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【人生最期の食事を求めて】なにわ伝統の“肉吸い”への高鳴る欲求。

2023年11月22日(水)
千とせ本店(大阪府大阪市中央区難波千日前)

どの街にも四季の表情というものがある。
賑やかで忙しない大阪の四季においても仄かな階調を伴って街の風景を変えていた。
朝は幾分肌寒さを覚えるとは言うものの、上着1枚着ていれば凌ぐことが容易い。

天気予報では連日最高気温が20度前後まで上がると報じている。
20度もあればダウンコートやマフラーなど不要のはずなのに、地元の人々の重装備は寒いということに対してではなく、11月下旬という理由にしか思えない。

川のある街は独特の風情がある。
水都と称される大阪もまた同様で、林立するビルの影を反映して緩やかにたゆたう川面に陽光が射すとどこか物悲しい情景を醸し出す。

振り返ると、やしきたかじん、上田正樹、桑名正博を代表とするミュージシャンがこの街を歌ったことは避けがたい必然性があったのかもしれない。

長い散歩に出よう。
私は心の中で固く誓うように自分に言い聞かせた。
見知らぬ街、不慣れな街をひたすら歩くことが私は好きだ。
その街が放つ風情や空気感に思うがままに包まれながら、スマートフォンのマップアプリではなく勘を頼りにひたすら歩くことが好きなのだ。

通勤する会社員の姿が目立つ肥後橋を渡り、靭公園を通り過ぎる。
大阪市道南北線に連なるビルに反射する朝日は、今年の夏のそれとは全く異なる穏やかな優美さを称えていた。
次第に街の表情は変わり、通り過ぎる人々もどこか賑々しい。
外国人観光客の姿も其処此処に見受けられるようになった。
そこは四ツ橋界隈だった。

さらに南へと歩を進めると異様な空腹を覚えた。
朝食を食べていない状態でひたすら歩き続ければそれもそのはずである。
私の脳裡に浮かぶ選択肢はうどんかお好み焼きだった。

道頓堀にまで歩みを進めると、そこはすでに混沌とした人の塊が覆っていた。
それを避けようと千日前中央通り商店街に入った。
そこに点在するうどん屋やラーメン店に惹かれることないままになんばグランド花月の前を通り過ぎた時、私の中である想起が波のように押し寄せてきた。
それは“肉吸い”だった。
幾度となく店に向かっては長蛇過ぎる列に断念を繰り返した苦渋の波が。

道頓堀

千日前道具屋筋商店街のか細い路をすり抜け、路地を通り、その店の前に辿り着いた。
10時30分になろうとしていた。
ちょうど開店待ちというタイミングでありながら、すでに十数人の待ち人が店を包囲するように立ちずさんでいる。
店内はおろか先頭の様子すら把握できないまま、私は列に参加することにした。

この地に暖簾を揺らしてから50年以上を経た「千とせ本店」は元来は肉うどんが看板メニューだったが、吉本新喜劇の俳優が「肉うどん、うどん抜きで」と注文したことをきっかけに生まれた「肉吸い」は、今や揺るぎないメニューとなったという。

千とせ本店

その肉吸いを求めて、皆一様に寡黙を貫いていた。
スーツケースを引きずる会社員や観光客が行列の主な構成だった。

その行列はあたかも牛歩のようにしか前進しない。
しかし、忍耐強く待ち続ければもうすぐ入店することができるのだ。
店員が扉を明けて人数を確認する度に一人また一人と店内に吸い込まれてゆく。
それは私も同様だった。
「何名様ですか?」
と滋味深い女性店員が扉を開けながら尋ねてきた。
「おひとり様ですね。相席でごめんなさい」
私は聞き流すように店に入った。
左手にある自動券売機で「とうふ入り肉吸い」(850円)と「大玉」(250円)のボタンを押した。

静穏な店内は行列の寡黙にも劣っていなかった。
BGMもテレビもラジオの音などなく、支配しているのはうどんを啜る音、肉吸いの汁を啜る音だけだった。

とうふ入り肉吸い(850円)と大玉(250円)
とうふ入り肉吸い
大玉

すぐさま私の目の前に、とうふ入り肉吸いと大玉という玉子かけごはん大盛が置かれた。
うるめと鰹をベースにした香りが丼の上で揺れ動いている。
青ネギ、牛肉、その脇に垣間見える豆腐それぞれの存在は混濁と調和という境界線の狭間で揺れ動いているように見えた。
汁を啜る。
牛肉が放つ甘さが汁を通して主張しつつも出過ぎた真似は一切ない。その脇役を担っているのが豆腐であることは言うまでもないだろう。
そうするうちに、次は玉子を解き、「玉子かけごはん専用醤油」を幾分落としてご飯を啜った。
玉子かけごはんの役割は、肉吸いの甘さに打ち勝つことではなく引き立たせながらも飽きさせないことにある、と私は勝手に解釈を進めた。
この大量の牛肉も玉子かけごはんがあってこそ成立するのだ。
そう、それは肉吸いと玉子かけごはんの短い会話劇と言っていい。

滞りなく完食し、入口とは異なる出口専用の扉から再び細い路地に出た。
先程よりもさらに長く伸びる行列を横目で見ながら、私は道頓堀の方角へ再び足を向けた。
頭上から降り注ぐ日差しの強さを感じた。
私の中で何か不可思議な幸福感が満腹と入れ替わって膨れ上がるような気がした……。

再び道頓堀へ

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