一番の読者は自分でありたい ~1か月毎日書いた感想~
4月に開催されたnoteのイベント「書く習慣を身につける1週間プログラム」に参加し、書くことを気軽に楽しめるようになり、1か月間、毎日noteを投稿してみようと思い立った。
そして昨日、ひっそりとその目標を達成した。「1か月」が30日なのか31日なのか、明確にしないまま来てしまったので(ツメが甘い)、最大値にしておけば文句なかろうということで、31日間連続投稿をもって目標達成とした。
1か月書き続けたら、自分の中で何が変わるんだろう。このチャレンジを始めたときに、そのことが楽しみだった。今日は、実際に感じた変化を中心に、1か月書いた感想をまとめてみたい。
【生活スタイル編】
生活の中にきらりと光るものを探す視点を持つ
私がnoteを書く理由は、自分の生活をより良いものにしたいから。「書くことで実現したいこと」について書いた私のnoteから、関連部分を以下に引用する。
この点に関していうと、わずか1か月ながら、その生活スタイルは既に私のものになりつつある。これは願ったりの嬉しい変化である。常に「今日は何を書こうかなー」という問題意識を持ち、テーマになりそうなことを待ち構える姿勢になっている。些細なことにも目を凝らして、その中にきらりと光るものがないかと探すようになった。そして何かを見つけると、「これを題材に書くとしたら…」とすぐ文章構成を考えるクセがついてきたように思う。
そして、少なくとも31個分、いつか記憶が薄れ、忘れてしまったかもしれない日々の感情を形にして残すことができたのは良かった。
【書き方編】
毎日何かしら書くネタはあるものだと気付く
書くネタについては、何度か、「もう本当に思いつかん!」とか、「もう疲れて何も考えられん!」という日があったけれど、何とか絞り出して書くことはできた。日々何かしら書く題材は転がっているものだと気付けた。
それは、「書く習慣」プログラムで、いしかわゆき(ゆぴ)さんの講義から学んだことも影響している。毎回ちゃんとした記事を書かなきゃ、という意識のハードルを下げ、いまできる範囲でとにかくアウトプットすることを優先しようと思えるようになった。あとは、純粋に自分のために書いていいと決めてしまったことで、書く内容は格段に広がった。
書くスピードは依然として課題
私は、その日書く内容を考えながら生活し、ストーリーの大枠を考えた上でパソコンに向かうようにしていた(ノープランで始めると無駄に時間がかかる)。私が書くのは、子供たちがプリスクールに行っている間。送り迎えを差し引いて2時間半。この貴重な一人時間にやりたいことは書くことだけではないので、毎回大急ぎで書いていた。
その日のテーマや文字数、気力にもよるけれど、平均すると、2000字程度の記事を書くのに1時間半くらいかかった。ものによってはそれ以上。速く書けるようになりたい。目標としては、45分で書いて15分で修正や写真などを整えて、合わせて1時間くらいで書けたらいいなと思う。時々、つらつらと制限時間を意識せずに書いてしまったこともあったけれど、タイマーを使うといいと書いているnoteを先日見て、なるほどと思った。
【中身編】
毎日本気の記事を書くのはめちゃしんどい
やっぱり毎日書いていると、その日のコンディションや持ち時間などもあり、低出力で書く日も出てくる。前述のとおり、いまできる範囲でアウトプットすることを主眼に置いているから、それはそれでいいという整理なのだが。でも、投稿した後で、「ああ、不本意…。(でもこれが今の力なので仕方ない)」と思うことが何回かあった。
書く理由を整理しておいて良かった
不本意な投稿には、ほとんどの場合、スキがあまりつかない。まあ、そんなものだろう。そもそも、私は2年前にnoteを始めたけれど、最近ようやく本腰入れて書き始めたほぼ初心者。毎日投稿しても、スキの数がぐんぐん伸びていくわけでもない。
最初は、このスキの数に心を振り回されていた。スキが極端に少ないと、無意味なものを生み出してしまったようで精神的にしんどかった。だが、いまは平気になっている。いや、平気というのは違うな。心折れない程度に、心の整理がつくようになった。
そりゃ読んでもらえて、スキしてもらえれば嬉しい。一人でにやにやしてしまうし、次のnoteを書く原動力になる。でも、書くインセンティブを他者の評価に委ねない方が続けられる。
そのためにも、最初にも書いたが、自分にとっての書く理由をちゃんと整理しておいて良かったと思っている。(もっとうまく書けるようになりたい気持ちは強く持っているけれど。)
一番の読者は自分でありたい
というわけで、いまは、他者の評価=スキの数に、それほどとらわれずに書いている(つもり)。
でも、スキの数にかかわらず、自分のnoteを後で読み返して、この記事つまんないな、と自分で思ってしまうのは非常にしんどい。スキがつかなくても、自分の思いが乗っていることが自分ではちゃんと感じられて、読み返すたびに少しでも心に響くものがあれば、私はそれでいいと思っている。でも、それすらもないと救いようがない。自分で認められないのが一番きつい。
一番の読者は自分でありたいと強く思うようになった。
やっぱり大事なのは中身
とはいえ、最後にやっぱり人の目を意識したことを書く。
読まれるためには、読みやすい文章を書くとか、わかりやすい文章構成にするとかいうこともあると思うが、やっぱり一番大事なのは中身だなというのが私の感想である。「いい話」であっても、予定調和的なものはふーんで終わるような気がする。整えられていて、きれいすぎるものとか。
自分にとって本物の経験を語っているか。本当に感じたことを正直に書いているか。それは読者には伝わるし、隠せない。読めばわかる。フォロワー数が私と3桁くらい違う人も同じようなことを言っていて、ものすごく納得した。
あと、テーマにもよるが、概して、うまくいった経験よりも、失敗から学んだことの方が、人は興味を持つのかなと思う。私も器用な人が器用にやり遂げた話より、不器用な人が紆余曲折を経てやり遂げた話の方が読んでみたい。
私が今後書いていきたいのはこういうところかなあと考えている。自分の生活や人生で起こったことや、大切な人・もののことを本音で書く。自分の人生を振り返って、自分の経験に改めて意味を持たせていく作業は、私のこれからにとっても意義あることのように思う。
もう一つ心にあるのは、家族の歴史やエピソードを取材して書いていくこと。世間の需要は全くないだろうけれど、私と私の家族には大きな意味がある。亡き祖母も文章を書いたり短歌を作るのが好きだった。今度日本に帰ったら祖母が書き残したものを読ませてもらって、私なりに文章にまとめられないかなと考えている。こういう思いが湧いたのも、書くことが身近になったから。
ちなみに、毎日noteをこれからどうするかは、まだ決めていない。でも、これからも書き続けたいなと思う自分がいる。その辺は、この週末にでもゆっくり考えようと思う。
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