act 28 一般と特殊の間で息をし続けたい
こんにちは。こんばんは?
どうも久しぶりです。
今日すごいタイプの人がいて、うおー美人やーとか思ってたんですけど、
ふともし付き合ったらどうなるんだろうと妄想して、美人だから前に付き合ってた人とかいるんだろうかとか、本当に自分の事好きなんだろうかとか不安になったりするのだろうかと考えてました。それで相手もそういう反応1つ1つの反応に困ったり喜んだりするのかなと。
タイプではあったけど好きというわけではないみたいです。
僕の人生、すごく人を好きになったことがたぶんなくて、
自分のことを好きになってくれる人なんていないし、自分のことを好きになってほしいと思える人もいなかったし、そんな人を探したいとも思っていなかった。すごく自虐的な表現ですが、自虐ではないです。下で書きます。
たぶん僕の中の矢印はほとんどが自分に向いていて、すごく自己中心的で、でも最近はそういう人を探したいと思えるようになったし、相手の気持をまだ意識的にですが、すごく考えるようになりました。
※自己中心的と書きましたが、別に横暴な態度を取るわけではなく、一般的な気遣いはするけれど相手のことをそもそも見ていないので人によってこういう人だなとか態度を変えていないんだと思います。一般的にそうしたほうがいい態度を全員にしてる、みたいな?
この前お悩み相談チャットみたいなので相談したときに、すごく的確なレスをいただいて確かに、となりました。
私の「今わたしの周りにいる人は、わたしの性格を受け入れと周りにいてくれると思うますか?」という問いに、「ただ近くにいるから周りにいるんだと思います。あなたが遠くへ行けばやり取りもしなくなり、でも新しい地でまた周りにいる人があなたの近くにいる人になる」と。
なんか、矢で射抜かれたような気持ちでした。
今までのわたしは、周りにいる人とそれなりに楽しくやってたからあまり意識しなかったけど、周りにいる人からするとわたしは一般的な反応を忠実に行う人形みたいな存在なのかな?それは近づかないよね。
今はそれが寂しいとも思えるけど、最近までのわたしはそうとも思っていなかった。たぶん、そもそも周りの人にあまり興味がなかったのだと思います。周りの人と行う事象には興味はあって楽しそうだと思うけど、その人自体の内面にあまり興味を持っていないみたいな。
誰かと何かをやって、自分の時間があれば充実してた。
でも、コロナで誰かと何かをやる時間が極端に減って気づいた。
特定の誰かと大切な何かをするのはすごく大事なことなんだと。
大切な誰かがいることは人生の安定においてもすごく重要だと思います。
今回それに気づけた。大きな爆弾を抱えたまま生きていくところでした。
最近はその爆弾を解消するために少しづつ自分の行動を変えています。少しづつですが。
まずは、自分から能動的に動いてみるだとか、感情的になったとき言うともしかしたらすごく恥ずかしくなるかもしれないけど口に出してみるとか、自分がさらけ出すとか、いろいろです。
わたしはプライベートエリアの壁が高く、人をテリトリに入れようとしないくせがあるので、人を選んでその敷居を下げるとか
後、大事なのが、人に悩みを話す、頼る。
学校でこういうことを教えてほしかったです。
まあ、こんなことをつらつら書いてきましたが、そちら側に行くのが不安でもあります。
たぶん、それが一般的な世の中を生きてる人がしていることなのだろうけど、すごく自分の内面に向き合い続ける自分(自己中心的な自分とでも呼びましょうか)が嫌いなわけでもない。
そこにいるからこそ見える景色もある気がする。
もしかしたら、何かの才能があって表現者になれるかも?(笑)
時々ですが、何かの作品を見てる時に、人より深い部分での気付きが多いと感じるときがあります。その時は至福で、そういう感性が忘れ去られてしまうことへの恐怖みたいなものはあります。
見えてないものもあると思いますが。
どこへ行ってもその場所での悩みはあるんだろうとも思うのですが、せっかくどっちも見えそうならその間行ったり来たりして息をし続けたいなと思うのです。
欲張りですね。言動だけはいっちょ前に完璧を目指す。
行動も伴わせたい、伴わす。
では。長文になりましましたが、読んでくださりありがとうございます。
もし、同じ様に感じる部分がありましたらコメントもらえると嬉しいです。
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