見出し画像

清水買いカルティエと台湾の偽ティファニー

30歳の記念にカルティエのピアスを買った。
ずっと欲しいなと思っていたトリニティピアス。

金の値段がみるみる上がっていくチキンレースと、自分の財布事情と、30歳の節目という盛大な言い訳が合致して、晴れて購入となった。いわゆる清水買いというやつである。高かった〜。

財布は痛んだとはいえ、自分も稼いだ金でカルティエが買えるようになったか、という感慨は大きい。
なんだか自分が「本物の価値がわかる人間」に一歩近づいたような気がして誇らしかった。

巷にはブランドアクセサリーのコピー商品が溢れかえっている。
インスタ広告にはブランド名を一文字変えた巧妙な名前で、パチモンのセリーヌやらティファニーやらヴァンクリやらなんやらがバンバン流れてくる。もちろんカルティエも。

実際偽カルティエや偽ティファニーを身に着けた人に会っても自分が見分けられる自信はない。多分全然わからない。

だけど、ブランドアクセサリーについて大切なことは、「自分が本物を買って身につけている」という気持ちでいられることと、そこから生まれる自信だと思っていた。

なので、偽物のブランド品をつけている人は「自分の価値を下げている」し、正直に言えばちょっと見下していた。だって私は頑張って稼いで本物を買える、「本物がわかる人間」に少しずつ近づいているから。

ところが私の価値観はその1ヶ月後に揺らぐことになる。

友達が住んでいる台湾に遊びに行ったときのこと。

学生時代からの付き合いの女3人で連れ立って夜市に出かけた。
コロナ禍以降数年ぶりの海外旅行、久々に集まった女友達、南国ムードな気候、夜市の賑わいもあいまって非日常テンションはMAX。

食べ歩きやゲーム屋台の冷やかしをひと通り終えたところで、アクセサリーを売っている屋台を見つけた。
「こういうの、彼氏や夫と来るとゆっくり見れないよね〜」なんて言いながら物色しはじめる私たち。

……よく見たら、偽ティファニーも偽シャネルも偽エルメスも山積みに売られているのである。
そんな屋台が夜市のそこかしこに点在し、「パチモン銀座」の様相を呈しているのだ。

あまりにも堂々と全部一緒くたに売られているのを見て、あっけらかんとしすぎていて笑ってしまった。

日本ではこんなに堂々と山のようにコピー商品売ってなくない!? なんかネットでコソコソ買うイメージだったけど!?

ていうか屋台の店主も全然うしろめたさのかけらもない。さあ!好きなの選んでいきな!と堂々たるもんである。

可笑しいのは、ここまであっけらかんと売られていると日本で感じていたブランドコピー品への嫌悪感が薄れてくるということである。

「本物がわかる私」はどこへやら。
海外の屋台という非日常と、どうせ知り合い誰もいないんだからいいだろ、みたいなよこしまな気持ちが後押しして、女友達と「どれにする?」なんて言いながらパチモンティファニーやパチモンシャネルを物色した。

なんだか悪だくみの共犯みたいで、奇妙な興奮と楽しさがあった。バーゲンセールのときに出るのと同じ脳内物質が出た。

私はいまカルティエでもティファニーでもエルメスでも、好きに選べるのである。港区でお金を余らせている怪しい富裕層って、銀座に行ったらこんな気持ちなんだろうか。

いま私のやっていることと、銀座でブランド品を買いまくる富裕層と、どれくらいなにが違うんだろう。使える金の額?

全身ブランド品の人は「本物の価値」を分かってるのか?
自分でカルティエを買ったときの私は「本物の価値」が分かったのか?
代々家がお金持ちでブランドブティックの重要顧客になっている人にしか「本物を身につける価値」がない?
誰なら「本物を身につける価値」がある? 
それをジャッジするのは誰?ブランド品を売る人?

南国のコピー品屋台の鏡で、パチモンのティファニーのネックレスを試着しながら、変なアドレナリンと一緒に湧き出てくる、「本物」についての疑問が止まらなかった。

コピー品にお金を払うのはそのビジネスに加担していることになるからダメだって分かっているけど、
でも「本物」を買える人たちを「金持ち」にしている金は本当に綺麗な金って言えるんだろうか。

こんな気持ちになる人間にはブランド品を身につける資格はないのかもしれないし、そもそもお前は顧客じゃないと言われればそれまでなんだけど。

私たちのような層に向けてプロモーションするために、インフルエンサーにはタダでギフティングされて、いいな素敵だな買いたいな、と思ってもほとんどの人は頑張って働いても一生買えないもの。その「本物」って誰のためにあって、いくら払うのが妥当なんだろう。

30歳でカルティエを買って本物の価値が少しわかるようになったはずなのに、その数カ月後に台湾の屋台で物の価値がなにもわからなくなった。

ブランド品を買えるのは自分の頑張りの証だと思ってたけど、そもそも頑張りの証を他人が値段を決めたブランド品に丸投げしていいんだっけ?
ブランド品なんて、同じ形の金属を並べられたら私には価値が分からなくなってしまうのだ。

結局、「私はまとまった額の金が払える人間です」ということを誇示したかっただけなのかもしれない。 「コピー品ぶら下げてる奴らとは違うのよ」と言いたかっただけ。

そんな人間に本物がどうのこうのと判断する資格はあるのか。ブランド品を売っている側にも、ブランド品を買える側にも、本当はそんなことをジャッジなんてできない。
結局みんな資本主義的な価値観の上に踊らされているだけで、宇宙人から見たらどっちも似たような金属に見えるだろう。

私の手元にはいま、清水買いのカルティエと台湾の偽ティファニーがある。偽物の方もなかなかクオリティは高いと思う。

海外旅行テンションで浮かれて買った偽物の方は、そんなに長く大事にしないだろうし、本物はおばあちゃんになっても着けるだろう。

だけど、なんでそうなの?と聞かれると「本物は高いお金を払って買ったから」としかいまは答えられない。

物の価値ってなんなんだろう。40歳になったらわかるようになるのかしら。私にはまだ「本物の価値」がわからないことだけが、わかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?