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今年の聞いた・見た ~2023年のコンサート行脚を振り返る~

 早いもので年の瀬、とはよく言うけれど、今年は中々に長く感じた1年だった。仕事の多忙さもあれど、「年間50公演」というのを気にしてみると、社会人でこの数をきちんと行くのは中々に大変だ。

 とはいえ50近い(大小合わせればそれ以上)公演を(自分のお金なのである程度自由な気持ちで)回ると、1年での見聞の広がり、深まりはとんでもない幅になる。
 好きな奏者に再び出会い良さを実感するとともに(葵トリオ、カントロフ、北村朋幹、庄司紗矢香、江尻南美)、若手奏者の音を間近で見て知り(藤田真央、リシエツキ、ユンチャン・イム)、そして王道の力強さも味わった(デュトワ、シフ、パユ)。
 一方で新たなジャンルを見てその魅力に気づくとともに(古楽、声楽、ロックライブ、日本舞踊、マスタークラス)、クラシックの既知の部分でも作曲家への傾倒でよい演奏に出会った(ショパン、シューベルト)。

 少し長くなるかもだが、特によかった演奏を中心に、今年のコンサート行脚を振り返っておこうと思う。

若手ピアニストの輝き ~藤田真央、リシエツキ、リッテル~

 今年は特にピアノをよく聴いた年だった。これまでも勿論好んでいくジャンルの一つだったが、特に今年は比重が大きかった様に思える。
 更に言えば若手ピアニストの音を間近に観る機会には恵まれた。実演に接するとその技術もさることながら、十分な解釈で聴かせてくるその音楽性にも目を見張る。

 年明け早々の藤田真央リサイタル(1月19日・横須賀芸術劇場)は、約1年が経とうとしている中でも衝撃が強い演奏会のひとつとして記憶が薄れない公演。
 沈み込んでいくようなモーツァルトで引き込まれ、リストで叩きつけられ、後半のブラームス・クララ・ロベルトの繋がりで引きずり回される。カントロフを初めて聞いたときは、幻想的な世界を自分の翼で飛び立っているようだったが、藤田はもっと強烈に引きずり回してくる。それを冷静にやっているのが音のクリアさ・音楽の明晰さから見えてくるのだから、ある意味サイコパス性すら感じた演奏。
 この日は野島稔先生の追悼記念としてトークショーも開かれたが、おかげで野島先生のピアノ演奏に出会えたのも非常に良い機会だった。

 また今年前半で忘れられないのは、ヤン・リシエツキのオール・ショパンの公演(4月7日・東京文化会館小ホール)だ。
 Op.10のエチュードにノクターンを絡めて進める音楽は、彼自身の中のショパン像の表出そのもので、劇的に組まれた構成、弱音を重視した演奏、ともに心をつかまれる一夜だった。

 新しい出会いとしては、トマシュ・リッテルのフォルテピアノ公演(6月12日・北とぴあ さくらホール)も衝撃的だった。アクションの限定されるフォルテピアノであれほどまでに多彩な表現を引き出せるのか、かつショパンの表現としてもこれほどまでに見事な演奏があるか、と、両方の軸で新鮮かつ目を丸くしてしまう内容。バラード第3番は特に見事、下手な裏切りが(演奏技術的に致し方ない瑕、というレベルも含めて)全くなく、心地よいままに音楽が上下するさまは、この曲のすべてを明らかにするような演奏だった。

作曲家 ~ショパン、シューベルト~

 実は今年はとにかくショパンの良いものを聴いた1年だったとも思う。リシエツキ、リッテルや、歌に満ちた長富彩(6月16日・浜離宮朝日ホール)、憑依系でのめりこむ山本貴志(6月26日・ヤマハホール)ゲヴォルギヤン(9月6日・浜離宮)の若さに満ちたショパンもよかったが、これらを聴いた後だと少し見劣りしてしまう、というのは自分自身にとっても正直残念なほどだった。

 同じくらい良いものを聴いたのがシューベルト。来年1月に自身が演奏会を控えるのもあり、これでもかと聞き込みつつ、一方でシューベルトの音楽自体が心の琴線にストレートに触れることが多く、聞く機会がおのずから増えていた。

 その中でも特別に素晴らしかったのがホリガー指揮・水戸室内管弦楽団の「未完成」(10月22日・水戸芸術館)だ。むしろオーボエに期待していった公演だったが、とにかくこの未完成にやられた。細やかな工夫が強烈ながらも、それらをもって音楽全体を大きく彫塑するホリガーの指揮。そしてそれらをすべて音楽に仕上げるとともに、美しい旋律たちも実に見事に聞かせるそのオーケストラのすばらしさ。仕事で代打を頼まれて偶然行った水戸で、仕事が想定よりも早く終わったことで無事に間に合い、と、偶然が重なって公演に行けたことも相まって、今年1,2を争う演奏会の記憶になっている。

