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昭和の高度成長期に育った子供【エッセイ】

僕は、昭和37(1962)年生まれ。
まさに日本の高度成長期真っ只中に生まれ育った。
全体的にまだ日本国民の生活は今のよう豊かではなかったが僕は良い時代だと思っている。
僕が生まれた時の体重は、3,000gを下回り、極端な未熟児ではなかったが身体の弱い子だった。
産婦人科で母親が出産したあと僕は自宅に行くこともなく、しばらく小児科の病院へ入院したと聞いている。
顔は、まんまるとしていたが身体は痩せこけていて、すぐに風邪を引いて、幼稚園に通うが1/3も通園はしなかったと思う。
だから、小学校へ入学するまではほとんど外で遊ぶこともなかった。
それと同じ歳の子供たちと小学校に入学するまで、ほとんど遊ぶこともなく、話すこともなかったので、コミュニケーション能力も劣り、会話も同世代の子供よりもかなり劣っていた。
だから、小学校へ入学する時、特殊(養護)学級へ入れられそうになったが、学力テスト、身体測定などした結果。
話すことは同じ歳の子よりも劣っていたが、学力、IQにおいては高い方で、身体的な問題はないが身体が弱く病気がちだったが一般学級へ入学出来た。
小学校へ入ってからは、外で近所の子供たちの中で遊ぶようになり、年上の子はよく年下の子の面倒もみてくれて、年上のお兄さん方に可愛いがられ、子供たちルールや遊びなど教わった。
あのころ、少なくても僕の周りではいじめはなかった。
外には、空き地や路地、公園、お寺の境内、一般に開放されている企業が所有している野球グランドありそんなところが子供の遊び場になっていた。
たまにその遊び場を違う町内の子供たちと取り合うということもあったが各町内の年上の者同士で話し合い、たまにはケンカして場所を確保していた。
子供たちだけのコミュニティはあり、大人が介入せずに色々なことを覚えていった。
遊びもビー玉やメンコ、コマ、缶蹴り、馬跳びなど色々な外での遊びが多く、日が暮れるまで遊んだ。
お金の掛からない遊びが多くたのしんだ。
金銭的に裕福でなかったが、心は豊かだった。
子供間でケンカをして怪我をしても大人はよっぽとのことがないと介入して来なかったし、子供間でどうにか対処していた。
そんなことで殴っても蹴っても限度というものを知っていたので大怪我することはなかった。
今の子供たちは、普段殴り合いのケンカをすることがないせいか、限度がわからず相手に大怪我をさせたりするように思える。
そして、すぐに大人が介入して事が大きくなる。
身体が弱く、話しも下手で、今ならいじめの対象になる子供でも“あのころ”は周りの年上の子供たちがサポートしてくれて子供同士で成長した。
いじめはなかったが子供同士での上下関係はあった。
だが、下の者が困っている時は上の者が手を差しのべた。
一概に昭和の頃と平成、令和の子供と比較は出来ないが、金銭的に裕福でもインフラも今と比べようもなく貧しかったのに良かったなと懐かしんでしまう。

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