわからなかった1年。

でも、どの部分を切り取っても彼が居て、
彼のおかげで辛うじて今も生き延びている。


本当に、愛してるよ。

本当に、本当に、ありがとう。

また会えますように。

昨日の夕飯は何を食べましたか? 幸せなはずの毎日も、日常化すると人の記憶は薄れがち。 私はそんな毎日の中に、少しでも心がじゅわ〜とする瞬間を見つけてこれからも描き続ける。