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「安全なキャリア」なんて存在しない荒波で

この文章は、panasonicとnoteで開催する「#この仕事を選んだわけ」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

「この仕事を選んだわけ」を書いてくれないかと言われて、声をかけてもらえて嬉しい反面申し訳ない気持ちである。

私は何者か?というと「新卒でIT業界に入ってめちゃくちゃに働いた末に体を壊して休職したり転職したりして今は地元に戻ってリモートワークをし、たまにコラムを書いているアラサー」といったところ。なにかの領域で活躍しているサラリーマンでもなければ、起業やフリーランスで成功しているわけでもない。就活や仕事で起こった失敗や悩みのエピソードを供養するつもりでいくつかの媒体に書かせていただいて、「こんな感じでもなんとかなってんだなって安心しました!」というような感想DMをもらうのが嬉しい社会人6年目である。

なので、「今の仕事を選んで身についたスキル」や「これからの時代を生き抜いていくためのマインドセット」的なことは書けない。そういうのは他の方に任せたい。私は「とりあえず就職しなければならないがマジで何をしたいのかわからん」「こんな時代でこれからウン十年働くとか不安しかない」「そもそも働きたくねえ〜」といったみなさんに向けてこの文を書こうと思う。それ、私もいまだに毎日考えてるからね。ようこそ社会の荒波へ。

白状すると、「いまの生き方を選んだわけ」は「なりゆき」である。
就活では一緒にいて楽しそうな人たちがいて、将来もなんとなく明るそうなITベンチャーに入った。そこで濁流に飲まれるがごとく仕事仕事仕事の毎日を過ごし、ある日働きすぎて休職を経験した。そこからなんやかんやで業界内で転職して働いてたらコロナがやってきて、リモートでどこからでも働ける時代になったので地元の長野県で暮らしながら働くことにした。引っ越してから長野で出会った人と結婚をした。イマココ!である。

長野に引っ越したのは「コロナにかかりにくそうなところに行きたい」「ワンルームでひとりリモートを続けて感じる閉塞感が限界」「家族や地元の友達の近くに行きたい」などいろんな理由が合わさってのことだが、東京で一人で働き続ける日々の、良くも悪くもエキサイティングな感じに疲れてしまったというのが大きい。あっちに行ってつまづいて、こっちに行ってみたらなんか違くて、次はこっちじゃ〜!みたいに生きてたらちょうど息切れのタイミングが来たのである。

自分でもずいぶん落ち着きのない丸5年を過ごしたなと思う。同じ5年でも、新卒で入った会社で着実にスキルを積んで出世している人もたくさんいる。比べて自分はジタバタしてばっかりで落ち着きのないキャリアだなあ、これでいいのかなあと夜な夜な考えて憂鬱になったりもする。
ただでさえ周りの友達と生き方の違いが明確になってくるお年頃である。ある人は子を産み育て、ある人は海外へ行き、ある人は独立し、ある人は社内で昇格しetc…

比較してもしょうがないとはわかっていつつ、別の誰かのキャリアのほうが成功ルートだったのでは?という考えが浮かんでは消え浮かんでは消え、いらんエネルギーを消耗していく。キャリアが分岐していけばいくほど、悩みを共有できる相手も減る。

けれども、私にできたのはこのルートだけだったよな、とも思う。だって、どのタイミングでもとりあえず必死だったのだ。いわゆる社会の荒波に飛び込んで、生きるためにもがいていた。人に迷惑もたくさんかけたし恥もかいた。そのときそのときに掴んだ浮き輪が「休職」だったり「転職」だったり「移住」だったりしたのであって、「このルートを選べばこうなる」という予測通りには全くならなかった。でも私は今日も生きているし、そこそこ楽しく暮らしている。

人のキャリアをみて着実だなとか、輝いてるなとか考えてしまうけど、安全なキャリアなんてどこにも無いのだ。みんなアップアップしながら掴んだ浮き輪になんとか捕まって、行こうとしていた島に着けずに偶然見つけた島が案外居心地良かったりして、なんやかんやで生きている。そんな道筋をキャリアと言うのであって、あとから見れば一本の道でも、本当はそのときそのとき必死に掴んだ浮き輪の連なりみたいなもんなんだろう。

「就活の軸を決めよう」とか「自分のやりたいことを明確化しよう」とか言うけれど、私は29歳を目前にしてようやく自分の向き不向きが分かりかけてきたかな…?くらいである。自我の首が坐ってきたかな〜と感じたのは25歳あたりだった。
自分がどんな人間で何が向いていそうなのかなんて荒波で泳いでみないと結局わからんのである。就活で人生の方向性を決めるなんて、泳ぐ前の船の上で得意な泳法を一つに決めるみたいなもんではないか。そうするように急かす就活業界の罪は重い。実際に飛び込んでアップアップしてみないとなんも分からんのに泳ぐ前から「ここに入るのが正解」「こういうキャリアが正解」と吹聴して不安を煽ってもしょうがない。

そんなわけで、絶賛荒波で溺れ中の私から言えることは、「一緒に溺れようぜ、無理はすんなよ!」くらいなもんである。そのときそのとき真剣に悩んでジタバタしているうちに、ここらへんならやっていけるかも?と思える場所が見つかるはずだ。
私もそんな場所を探して今日もジタバタしようと思う。泳いでいく方角は違っても、必死に水をかいていればどこかで巡り合うかもしれない。そのときまでに語り合えるエピソードをあつめていこう。振り返ったときにしっちゃかめっちゃかなキャリアでも、いい肴になるならいいんじゃん?くらいな気持ちで、一緒にこの荒波でジタバタしていこう。

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