【俳句】ただ待っている
春風やただ待っている家がある
遙水
3月11日ですね。週末に、東日本大震災をテーマにした詩とイラストの展示を観てきました。会場では津波の当日とその後を描いた朗読劇もあり、胸を打たれました。
いろんな立場の人がいて、それぞれの境遇のなかで自分の思いを抱えている。それを言葉にして共有しようとすること自体がむずかしい。だからこそ、一見、安易なスローガンに見えるとしても「みんながつながっている」という感覚をやっぱり大事にしよう──会場を歩き、周りの人と話をしながら、そんな考え方を受け取ったように思いました。
冒頭の、
春風やただ待っている家がある
の句はいろいろに想像できると思います。
ほかにも、「放射能に汚染された」と指定された地区の家、土砂やがれきが流れ込んだ家。……
上の俳句が浮かんだとき、そんなことを考えました。
ところで、希望や期待をかけるあてがないときに、私たちは「ただ待っている」ように生きることもあります。未来になにを望んだらよいかわからない。今は苦しい。それでも、なにを待っているのかもわからないまま、ただ待っている…
それはむなしい生き方ではなく、かえって人間らしい強さのある生なのかもしれません。
* 「遙水(ようすい)」は私の俳号(はいごう)です。俳句を詠む時の名前です。
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