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一生をかけて誰かを愛するということ

先日友人から映画のような素敵で切ない話を聞いた。

友人が務める会社の事務所に年配の女性と思われる人物から電話があり『どうしても社長と話したい、社長のお兄さんは元気か教えてほしい』と聞かれたそうだ。

社長が外出中だったため、あとで折り返し連絡すると伝え、後で社長に尋ねてみたが、この女性の名前に心当たりもない、とのことだったので、間違い電話もしれないと特に気にかけずにいたが、その次の日も同じ女性からの電話はかかってきた。

またしてもたまたまその時間帯に社長は事務所から出ていたので、「折り返し連絡します」と答えたのだけれど、

「この番号は病院の電話なので、折り返してもらっても出られない、余命ももうあまりなく、いつ急変してもおかしくない状態ので、もうかけなおしてもらわなくても大丈夫です。ただ、社長のお兄さんに1つだけ伝言してほしいことがあるのだが」と彼女は話し始めた。

確かに声はとても弱弱しく、体調はあまりよくなさそうだったが、彼女が語る〇〇さん、というのは確かに社長の兄の名前と一致していた。

「社長のお兄さんに『50年前の手紙の内容は真っ赤な嘘でした。本当はあなたのことを心の底から愛していました』と伝えてほしい。」

「私と〇〇さんは身分があまりに違いすぎて、私の両親が結婚を認めてくれなかった。だから、私はあなたのことを愛していない、結婚できません、という内容で無理やり手紙を書かされた。」

話を聞くに、彼女はかなり上流の家庭の生まれのようで、電話番号も会社の事務所から遠く離れた県のものだったので、あくまで想像だが、恐らく地元から離れた名家のようなところに嫁ぐことになったのではないだろうか。

「手紙に書いた内容の中に真実は1つもないです、〇〇さんのことが本当に好きでした。生きている間にこれだけをどうしても伝えておきたかった。」

もし〇〇さんと連絡が取れるのであれば、と言って彼女は妹の連絡先を告げて電話を切ったそうだ。

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僕には50年間ずっと人を愛し続けるということがどういったものなのか想像がつかないし、それほどまでに愛した人に『あなたのことは愛していない』と偽りの手紙を書いて結婚を断らなくてはならない、というのは本当に身を割くようにつらいことであったに違いない。

結局最後に彼女は一生を懸けて愛した想い人に真実は伝わったのか、あるいは最後に一言会話を交わすことなどできたのか、僕はこの話がどうなったかを知らないし、そもそも恐らくお互いに家族がいて、この何十年間全く別々の人生を生きてきたはずで、この2人の人生はもう交わらないままそれでよし、とすべきことなのかもしれない。

詳細のストーリーがわからないからこそよりドラマチックに聞こえる部分もあるかもしれない。

ただ、僕はこの話を聞いて正直少し羨ましく思った。

結ばれることはかなわなかったかもしれないが、自らの人生の終わりを目前にして、最後に思い出せるような人がいるくらい、一生を懸けて誰かのことを愛せるような人生。

安易にこれを『幸せ』と呼んでよいのかはわからないし、軽々しく自分もそのような人生を送れたら、とも言えないが、それでも大切な人への想いをずっと秘めつつも燃やし続けた彼女の人生に対して、尊敬と同時に少しばかりの憧れのような気持ちをどうしても抱かずにはいられない。

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