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子育てにおける一つの「正解」を見つけたこと

子育てに正解はないーーー。

…知ってます。どんな子どもにも汎用性のある、絶対的な方程式は存在しない。でも、ある具体的な状況下で、自分の子どもにどのように接するかという個人的かつ具体的なケースに限定すると、ある程度「正解」に近いものはあるように思う

先日、こんなことがあった。

我が家は、6歳と4歳の子どもたちを含め、家族全員があるジムの会員になっている。先日、そのジムが毎月開催する「Parents Night Out」というイベントに、子どもたちを参加させた。このイベントは、つまり、ジムが夕方から子どもたちを数時間預かって、体を動かしたり、ゲームをしたりして遊ばせてくれるのだ。夕飯どきには、ピザとジュースも提供される。

その趣旨は、「親御さん方、いつも子育てお疲れ様です。今夜は私たちがお子さんたちを預かりますので、大人だけで楽しいひとときをお楽しみください。」というもの。親にとってはめちゃくちゃ有難くて、もはや感謝しかない。(このジムがいかに素晴らしく、子育て世代へのマーケティングに成功しているかということは、前にも一度書いたけれど、またいつか改めて書きます。)

子どもたちは、その日もいつものように楽しく遊び、ピザも食べて帰ってきたのだが、夜、パジャマに着替えているときに、息子から思いがけない言葉が出てきた。

「今日、ジムで、レゴで遊んでいたときに、大きい子が来て、ボクの作っていたレゴを壊したんだ…。」

息子は、あまり感情を込めるでもなく、淡々とした口調ではあったが、深刻な表情をしていた。

「そうだったの。それは嫌だったね。」

私は努めて冷静に答えた。うちの子が他の子どもから何かをされるといったことは、あまり頻繁には起こらないのだが、状況を想像すると、私の方が感情的になってしまいそうになる。

「その大きい子、〇〇(妹。4歳の娘)にも意地悪をしたんだよ。」

私は、怒りが一段階上がり、

「どんなことをしたの?その子の名前はわかる?」

と矢継ぎ早に聞き返した。

「名前はわからない。なにをしたかもよく覚えていないけど、意地悪をした。」

息子の証言はあまり要領を得ず、それ以上の詳しい事情はよくわからなかった。

こういうときに、親として子どもにどう語りかけたらいいのか。どう語りかけるのが、息子のためになるのか。親はいつも試されている。

「意地悪されて嫌だったね。でも、こういうことは、これから先にもまたあるかもしれない。世の中はいい人ばかりではないのよ。また、同じようなことがあったときには、どうしたらいいかな?」

私自身にも明確な答えがなかった。息子は、わからない、と言った。

「今日のジムのイベントみたいに、大人が近くにいるときは、大人に話してみたらいいかもね。」

息子は、なんらかの答えを得て満足したのか、うん、とだけ言って、その話はそれで終わった。

寝かしつけを終えて、自分のベッドに戻り、この話の一部始終を夫に話した。私が最後に息子に言ったことも含めて。

すると、夫は、私の方に向き直って、きっぱりと言った。

大人に相談するというのは違うと思うよ。暴力のような脅威があるときは別だけど。そうでなければ、大人に言いつけることは、長期的観点からみた解決方法にはならない。」

そして、淀みなくこう続けた。

子どもの間で起こったことは、子ども自身で解決できるようにならないといけない。大きい子に立ち向かうのはタフなことだけど、それでも戦うか、それとも無視するか、距離をとるか、逆に仲良くなろうとしてみるか、自分なりの方法をいろいろ試して、自分で見つけるしかないんだよ。」

私は、夫がこんな明解に答えたことに面食らった。面食らったけれど、すごく納得した。すとんと腹に落ちた。そのとおりだな。あのとき、私は息子に、「意地悪な子にどう対処したらいいか、いろいろ試してごらん」って言えば良かったんだ。

あとで夫に聞いたのだが、夫はいま、子どもをハッピーで成功した人に育てるための親の心得が書かれた本を読んでいて、今回の息子のケースが、ちょうど最近読んだことに当てはまったようだった。この本を、私も読んでみようと思った。

私にとっての「正解」は、ほかの皆さんにとっては「正解」ではないかもしれない。どこに重きを置くかで、判断は違ったものになるだろう。

私は、私の子どもを育てる上での「正解」を模索しながら、日々奮闘している。

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