 同様に強烈だったのはカントロフの「さすらい人幻想曲」(10月6日・みなとみらいコンサートホール)。奏者のことをあまり考えていないと称される作曲家の、技術が求められる難曲ともみなされるこの曲だが、カントロフはいともたやすく、本当に簡単に、強烈な音響を持ち合わせながら弾ききってしまう。ブラームスのソナタも凄まじい剛速球だったが、それ以上の衝撃を公演の最後にぶつけられた一日だった。

 シューベルトの中でも比較的昔から聞いてはいたものの、全曲の様相を捉えられていなかった「冬の旅」を、充実の実演で理解できたことも1年での喜ばしい産物のひとつ。浜離宮朝日ホールでのD.ヘンシェルの歌唱(10月19日・浜離宮)は、少々歌唱はオペラ的が過ぎたかもしれないが、そのおかげで若造には強く刺さった演奏だった。「宿屋」の音楽の悲愴と絶望、それでも前へと進まざるを得ないその姿。痛ましくも勁い人間の姿をまざまざと見せつけられた時間だった。

 いろいろ聞き込んだ結果、年の瀬にかけて満足いくシューベルトが減ってきたのも寂しい思いだが、その中でも輝いたのがオピッツのシューベルト(12月15日)だった。素朴に、あたたかな音色で語っていく内容。「さすらい人幻想曲」も演奏されたが、こちらはより歌の記憶が残る演奏。年齢を重ねたことは否めないが、それでも楽曲の芯を掴んだ演奏には満足感を覚える内容だった。

出会い ~古楽~

 今年のコンサート聴体験での新しい出会いとして重要だったのは「古楽」への触れ合いだった。リッテルでその世界に目が開き、大藤莞爾のチェンバロ(6月8日・紀尾井ホール)で耳も潤い、「ブランデンブルク協奏曲」を集中的に聞いたことで本格的にその音楽を聴くタイミングを逃さないように選んでいた。

 レザール・フロリサンのバッハ「ヨハネ受難曲」(11月26日・オペラシティコンサートホール)は楽曲に初めて触れる人間としては非常に意義深く映った演奏会であった。ただ音楽堂でのサヴァール&エスペリオンXXIの演奏(10月28日・神奈川県立音楽堂)の体験は、年間の古楽体験を通してもなかなかに衝撃的なものの一つだった。
 サヴァール自身のガンバももちろんだが、それに増して支えるエスペリオンXXIの3名がとんでもなく上手い。素晴らしいジャズを見るような、時代を超えた音楽の豊かさに触れるとともに、一般的な「古楽的解釈」がなんと軽薄なことかと思ってしまうほど。現代音楽でもそうだが、技術は音に昇華することでようやく音楽の一部となる。ジャンルレスな音楽の本当の姿、というのはこのあたりにあるのやもしれない。

その他 ~オーケストラと弦楽器~ 

 オーケストラを聴く機会は異様に少ない一年だったが、個々の演奏会が濃密な一年だった。紀尾井シンフォニエッタはパスカル指揮・アルトシュテット独奏(2月10日・紀尾井)の曲の愉しみが存分に引き出された演奏。東フィルはプレトニョフ指揮・ユンチャン独奏(2月24日・サントリーホール)のぶつかり合うような期待通りの情熱的な「皇帝」、そしてそれを上回るほどの充実した「マンフレッド交響曲」。N響はノセダ指揮・庄司沙矢香独奏(6月21日・サントリー)で、彼女が数年前のインタビューで「レパートリーにしたい」と語っていたレスピーギのグレゴリオ風協奏曲についに実演で相まみえることが出来た。

 とはいえ特筆すべきは新日本フィルハーモニー交響楽団がデュトワ指揮で繰り広げたプログラム(6月25日・サントリー)だろう。ドビュッシーの牧神・ストラヴィンスキーの火の鳥・ベルリオーズの幻想交響曲と、オーケストラの魅力を最大限に引き出したようなプログラムだったが、それらを見事に描き出すデュトワの手腕に舌を巻いた公演だった。
 正直に言って、これまで行った新日フィルの演奏会ではオーケストラの技量はあまり評価し難いところがあったが、公演に向けての4日間のリハーサルを越えたというこの公演はさすがの一言。作曲家ごとの個性と、それ以上の怖さ・美しさ・艶やかさを存分に引き出したコンビの演奏は圧巻の一言だった。

 ヴァイオリンやチェロの公演も、珍しく余り行かなかった一年だった。その中でも印象深いのは毛利文香・北村朋幹のデュオ(7月17日・神奈川県立音楽堂)。約1年半前の浦安での公演が、コロナ禍で北村の来日キャンセル、代役での演奏となって以来初となるデュオ。その際に感服した芯の通った毛利のVnが、北村の自在な音楽と交わり、色彩感あふれる音楽に。がっぷり四つに組んだR. シュトラウスのVnソナタを中心に、リベンジという意味でも納得な公演な上に、奏者の色が劇的に変わりうるデュオの形態の魅力というものも見えた公演だった。

