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夏の少年たち

うちに帰り、すぐさま長袖のシャツを脱ぎ捨てTシャツを引っ張り出した。午後7時が近づいても陽は落ちず、部屋の床にはつよい西日が溜まりに溜まっていた。キッチンに立ち、インスタントコーヒーをグラスに入れ、すこうしのお湯で溶かして、氷と牛乳をぞんざいに放り込み、つめたいカフェオレをあり合わせのやり方でつくった。梅雨の合間にあらわれる、もう真夏のような厳しい暑さの日が、今年もやってきた。

近頃の夏は、こうもやたらめったら暑くちゃどうしようもないよ、とめげそうになるくらいの暑さである。「熱中症対策を」と、気象予報士が仕切りに言っている。食欲が落ちたら、「具なし」のおそうめんばかりをつくっている。

それでも、「好きな季節は」と聞かれたら、夏ですと答えてしまう。わたしは夏がほんとうに好きなのだ。「ひと夏の冒険」とか「ひと夏の恋」とかいう言葉に表されるように、夏は他の季節とはちょっと違って、人をそのままではいさせない、どこか衝動的にさせるような、魅惑的な何かがあると思っている。

たとえば映画『スタンド・バイ・ミー』は、夏の冒険の物語で、映画の紹介文には「12歳の夏、誰も大人になんかなりたくなかった・・・」とある。これは、「12歳の夏」でしか成立しない文章のような気がしてならない。「12歳の春」だったらなんだかほんわかしすぎているし、「12歳の冬」だったら、そもそも「死体を見に行かないか」なんていうこの冒険の目的があまりにも物騒すぎて、さびしい感じの挿入歌が聞こえてくる。ここで聞こえてくるべきはあの、ベン・E・キングの『スタンド・バイ・ミー』。まぶしい光の中、長い線路の上でかげろうが揺れている。むせ返るほどの、むっとした森のにおい。4人の少年たちには、半袖のTシャツ姿が一番よく似合っている。

わたしはつめたいカフェオレを飲みながら、さきほど帰り道に見かけた少年たちのことを思い出していた。中学生らしき3人組で、制服を着ていて、わたしの前方をぶらぶら歩きながら、スイカバーを食べていた。そのうちの一人が言った。「スイカってさあ、野菜?」もう一人が言った。「野菜じゃないの?」
そのあたりで、わたしは彼らを追い越す。(なんてったって、彼らはものすごくのろのろと歩いていたのだ。青春のど真ん中にいて、スイカバーを食べているのだから、仕方ない。)すると、次にこう聞こえた。「じゃあさー、キャベツって野菜?」

彼らはとてものろのろと歩いていたから、続きの会話は遠のいてしまって聞こえなかった。思わず、ふふふっと笑ってしまう。「キャベツって野菜?」という疑問。キャベツは、どう考えたって野菜なのに、やっぱり夏というものは、どこか現実をちょっぴりねじ曲げてしまうような力を秘めているのではないか。そんなふうに思う。

今年も夏がやってくる。気が遠くなるような暑さの中、どんな景色が待っているのか、楽しみである。アイスコーヒーの準備をしながら、梅雨が明けるのを待っている。

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