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辞表提出

実際に幼稚園に行ったことでたくさんの気づきがあった。

This is my wife!

なにより最初に妻に感謝。

早速その日の夜、家に帰り妻に話をした。

これまでの約半年間の長れをおさらいして話し、もちろん裏付けなどない僕の感覚上の話ではあるが、今回の挑戦のリズムとタイミングがとてもいいということを伝えた。

妻もそれには同感してくれた。

そこで僕は思い切って仕事を2020年末で辞めて、本気で2021年から独立してトライしてみたいと話した。

それに対して妻はこう言ってくれた。

「思いっきりやってみなよ!」

「きっとGeshiにはそれが合ってるよ!」

なんてすばらしい妻なんだ。

結婚してからの3年間の間に、すでに1度転職をしている。

その時も妻は結婚したばかりなんだからというような根性論で続けてほしいとは言わなかった。

むしろ、そんな会社辞めてしまえと言わんばかりに僕の心を大切にしてくれた。

そしてすぐその2年後に、また僕のわがままを快く聞いてくれたのだ。

その間には息子も生まれ家族も増えている。

生活だってしていかなければいけないし、さらにお金がかかることも増えるだろう。

それなのにも関わらず、妻は僕の背中を快く押してくれた。

妻はこの時時短勤務ではあるが医療の仕事をフルで続けていて、そのおかげで家族は安定して生活できている。

「本当にありがとう」

心から感謝している。

そして、絶対に成功させてみせる!

独立の決意

僕は実はまだこの時点ではすぐに会社を辞めたくないというのが本音だった。

なぜなら、辞めてしまったら僕の収入がなくなるからだ。

理想としては、このまま会社勤めをしながらまこと幼稚園でお試しレッスンをさせてもらいながら、そのフィードバックを考慮してコンテンツをある程度完成させ、他の園にも契約が取れるレベルになって辞めるというプランだ。

そうすれば収入が途切れることなくスムーズに移行できるのである。

しかし、なぜこのタイミングでもう会社を辞めると決断したかというと、

お試しレッスンが平日しか出来ない

ということが理由だった。

一般会社員の僕は平日仕事、土日祝日が休みという通常のシフトで働いている。

副業が認められていない中で、堂々と他の仕事が出来ないとなれば頻繁に休むことも出来ないし、常にこそこそ裏で動くのも気持ちが悪い。

平日自由に動けないとなれば、せっかく協力してくれる園が見つかってもレッスンをすることが出来ないのだ。

こうなったら、いつまでたっても先に進めない。

だから自分の本気度を試す意味でもリスクを取って思い切って辞めるしかない。

そう決めたのだ。

この日は2020年11月半ば。

今なら2020年の年末に退職すると伝えても問題ない時期で在ろう。

そこで僕は辞表を作成し、タイミングを見計らって会社に提出することを決めた。

そして、辞表を準備して会社に向かった。

この日は会社で月に2度ほど行っている既存顧客向けのオンライン商品説明会の日。

毎回営業担当が変わり社長と一緒に、商品のコンセプトや使用方法などを説明する。

そしてこの日は僕の番だった。

社長と朝軽い打ち合わせをすることが決まっていた。

そこで僕は、社長にこの日説明会が終わったら話があると、その時点で伝えようと決めていた。

説明会の前に伝えたら説明会がやりにくくなるのではと考えたからだ。

僕はこれまで完全にこの独立計画を隠して水面下で進めていた自信があったので、会社としては僕がこのタイミングで辞表出すなんて予想もしていないであろうと考えていた。

社長はかなり驚くだろうし、どういう答えが返ってくるかは正直わからなかった。

というのも、僕は海外事業部に所属してはいるものの、実際にこの時点で海外事業案件を行っているのは僕一人だった。

以前は中国担当の女性がもう一人いたが退職した。

そのため僕が退職するとなったら今後海外事業をどうするかという問題が出てくる。

もちろん後任者を探すという選択が普通だろうが、僕の中ではその可能性は薄いのではないかと考えていた。

その理由としては、我ながら僕はこの会社の商品のコンセプトのみならず、もはや社長の哲学のようなものをとても理解している自信があったし、社長もそれを理解しているという自信もあった。

