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和田則彦さんとの想い出

和田則彦さんとの想い出


私が和田則彦さんを知ったのは


「独占 女の60分」と言う番組でした。

放送時間は毎週土曜 12:00 - 13:00


神様のイタズラ

巡り合せ


なんと表現してよいのか

未だに不思議です。


私が15歳の頃 近所で内職のバイトをしていました。

何時もは13時に終わるはずが、その日は1時間も早く仕事が終わりました。


自宅に帰ってしばらくしたら番組が始まっていました。

家族でテレビを観ていましたので忘れることが出来ない


私に、この番組を見るように逃れられない運命を感じました。

今では考えられませんが街角でテープレコーダーとマイク片手に

女性にオナラの音を録音させて欲しいと、男の人が声をかけていました。


この人こそ和田則彦さんでした。

脱音楽 音響デザイナー 作曲家 ピアニスト・等


多彩な才能のある方でした。

番組の最後で私の長いオナラ15秒を抜かせる人はテレビ局までと


私に挑戦しているように感じました。

私は幼少の頃からオナラが自由自在に出せる

「肛門呼吸」の体質でしたので長年


これは何かの病気なのではと心配になり

病院まで行って検査していたので「異常なし」


この人なら何かを知っているのかもしれないと

テレビ局へ電話をしたのですが信じてくれない


和田則彦さんに合わなければ私の人生は

このオナラのことは解決できない。


三ヶ月間 テレビ局へ電話をして、やっと信用して連絡してくれました。

いたずら電話でも三ヶ月間はしないですからね。


連絡して1日で会うことになりました。

立川市からは近いので直ぐにわかりました。


駅に現れたのは小学生の少年でした。和田さんの息子さんです。

本人が現れるのが普通なのですが周りを見渡すと電柱の後ろに隠れている人がいました。


和田さんだと判っていましたが知らないフリをして自宅に入りました

奥様が紅茶を出してくれている間に和田さんは帰ってきました。


やはり、和田さんでした。


私の顔を見るなり

「やぁ、いらっしゃい」と声をかけてくれました。


私は幼少の頃から今までの事を話しました。

和田さんは江戸時代に一世を風靡した「曲屁師」の話をしてくれました。


音楽仲間に話をしても信じてくれないので

曲屁が出来る人を世界中から探していたこと


食べた物の発行速度が速いだけの人・等、金銭を沢山つかって偽物だった事などを

話してくれました。


なるほど、電柱に隠れて観察していたことも納得できました。


私の悩みは無くなりました。


和田さんのスタジオでオナラの音を録音しました。

この時から和田さんではなく和田先生になりました。


実技の先生はいませんが教育の先生が和田先生でした。

和田先生から音楽的なオナラ

食事療法・等を伝授しました。


1週間後には

よみうりテレビ「11PM」に私と出ようと言われ

喜んだ記憶があります。


藤本義一さんも私のオナラに興味が有るとのこと


その前に録画で大阪から和田先生の自宅に撮影隊が来ました。

レポーターは綺麗な井上真由美さんでした。


この年頃なら惚れてしまいます。今頃 何をしているのでしょう。


17時から始めて録画が終わったのが22時頃でした。

その日は心地よい疲れで自宅に帰って寝ました。


本番は大阪です。

新幹線の指定席の切符が自宅に届きました。


この引き寄せの法則

物事の展開が早いです。


本番の生放送は何も喋れませんでしたが

和田先生がフォローしてくれました。


こう聞かれたら、こう答える

勉強しました。


いつかは自立するのだから。


それから世界初 オナラのレコード・オナラのカセット全集

色々と音源を提供して作りました。


ワンダープーランド以上の音源を活用して、この店で販売しています。

超激レア レコード未収録音源です。



世界初 オナラのレコード 表紙絵 和田誠



まさか志村けんさんが購入してくれたなんて知りませんでした。


ドリフやバカ殿のコントで使うオナラの音がレコードの音というのは知っていました。


それから音の展覧会でシンセサイザーとオナラの出し物

エンベロプ~を赤坂都市センターホールにてやりました。


バッハリボリューション・等 色々なアーティストさんが出ました。

ハイソサエティな人ばかりでした。


一階でシンセサイザーの体験・販売コーナーで

私はヤマハのCS20を購入しました。和田先生はCS10。


ウィンドロジーと言うオナラとシンセの音楽も作りました。

それから私一人のテレビ出演が続きましたが


追跡と言う青島幸男さんと高見知佳さんの番組で和田先生と

久しぶりに共演しました。


今でもビデオテープからデジタル化して持っています。


正月になると必ず手紙が届きました。

私がレンタルビデオ店の時にもオーディオシステムで

お世話になりました。


ラスベガス制覇で喜んでくれました。


和田先生が亡くなって3年ほど経ちますが

なんの取り柄もないバカな私を指導いただきまして

誠にありがとうございます。


優しい奥様、ありがとうございます。

頂いたレコードや本・台本のサインは宝物です。

感謝

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