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「心を乗せて」

歌のレッスン

ある時、歌のレッスンで「心を乗せて」と言われた。

僕は、井上陽水の「少年時代」を歌っていた。自分で選んだのに、歌い方は棒読みのようで、変に陽水を真似ようとしてぎこちない。先生は「うーん、なんて言ったらいいのかな。緊張しちゃって、自分の声が出ていないですね…”心を乗せて” ください。声に」とおっしゃった。「そうでないと歌っても、伝わらないから」

「心を乗せて」という表現にはっとした僕は、そうか!と勢い込んでタマシイ全開で歌い始めたが、すぐに止められた。「入りが強すぎる」「ここ、音が合ってない」。ああ、「力むように心を込める」のじゃダメなんだな、当然、技術もいるんだ。だから、レッスンを受けているわけだけど…。

制約と技術

レッスンが終わったあと、「今、起こったことはとても重要なことではないか?」と考えた。歌にかぎらず、たとえばサービス業のバイトでも、ビジネスのプレゼンでも、ふだんの会話でも、声や態度に「心を乗せる」ことは同じように大切だと思えた。

そして、「心を乗せる」ためには「心を表に出そう」「心を込めよう」と意識するだけでなく、「制約」の中で「技術」を使えないとならない。

たとえば、短歌を詠むのなら、五七五七七の枠におおまかに収める。これが制約。この制約の中で、短い言葉に気持ちをぎゅっと詰め込む工夫をする。これが技術。制約の中で技術を使うことで、初めて短歌に「心を乗せ」られる。

と、こんなことを考えた。

心を拒まれる

ここで思い至ったのは、「今の社会では、心を拒まれることが多くない?」ということだった。今の日本で、「心を表に出そう」「心を込めよう」とすると、よほどうまくやれないかぎり、「失礼」や「迷惑」と思われるか、「浮く」「無視される」「叩かれる」といった結果になって終わる…そんな気がした。自分が「ばか正直」なところのある人間なので、そういう経験・失敗はたくさんしてきた。でも僕だけでなく、世の中の多くの人は「心を拒まれる」経験を何度もして、もう「心を乗せる」ことを諦めたくなるほどではないか、などと思う。

今は「無難」が尊ばれ、システムの中でルール通りに、暗黙の了解を踏まえつつ、変に目立たないように、期待されている最低限をこなすことが、異様に大事にされていると思われる。

とはいえ、社会批判をしたり「同調圧力が〜」と言いたいのではなく…。

失敗できること

僕は、失敗できる場が少なすぎるのかなと思う。さっき話した通り、制約を知り、技術を身につけないと「心を乗せる」ことができない。そのためには、たくさんの失敗をしてそこから学ぶしかない。では、どこで失敗すればよいのか?

最初の「歌のレッスン」のような特別な場ではなく、日常や職場で「失敗しちゃった!」が許されるとすごくいい。「さあ、心を込めるぞ」と意気込んでしくじった時、中傷も無視もされず、「まーそういうこともあるって☺️」「でも、おもしろかったよ!」と受け止めてもらえるような場があるといい。今は、わからないけれど、少ないと感じる。

企業も、研修の時間や費用を割いてくれなくなっている。一方で、リスキリング(スキルの学び直し)はいっそう求められる。求人では「即戦力」も必要とされる。あるいは、一人暮らしを始めたり、結婚した時に、日々の料理をできる人がどれだけいるだろう。実家で親から習ったり、料理教室に通ったり、ふだんから自炊する時間やゆとりを、若い人はほとんど持てないように見える。

今はボランティアも流行りだけど、市民活動や学生のボランティアでも、ものによってはけっこうカッチリと動くことを求められる。その代わりに「ボランティア証明書」が発行されて、就職に有利になったりする。

SNSでは色々な自己表現ができる上、他者との関係も築けるけれど、全世界からアクセス可能だし、記録が残るので、失敗した時のリスクの大きさが読めない。

そんな風につらつら考えると、気軽にいろいろな役割に挑戦できて、失敗しても周りの人に笑われるくらいで済むような場があることが大事なんじゃないかなあ。

「心を乗せる」からこんなことを考えた。

#表現WS

今、立ち上げ中の「吟遊詩人のビジネスプラン」では、#表現WS (ワークショップ)というものをメイン事業にしようと考えている。これはカジュアルなオンラインの1対1のワークショップで、参加者は、ことばや絵や写真の「表現」を安全・安心にできて、それに対してポジティブなフィードバックが返ってくる、というもの。

このサービスは「失敗できる場」を提供できる。もっともビジネスなので、参加者はお金を払うことになり、その点では「レッスン」に近いけれど。自分なりの表現を育み、自分らしさを作っていくのにお役に立てたらうれしい。

ですから、実現したらぜひ僕のサービスを利用してみてください!

って、ここまで来てそれで結ぶのはナシだろ🥳笑

仕切り直して。

いろいろな場面で「心を乗せる」に挑戦できるよう、失敗できる場をみんなで作っていけるとよいですね。本当は、僕のサービスのようにお金がかかるものより、みんなで無償でそういう場を作り合うのがベストじゃないでしょうか。そういう場作りは、ローカルなイベントや企画から始めやすいかもしれません。顔の見える人間関係のなかで、お互いに失敗し合えたらいいですよね。いえ、本当は「失敗」と「成功」の境目なんてないのかもしれません。

今ここに、心を乗せて──


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