母の子守歌にはなんの力もないと痛感した話
まだ息子が4歳、娘が2歳だったときのこと―。
当時の寝かしつけには、毎晩手を焼きました。娘は、赤ちゃんの頃から寝つきが良くて、あまり苦労した覚えがないのですが、問題は息子です。彼は、基本的に眠りたくないらしく、来る日も来る日も、エネルギーの最後の一滴を消費するまで動き続けていました。
そんな息子をおとなしくさせるために、お気に入りのアニメに出てきた、心を落ち着かせるカウントダウンをやってみたり、親子で一緒に深呼吸をしてみたり、わたしなりにいろいろ試しました。それでも、コレという有効な手は見つからず、結局、その日息子をどれだけ疲れさせたかにかかっていました。
ある日のこと。いつものように娘が先にすっと眠りに落ちました。そして、これまたいつものように、息子がベッドの上で、落ち着きなくいつまでもごそごそしていました。
あの頃、わたしはピアノを再開して間もなく、のめり込むように毎日ピアノを弾いていました。気がつくと、いつも頭の中ではピアノ曲がBGMのように流れていました。
その日の曲は、ショパンのノクターン8番。「貴婦人の夜想曲」の異名もある、美しいメロディです。寝る気配のない4歳児を前に、半ば諦めの境地で、この曲を鼻歌で歌いながら、指の動きをなぞり始めました。
序盤を終えたところで、わたしは、息子がおとなしくなっていることに気がつきました。さっきまで目をぱっちり開けて、睡眠を固く拒否していたのに、いまはベッドに身を横たえたままじっとしています。
もしかして、わたしの鼻歌を聞いているの?
息子の耳には、母であるわたしの歌声が心地よく響いて、眠りを促す効果があるのではないか。
ふと、そんな考えが浮かびました。
生まれたばかりの赤子でも、母の声は識別できると聞いたことがあります。どうやって確かめたんだろうという疑問はあります(新生児の脳波を調べたのかな)。でも、母の体の中で、小さな小さな点のような存在から、ヒトの形になるまで育ってきたという動かしがたい事実があります。それを前にすると、母と子の間には、きっと特別な繋がりがあってもおかしくない。
ノクターンが終盤に差し掛かりました。わたしは、母として自分が持つ思いがけない能力に気づいて、ちょっと感動していました。メロディは迫りくる終着点へ向けて、最後の盛り上がりを越えようとしています。
この子たちは、なにがあってもわたしが守ってゆかねば。
そんな気持ちにすらなっていました。
すると、それまでわたしに背を向けて、微動だにしなかった息子が、急にぱっとわたしを振り返りました。
「ママが歌っていたら、ボク眠れない」
……。
わたしは、彼の言葉を咀嚼するのに何秒かかかりました。信じがたい、いや、信じたくない気持ちが、素直に理解するのを妨げたのだと思います。
「……ゴメンね」
わたしは、一言そういうのが精いっぱいでした。そして、心の中で、誰にともなく弁解するのを止められませんでした。
息子はただ眠くなっていただけのようでした。なかなか終わらないわたしの鼻歌を、じっと我慢して聞いていたのでしょうか。
今度から、止めるならもっと早く止めて?
なんのはなしですか。
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