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おいそこの自分、どうして頑張る?

今回の部員日記は経済学部1年小池賀久が担当させていただきます。

平素より弊部を応援、サポートしてくださりありがとうございます。2/22から始まった長いようで短かった一週間の合宿も昨日終わりを迎え、苦しい練習を乗り越えまた一段と心身ともに成長できた気がします。この成果を活かし結果を残せるよう頑張りたいと思います。

さて、本題に入りますと大学生になってから悩む事が多くなりました。具体的に何に悩んでいるのかというと漠然とした将来についてです。漠然とした将来というと抽象的すぎるのでもっと細かく分析していくと、今取り組んでいる事と将来自分が取り組むことの関連性です。

なんのために勉強してるんだろ?

なんのためにテニスしてるんだろ?

大学生になると中学、高校までとは違い親から金銭的自立をしたり、自分で物事の選択をする機会が多くなり、自由に使える時間が多くなります。社会人になる前の最後の学生生活をどのように過ごし、どのように意味のある4年間にしようかと悩むのは必然ではないでしょうか?社会に出れば大半の時間を仕事に拘束されてしまうので、最後の自由な時間を大切に使いたいですよね。
日本の教育制度上、勉強を頑張れば良い高校に行ける、部活を頑張れば強豪校から推薦が貰えたりするので、小中高は勉強または部活という努力の対象がずっと同じで目に見える目標が間近にあって取り組むことが明確だったような気がします。一方大学生になるとスポーツを頑張っても必ずしもプロになるわけではないし、勉強を頑張ったところで学者に必ずしもなるわけではないと。では何の為にその先につながるかわからないものを頑張るのか。

どんな物事にも意味はない。

世の中に溢れている物事は沢山ありますが、それぞれには意味はないのかもしれない。人間、戦争や紛争などで命の危機が危ぶまれると生きる為に精一杯ですが、命が保証されると何の為に生きてるのかを問うようになります。勉強もスポーツも無数にある文化も生きる為なら不必要なものです。それらは人間が暇な時間を有意義にする為に工夫し、誕生したものです。基本に立ち返ると人間生きているだけで幸せ、そして命が保証されている今、どれだけ素敵な暇つぶしを人生でできるかがより充実した人生を送るかの鍵となるのではないでしょうか。

意味づけは自分で行う

先ほどどんな物事にも意味はないと言いましたが、意味のないものに対して意味づけを行うのは自分です。

自分の目的、目標は誰かに与えられるものでもなく、評価されるものではない。だからこそ自分で決めなければならない。

ここで私の言う意味づけは目標設定です。
大きな目標がないなら、小さくても良い。決して大きくなくても自分のペースで、少し先の達成できそうな目標でも良い。設定した目標に向けて夢中になって努力してそれを達成できたらどれだけ素晴らしい事か。その先のことは考えず振り返った時にあ〜自分頑張れたな!と思えたらそれは充実した素敵な暇つぶしじゃないか!と


自分は将来について深く考えすぎな気がします。今自分が頑張っているものの意味、将来それがどのように繋がるのか分からなくても設定した目標に対して後先考えず夢中になって努力してそれを達成できたら良いじゃないか。そう考えると気が楽になってきました笑


以前春学期に履修していた授業で伊藤公平塾長(体育会庭球部、理工学部出身)がゲストスピーカーとして登壇する回があり、
最後の質疑応答の際、悩んでいた私は質問をぶつけました

自分
「大学で今自分が取り組んでいる事が将来どのように繋がるかわからないです」

塾長
「学生時代、微積、線形代数等、どれもトレーニングのようで何の為にしているのかわからなかった。けれど最終的にはそれら一つ一つが繋がっていって意味のあるものだったと思えた。無駄なものは何もない。返ってきた球を返さないといけないように、今あるものに熱中するべき」


このお言葉をいただいた僕は物事それぞれ一つ一つに意味はないのかもしれないけれど、その一つ一つが繋がって最終的には自分の血となり肉となり意味のあるものになるのだと思いました。
自分の今目の前にあるものは大学の勉強と自分の好きなソフトテニス。それを頑張らないでどうする!!!

誰しも悩みは抱えているもの。

ただ、今の自分に悩んでいる暇なんてないだろ?


夢中になれ自分


拙い文章でしたが、お読みいただきありがとうございました。




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