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【俳句】ただ待っている

春風やただ待っている家がある

遙水ようすい


3月11日ですね。週末に、東日本大震災をテーマにした詩とイラストの展示を観てきました。会場では津波の当日とその後を描いた朗読劇もあり、胸を打たれました。

いろんな立場の人がいて、それぞれの境遇きょうぐうのなかで自分の思いを抱えている。それを言葉にして共有しようとすること自体がむずかしい。だからこそ、一見、安易なスローガンに見えるとしても「みんながつながっている」という感覚をやっぱり大事にしよう──会場を歩き、周りの人と話をしながら、そんな考え方を受け取ったように思いました。

冒頭の、

春風やただ待っている家がある

の句はいろいろに想像できると思います。

春風が暖かくて心地よい。さあ、スーパーに立ち寄ってから、夫と子どもが待つ家に帰ろう

祖父母も亡くなって空き家になったあの家。今でも私たちを待っている気がする

戸外にいると明るい気持ちになる。寝に帰るだけの家を思うとさみしい

ほかにも、「放射能に汚染された」と指定された地区の家、土砂やがれきが流れ込んだ家。……

上の俳句が浮かんだとき、そんなことを考えました。

ところで、希望や期待をかけるあてがないときに、私たちは「ただ待っている」ように生きることもあります。未来になにを望んだらよいかわからない。今は苦しい。それでも、なにを待っているのかもわからないまま、ただ待っている…

それはむなしい生き方ではなく、かえって人間らしい強さのある生なのかもしれません。


* 「遙水(ようすい)」は私の俳号(はいごう)です。俳句をむ時の名前です。


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