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強すぎる「お金」という概念

言葉にすると問題があるようなこともあるので、気をつけながら書こうと思う。根底から疑うような話を書いてみる。

見出しで言いたいことを書いてしまって本文が薄まる傾向があるので、今日は見出しはあまり意味がない感じのことを書いてみようと思う。

食うために働く

「お金」っていう概念が強い、強すぎる。っていう話をかきたいので、いい例はないかと考えてみたところ、これはギャンブルとかそういうのがいい例だと思うので書いてみよう。

例えば、かつて自分がハマっていたビリヤードという世界も、レートは安いながらもお金をかけて勝負するというのが流行っていた。ごく最近の事情はしらないのだけど、20年以上前に自分がハマっていたころはお金をかけてやってた。時間が経過すると後に世の中がクリーンになっていき、「スポーツで」という言葉でお金をのせないで勝負するということも増えていった。

これは20年以上前の話しだし今は健全なシステムに変わってると思うが、当時の自分の感覚を書いてみる。

ぶっちゃけ、「スポーツで」のビリヤードは面白みにかける。なんていうか一つ一つの局面のヒリヒリ感がちがうのだ。

これはおそらく、優勝すると賞金があるような状況でも同じだと思う。名誉だけじゃなくお金もかかってるのだ。

価値

物々交換からの進化を遂げるために必要な要素としてあった普遍的な価値を生み出すためにお金が作られたんだと思うが、それによってお金という万能なものは人を引き付け、お金持ちに憧れるというようなことが発生した。

経済というのはこのお金を軸にして形成されていると思うが、価値を動かしていくことで社会の動きが生まれる。

お金持ちなら幸せか

唸るほどのお金持ちになったことがないのでそれはわからないのだけど、お金じゃない価値があるということは信じている。日頃の仕事もそうだが、お金がたくさんもらえるからと言ってそれが必ずしも価値が高い仕事かどうかはわからないと思っている。わかりやすくすると「自分にとって」という枕詞をつけるとわかるだろう。「自分にとって価値が高いとはなにか」などといえば、これはお金じゃない話をしてるんだろうってなるぐらい解脱できる条件だ。

作る立場における価値

我々作る立場だと「価値を生み出す」というのは目標とも言えることだと思う。自分の場合もそうで、基本的には「新しい価値を生み出したい」と思っている。そういうことがあるのかないのかも分からないが、そういうことを目指すことが大事だと思ってやってる。

経営者でもある自分としては、経営を成り立たせるために売上は必要だし、利益も必要だ。利益というのが「価値」という見方もあるだろうが、経営者である前に「作り手」であると思ってるので「お金ではない価値」ということにも敏感だ。

損とか得とか

モチベーションについて研究しているんだが、そういう自分にとってお金というものが邪魔をすることは多い。例えば、スタッフのモチベーションをあげるために、いい仕事をしたと思えば、給与を上げるとかボーナスで還元とかそういうのが基本的な考え方にあると思う。だけど、それによるモチベーションはすぐに薄れてしまうこともわかってる。

一緒に働く人達にはモチベーションを高く維持してほしいわけだが、お金というモチベーションだけで動いてる場合、それは大筋うまくいかない。お金ではない価値で、しかも目指している方向性が近い場合、強い信頼が生まれるし、お互いにモチベーションを高め合うことができると思う。

じゃ、その価値とはなにか。

今日のまとめ

とにかく、今日言いたいことはここまでの話。生きるために必要なお金はあるんだけど、そのお金に振り回せれると本来求めるべき価値というのを見失うことがあるっていうこと。

自分にとっての価値とはなにか、それが明確になればなるほどお金から解脱でき、楽しく生きられるのではないかと思ってる。

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