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グローバル化と吟遊詩人

いまや世界はグローバル化したと言われます。

しかし、それは単に、世界中が同じようなマーケットになったことを指すようです。みんながスマホを持って、仕事ではWindowsを触り、マックでご飯を食べたり、スタバでおしゃれな時間を楽しんだりすることです。

共通の通貨は、ドルです。
共通の言語は、うやむやな英語です。

一方で、真のグローバル化をする人がいるとしたら、その人は多種多様なコミュニティや文化を肌で味わい、理解しようと努めます。そのことで、多種多様なバックグラウンドの人と深く交流できます。

共通の言語は、とくにありません。相手の言語を理解できること、相手の振る舞いに合わせられること。体で、さまざまな文化を知っているようなひと。

そのようにグローバル化するためには、多種多様なコミュニティを遍歴し、そこで自分のあり方をリセットして一から作り直すような過程が必要です。

つまり、さまざまな村や街を経巡り、そこで排斥されたり暴力を受けたりする可能性のなかで生き残り、それらの村や街、国を知ること。新しい文化に馴染むこと。

それは「吟遊詩人」的な生き方と言えます。

今のグローバル経済のなかで成功しやすいのは、アメリカの四年制大学を基準にした時、レベルが高いとされる、実家が裕福な男性でしょう。

多様性が大事と言いながら、世界的に価値観は均一化されます。それは心の貧困であって、グローバル化の負の側面です。

しかし、グローバル化した世界では、多種多様な背景を持ったメンバーが集まる機会は増えます。そこで、それぞれの背景や文化に配慮しながら、一つの活動やプロジェクトを実現するには、吟遊的なグローバル化が必要です。それがないと、マネジメントが働かなくなります。

真のグローバル人材は、さまざまなコミュニティで、自分が無力だったり、一から自分を作り直す経験を何度も積んでいます。つまり、挫折の連続です。そのなかで詩心を持って、他者の心を理解し、受け止め、交流するように努めます。

そんな「吟遊詩人」が、今のグローバル化した世界に意味を与えられるでしょう。そうでなければ、グローバル化は便利な貧困にすぎません。


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