2022/02/22

 勤務から四時間経つ頃にはもう既に店長と話すことはなくなっていた。研修は合計四日分。時間にすると最低でも三十二時間はある。想像してみてほしい。初対面の人間と二畳程度の空間に数十時間詰め込まれる経験を。およそ一般的な社会性を身に着けた人間であるならば、僕の気まずさに共感することができるはずだ。初めのころは出身の話だとか、前歴の話だとかを聞けばそれで済んだ。店長は青森県出身で、十八のときに上京してきたそうだ。それからデリヘル嬢のスカウトやら店舗スタッフをやっていたらしい。収入はうなぎのぼりで、けれども上司と休日に会うのが面倒で辞めたらしい。と、こんな話を聞きながら最初は「へ~」とか「そうなんですね!」とか感情のある相槌を打っていたが、途中からはもう無理。ほとんどアルゴリズム的に計算された適切な相槌を用意するだけで、もうそれはペッパー君に等しい状態である。しかも、末っ子ということもあって、人の話を聞くのは元来、嫌いだ。四時間経つ頃には日サロで焼いたという褐色の良い肌色も相まって、彼の姿が十円饅頭にしか見えなくなってきた。箱根温泉の土産屋にあるあれである。そういえば、随分と箱根温泉には行っていない気がする。最後に行ったのはいつだろうかと思い出すと、あれは大学二年の初夏であった。免許もまだ持っていない恋する二人は鈍行にて、小田原へと旅に出て、名も知らぬ宿に泊まった。あれはあれで、それなりに楽しかったけれど、次からはよくプランニングをすべきだと悟った。旅はほとんど計画で決まる。
 そもそも店長と会話を展開しなければいいのだけれど、話そうが話さまいが疲れるならば僕は圧倒的に前者を取る方針である。人間は情報の塊であるから聞いておいて損はない。しかし、残るは少なくとも二十八時間。終いには店長の血液型がRh-であるかどうかまで聞くことになりそうなので、先が思いやられる。

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