だから、英語や中国が話せれば誰でも僕の変わりが出来るといった状況ではないと自負していたのだ。

そこで、僕には考えがあった。

それは、退職後も海外案件に関しては業務委託という形で対応させていただきたいという提案だ。

会社としては、コロナの影響で海外事業がストップしてしまったので、その間僕に国内事業も対応させるという判断をしている状態だった。

ということは、実際は国内事業に関しては必要以上に人件費をかけているという状況である。

であれば、僕がいなくなれば無駄なコストは削減できる。

そして僕としても、会社を辞めても少しでも既存の海外顧客で売り上げを上げてそこからの収入が期待出来れば、独立しても完全に収入が途絶えるわけではなく、新しい事業メインに打ち込めるというとてもWinWinな関係を築けるのではないかと思った。

尊敬する社長

そしてその時がやってきた。

社長と朝面談を済ませた後、実は今日は話したいことがあるの説明会の後に時間をもらえるかと聞いてみた。

すると社長は、真剣な面持ちで、

「えっ、なんですか?」

「今言ってくださいよ、気になるから。」

予想外にそう言われた。

一瞬迷ったが、まあそういうならもう隠しても仕方ないということでこの時点で話をすることに決めた。

そしてついに、伝えた。

「実はこの度退職しようと思っています。」

その言葉を聞いての社長のリアクションは僕の予想通りだった。

「えっ!どうしたんですか?」

ものすごい驚いた様子で食い入るように聞き返してきたのだ。

僕は僕の考えをすべて話した。

会社のコロナ渦での対応に不満があったという話はしなかった。

ただ、自分には挑戦したいことがある。

退職に関してネガティブな要素は一切ないと伝えた。

そしてもう一つ、退職後も海外案件に関しては対応させていただけないかと話をしようとしたその時、社長からこう言われた。

「海外はGeshi以外に誰か後任者を探そうなんて考えられないですよ。」

僕は嬉しかった。

ほんの2年間ではあったけれど、本当に社長とよく一緒に海外出張に行った。

ほぼ毎月国際線に乗る日々が2年間続いていた。

社長はその時間がとても有意義で、その時間に助けられたと言ってくれたのだ。

会社を経営しているといろんなことが起こるのだという。

僕にはまだ理解できないことだが、会社経営を長く続けることは、おそらく一般的な感覚では難しいのだと思う。

必ずしも誰よりも優秀でなければいけないということではないのかもしれないが、いい意味で頭のネジが一本抜けてないと務まらないのかもしれない。

そんな中でたくさん否定されることもあるし、裏切られることもある。

社員だって出入りが激しいし、僕に関しても例外ではなく、やっと2年で育ってきたばかりだというのにここにきて辞めていくのだ。

しかし社長は、僕と海外出張にいった時は、そういったしがらみを一旦忘れて、頭を整理することが出来たのですごくいい時間だったと言ってくれた。

そして、僕からの提案をする必要はなかった。

社長の方から、今後もできれば海外案件に関しては対応してくれないかというオファーを頂けたのだ。

僕はもちろん、

「是非よろしくお願いします!」

そう力強く答えた。

こうして僕の退職は決まった。

残りの約一カ月は、国内で対応していたお客さんの引継ぎを他の営業社員に行うことがメインの仕事になる。

最後までしっかりやり遂げよう。

そう心に決めた。

そこから数日後、電話が鳴った。

日進まこと幼稚園の野尻さんだった。

「Geshiさん、お試しレッスンやりましょう!」

「12月15日はどうですか?他の先生たちにも言っておいたのでとりあえずまずやってみましょう!」

僕は大きな声で答えた。

「ありがとうございます!是非よろしくお願い致します!」

もうコソコソする必要はない。

心の準備は整った。

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