【読書】『ガラスの海を渡る舟』寺地はるな【一人ひとりが特別な存在】
今でも鮮明に覚えている光景があります。
高校1年生の最初の定期テストが返却されたとき、クラスのある女の子が泣き出したのです。「私はこれまで何だって一番だったのに」と。
可愛くて、運動も勉強もできる彼女は、中学校ではきっと何でも一番だったのでしょう。成績が良かった上、クラスメイトからの人気もあったのでしょう。生徒会や学級委員をやったり、部活で部長を務めたりもしていたと後から聞きました。
高校は、入試により選抜された人たちの集まりなので、中学校のときと同じように努力をしても、一番をとることは難しいです。冷静に考えればわかることですが、彼女がショックを受け、思わず泣き出してしまった気持ちは理解できる気がしました。
「自分は特別な存在ではない」と感じてしまったのだと思います。何かができるからとか、他の人より何か優れているから特別な存在なのではなく、皆が元々特別な存在なのだと、頭では理解していても感情が追いつかないことは、私にもあります。大人になるにつれて安定してきましたが、特に学生の頃、何かあるたびに自分に自信を持ったり失ったり、自分への評価は常に揺らいでいた気がします。
『ガラスの海を渡る舟』(寺地はるな 著)を読んで、冒頭の光景を改めて思い出しましたが、あの子は別に泣く必要なんてなかったのだと、一人ひとりが元々特別な存在なのだと、温かい気持ちになりました。
羽衣子と道
羽衣子と道の兄妹は、ガラス工房を経営していた祖父が亡くなった後、二人でガラス工房を再開します。
羽衣子は、何事も上手くこなせますが、自分には突出したものがないと悩んでいます。一方、道は、曖昧な表現が理解できなかったり、想定外の事態が受け入れられなかったりと、「皆と同じ」ようにすることは苦手ですが、人の心を掴む作品を生み出します。
二人のガラス工房では、ガラスの骨壺を作っています。羽衣子は、死を思い起こさせるものを作るのは嫌だと言いましたが、道が、慕っていた祖父の葬儀の際、手元供養の存在を知ったことをきっかけに、骨壺を作りたいと主張したのです。
ガラスの骨壺を作る理由
羽衣子が次第にガラスの骨壺に対する考えを改め、道と一緒に作っていこうとする理由は、人は誰でもいつか亡くなるものであり、死と向き合おうと決めたこと、そして、大切な人のことをいつでも思い出せるように、骨を近くに置いておこうとする人たちに寄り添う覚悟をしたことだと私は思います。
羽衣子は、自分に理解できないことについては怖いと頭から拒否したり、道と自分を比べて苦しんだりと、読んでいる私の方がもどかしくなるくらい、進むべき方向を見失ってもがいていました。
工房に骨壺を依頼する人たちが抱える事情は様々ですが、皆、亡くした人のことが無条件に大事だから、好きだから、忘れたくないと思うのです。特別な才能があるからでもなく、突出して優れているからでもありません。
羽衣子が地道に日々を積み重ねて、少しずつ変わっていく姿には、心を打たれました。羽衣子が自分で自分を認めることの重要性に気づく場面、骨壺の依頼主である西尾さんにこれからも生きていく希望を与えることができた場面は、非常に印象的で、読んでいて嬉しくなりました。
羽衣子の気持ちの変化を見ていて、才能や能力に関わらず、一人ひとりがかけがえのない存在であり、私たちは一歩一歩、人生と誠実に向き合って進んでいけばよいのだと私も改めて感じることができました。
自信を失いそうなときに
この本は、自分に自信をなくしそうなとき、思い出したい一冊になりました。
私たちは元々特別な存在なのだということを忘れず、焦らず、着実に歩んでいきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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