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なぜ書くのかという問いに対する一つの答え

いつも子どもたちの就寝時間の直前に、夫が読み聞かせをする。それが始まる前の数分間、わたしと息子二人だけの特別な時間がある。

息子はこの時間をスナグル(snuggle)と呼んでいる。心地よく寝そべる、寄り添うといった意味だが、ここでは「ぬくぬくする」と訳すのがしっくりくる。二人でベッドにもぐりこみ、体をくっつけて、顔に息がかかるくらいの距離で話をするのだ。今日どんなことがあったか、どんなことを考えたか、といった他愛のない話が大半である。

昨晩、そのスナグルの時間に、ふと思いついて、息子に尋ねた。

ママのお腹の中にいたときのこと、覚えてる?

息子は、首を横に振りながら、「覚えてない。」という。当たり前でしょ、と言いたげな表情だ。

「でも、君が2歳か3歳の頃、覚えてるって言ってたのよ。ママのお腹の中で何してたのってきいたら、パズルして遊んでたって。それから、時々一人でつまらなくなったら、ママの口のところまでとことこ上がってきて、外に出たりもしたんだって。そして、しばらくしたら、また口からお腹の中に戻っていったって。」

息子は、このヘンテコな話が気に入ったようだった。二人でふふふと背中を揺らしながら笑う。息子はなんだか嬉しそうだ。覚えてはいないけれど、かつての幼い自分を慈しむような優しい顔をしている

わたしは、もう一つエピソードを語ってやることにした。

「あの頃、君が好きだった遊びがあってね、ママがいつも使うバックパックを小さな背中に背負って、『バイバーイ、バイバーイ』って手を振りながら向こうに歩いていくの。いなくなったと思ったらすぐ戻ってきて、『ガッガ、ガッガ』って言ってたよね。」

話しながら当時の情景が目に浮かんで、思わず口元が緩む。「バイバーイ」の発音が「バッバーイ」だったことや、当時の息子の表情、着ていた服まで鮮明に脳裏に現れて、一気に記憶の中に引き込まれた。

息子が、「ガッガってなに?」と訊いた。

「覚えてないの?ごはんのことだよ。君は小さいとき、ごはんのことをガッガって言ってたんだよ。君がどこかに一人で出かけて行って、ごはんを持って帰ってくるっていうくだりを、何回も何回も飽きずにやってたよねえ。」

息子はわたしの腕の中にすっぽりとおさまったまま、自分の記憶にない自分の話を、にこにこしながら聞いていた

そういえば、わたしも母や祖母から、自分の幼い頃の話を聞くのが好きだった。

いまでも覚えているのは、髪にリボンをつけてもらって、周りの大人たちが、「かわいいね、かわいいね」と褒めてくれるや、リボンをガッとむしりとって、ぽーんと投げ捨てたエピソード。

二つ上の兄の後ろをついて回って近所の子たちと遊んでいたとき、子どもたちが一斉に走り去った後で、一人取り残された私のもとに兄が戻ってきて、わたしの手を引いてみんなのところへ連れて行ってくれた話。

自分の記憶にない、小さな自分がそこにいる。かわいいね、と声をかけてくれる人がいて、大切に扱ってくれる人がいる。愛されて育ってきたことを、温かい毛布のような感触として知る。語り手である母や祖母の、幼い自分に向けられた視線が、昔もいまも変わらず温かくて柔らかいことに安心したのかもしれない。

息子も、かつてのわたしと同じようにいま感じているのかなあ、と想像した。きっと、そう。心の中までぬくぬくしているはず

忘れたくない。淡々と過ぎていく、なんてことない日常の一幕が、いつか子どもたちの、そしてわたしの心を温めてくれる記憶になる。子どもたちがなにを考え、なにに悩み、なにを喜んで、なにに泣いたのか。その一部始終を、わたしがどんな目で見つめて、心に留めたのか。

だから、書いて残そうと思った。子どもが生まれてから、繰り返したどり着いたこの決意に、また改めて思い至った。この考えに至ったことを、経緯を含めて忘れずにいたいから、この文章を書いた。

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