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白く染まる世界の中で、北の幸に心踊る。

「郷土料理 こふじ」2021年1月8日(金)

白い山々の稜線の向こう側に、清透な冬の空が果てしなく広がっていた。

そこに何かを託するように夢を見た。
天と地を分かつ場所へ、風のように、雲のように、幸福を連れ立って旅立つボヘミアンのように。

行き交う車が踏み固める雪は、時折白い砂塵のように宙を舞う。
それは光を浴びると天使のような輝きを放つも、身を切るような冷酷を刻んだ。
何故、外を歩いているのだろう?
地下歩行空間を歩めば、それはそれで快適だろうに。
氷点下の13時。
閑散とした街中の朽ちたビルの片隅で、古びた暖簾がはためいていた。
身をすくめがら、地下へと伸びる階段を久方ぶりに降りてゆく。
外界からは想像もつかない賑わいに心揺らぐも、カウンターの空席に身構えた。
多様な焼き魚のメニューに魅了され、翻弄され、女性スタッフを呼ぶ只中ですら迷った挙句に、
「刺身定食」と口走ったことに気づいた。
その間にも、次々と客が訪れ、各々が異なる焼き魚の定食を注文していることに、
どこか後悔とも異なる憧憬のようなものが込み上げる自分に苛立った。
それも束の間、「刺身定食」の登場は焼き魚への憧憬を微塵にも破壊した。
小ぶりながらも鮮度の高いマグロ、かんぱち、アジ、ホタテ、イカ刺し、そして豚汁の温もりは、
北国に住まう者のささやかな贅である。
が、この災禍の中で食べ放題だった「イカの塩辛」が姿を消していた。
思わず、『イカの塩辛をいただけますか?』と尋ねると、すかさず小皿で現れた。
それぞれの刺身と「イカの塩辛」のローテーションを組みながら、ご飯を頬張り、熱を帯びた豚汁を啜る。
刺身とは不思議なものだ。それ自体では空腹を埋められないとしても、満足を得ることができるのだ。
“『生きている』というのは滅多にあることではない。ほとんどの人がただ『存在している』だけなのだ”と、オスカー・ワイルドという詩人は実存を語った。
その格言は、“生きていることは食しているだけなのだ”とも言い換えられよう。
「刺身定食」を完食した後に訪れたものは、小さくて瞬く間に消えゆく生、つまり幸福であった…

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