いくつかの愚痴

 たださすがに50公演も回ると気になる公演も多少は出てくる。

 例えばミューザでのベルリンフィル八重奏団(12月2日・ミューザ川崎シンフォニーホール)。シューベルトの八重奏を中心に組まれたプログラムだったが、肝心の八重奏曲がどうにも緩い印象を受ける内容だった。この日までに既に、ベルリンフィルの公演に加え、Be Philとしての活動も加わり、さらには八重奏団でのツアーもこなしてきたこの面々。ほとんど最後となるミューザ公演は、個々の奏者の魅力はあれど、アンサンブルとしての緊密さの点では精彩を欠いた印象であった。そんな中でも終わったらサイン会があり、なおさらに疲れを憂いてしまう。
 自分の座席が4階席となったのも聴こえに影響しているのだろうが、そもそもこの編成で神奈川芸術協会主催ならば県立音楽堂の選択のほうが間違いないのではないか…(ミューザは満員には程遠い人の入りだったので、音楽堂でちょうどよかった感もある)。
 実力を考えても、SNSの反応を見ても、他公演が同様の出来だとは全く思わない面々。だからこそ、全体的に興行感が強い公演だった。

 また悪い演奏ではないがチケット代と不釣り合いという印象が拭えなかったのはカネー=メイソンのデュオ(12月10日・紀尾井)
 ショパン・ラフマニノフというロマン派の中でも重厚なチェロソナタの2曲。どの曲もまっすぐに聴かせる、といえば聞こえはいいが、悪く言えば平坦。叩きつけるのが目立つ弓、音程面での技術は悪くなく、聞かせたい内容としても理解はできるが、チェロがリズム的にも音量的にも歌わない、というのはなかなかに衝撃的だった。若い奏者のリサイタルとしては理解するが、紀尾井ホールに広く取られたS席が8,000円という価格は正直疑問が残るものだった。
 様々な要素が折り重なってチケット代が決まる中、これまでにも数回の延期があっての本公演とはいえ、宣伝も少なく販売も芳しくなく見えたのもあって、非常に厳しい興行だったと傍目から思ってしまう内容だった。

まとめ

 とにもかくにも、様々な公演を見に行ったからこそ、評価が宙に浮いてしまう公演も出てくる。それだけ文句なく良い演奏会に今年は足を運べたのだろう、と少し自信をもっておこうと思う。

 最後に本当はベスト5などとつけたいところだが、評価軸はさまざまになるのでなかなかベストは決め難い。それでも一応軸を絞って、今年の「行ってよかった」と思う5公演、とするならば以下となるか…

1 ホリガー指揮 水戸室内管弦楽団 第112回定期公演(水戸芸術館)
2 藤田真央 ピアノ・リサイタル(横須賀芸術劇場)
3 トマシュ・リッテル(北とぴあ)
4 ジョルディ・サヴァール&エスペリオンXXI(神奈川県立音楽堂)
5 ゲルハルト・オピッツ(オペラシティ コンサートホール)

 そして勿論、書かなかった演奏会でも素晴らしい・印象的なものは沢山あった。
 吉江・佐山・百瀬の3名のトリオで見せた情熱的なチャイコフスキーのトリオ(7月11日・杉並公会堂 小ホール)、カザルス弦楽四重奏団のバッハ・フーガの技法(11月2日・浜離宮)や、安嶋健太郎のリスト・ピアノソナタ(12月3日・王子ホール)は、あまり理解していなかったこれらの曲を非常に魅力的なものとして輝かせる素晴らしい演奏だった。また、青木調と江尻南美(12月18日・文京シビックホール 小ホール)のブラームスのヴァイオリンソナタ第2番は年間通しても白眉。2楽章の鮮やかさ、3楽章の歌と、この曲で初めて涙を流した、流し続けた時間だった。

・・・

 ヘッダーは、今年U29で幾度となく訪れた紀尾井ホールのクリスマスの情景。赤坂プリンスホテルのイルミネーションが煌々とホールを照らしている。
 来年はついに30歳。数字で見ると途端に不安を越えた恐怖が押し寄せるが、そんな割引の範疇からもほとんど完全に外れて、公演へ足を運ぶことにさらに躊躇するようになっても行きそうだ。
 まだ30歳を迎えていない今だからこそ、好き嫌いをせずに、興味の赴くままに公演に通い、さらに言えば興味を越えた世界を十分に見知っていきたいと改めて肝に銘じつつ、文章を締めるとしよう。

~2023. 12. 28~


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