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文章をどのように推敲していますか

noteに記事を書くと、投稿する直前に必ず一度ざっと読みなおして、必要と感じたところは直すようにしている。加えて、投稿した後にも、少し時間を置いてから、もう一度読み返すことにしている。

書いているときの主観的視点を離れて、一読者のような客観的視点をもって読んでみようというわけだ。すると、この部分は言い方がくどいな、とか、この段落とこの段落の間に少し説明があった方がいいなとか、書いているときには気付かなかったことに気付いたりする。

昨日もいつものように、書いたものを読み返していると、娘がトコトコとやってきて、「これなに?」と聞く。「ママが書いた文章だよ。」と答えると、「ほんとに?」となぜか信じてくれない。「ママにそんなことできるの?」とでも言いたいのだろうか。

私の書いた記事を上下にスクロールして、一通り全体を眺めてから、

「読んで。」

と娘が言った。

「え?読むの?音読?…まあいいけど。」

そして、私が昨日書いた文章を、頭から終わりまで、娘に読んで聞かせた。

読んでみて気が付いたのだけど、自分が書いた文章を音読するって、なんだかとても恥ずかしい。書いたものを誰もが読めるプラットフォームに載せて、ぜひ読んでください、なんて言える厚かましさはあるのに、声に出して誰かに読み聞かせるとなると、途端にこっぱずかしくなってしまった。

だが同時に、声に出さずに読み返していたときには何とも思わなかった箇所が、気になったりした。主には、ニュアンス的なことだ。この表現、ちょっと格好つけ過ぎてるな、とか、上から目線で偉そうかもしれない、など。

もしかして、書いた文章を推敲するときに、音読は有効な方法なんじゃないかと思って調べてみたら、ライターの古賀史健さんの記事に、こんなことが書かれていた。

「読み返しながら、気になったところをその場で書きなおす」ことが、推敲作業の一般的な理解です。しかし推敲は、一度かぎりの「読みながら、書きなおす」で終わるものではありません。わたしは推敲を、3つのステップで考えています。「音読」「異読」「ペン読」の3つです。

DIAMOND online
「自分の原稿を「声」と「目」と「ペン」で読み返そう」(古賀史健)

やっぱり音読が推奨されている!

この記事で、古賀氏が音読を推奨している理由は、耳から聞いて、あるいは声に出して初めて気付くことがあるから。つまり、黙読だけでは気付かなかったことに、気付くことがあるというわけだ。

ちなみに、この記事で触れられている「異読」、「ペン読」を簡単に要約すると、

●「異読」:原稿のフォント、フォントサイズ、レイアウト(横組み/縦組み)などを変更し、見た目の上で「初めて読む原稿」に近づけた上で読み直す。気になったところは、どんどん修正する。
●「ペン読」:原稿を紙にプリントアウトし、ペンで一文字ずつなぞりながら線を引くように読む。

(同記事をもとに筆者が要約)

プロのライターは、こんな手間のかかる推敲をしているのか…と衝撃を受けた。質の高い文章を量産し続けるというのは、大変なことだ。

料理にたとえるなら推敲は、素材の状態を確認する段階(音読)、大胆に庖丁を入れていく段階(異読)、ていねいに小骨を取り除く段階(ペン読)の3ステップがあります。

noteの記事に、毎回「ていねいに小骨を取り除く」レベルの推敲までできるかどうか自信がないが(なにせ時間が限られている)、プロの教えを頭の片隅に(隅っこよりは中央寄りに)置きながら、実践してみようと思う。

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