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【児童文学】『あしながおじさん』


『サクラ咲く』(辻村深月 著)を読んだ私は、マチやみなみが図書室で借りて読む本を久しぶりに読みたくなった。中学生のまっすぐさに心を奪われて、同じ気持ちを味わいたいと感じたのだ。

まず、『あしながおじさん』(ジーン・ウェブスター 著)を読むことにした。マチが借りるのは正確には『続あしながおじさん』の方なのだが、マチは「大好きな『あしながおじさん』の続き」と言っている。


『あしながおじさん』


『あしながおじさん』は、少年少女向けのものからそうでないものまで、様々な翻訳が出ているが、今回は新潮文庫のものを読んだ。

孤児院で育ったジュディは、ある裕福な男性の支援で大学に通えることとなる。その人物は、ジュディが作家になることを期待しており、支援の条件として、日々の暮らしを綴った手紙を書くよう伝えた。

ジュディは、名を明かさないその人物に対し、彼について知っている数少ない情報である「背が高い」との特徴から「あしながおじさん」との呼び名をつけ、あしながおじさん宛てにたくさんの手紙を送る。

この本は、その手紙により構成される作品である。あしながおじさんは基本的に返事を書かないので、ジュディが書いた手紙だけが次々と並ぶ。臨場感あふれる文章に加え、ところどころにジュディが描いたイラストもある。

ジュディは、孤児院という小さな世界から出て、サリーやジュリアといった友人とともに刺激的な大学生活を送る。サリーやジュリアにとって当たり前のことも、ジュディにとっては初めての経験で、すべてが新しい。

さて、「あしながおじさん」の正体は、誰なのだろう。


子どもの頃読んだ『あしながおじさん』


『あしながおじさん』は、子どもの頃、図書館で借りて読んだ覚えがある。どの出版社のものを読んだかは思い出せないが、岩波書店だったか福音館書店だったか、少年少女向けの翻訳で読んだのだろう。

面白かったとは思うが、当時どのような感想を抱いたのかは忘れてしまった。

『赤毛のアン』や『大草原の小さな家』のような、女の子が主人公の物語はどれも楽しく読んでいて、少女時代のアンやローラに感情移入することもあったが、小学生からすると、大学生のジュディはかなり年上であり、まだ知らない世界であるお姉さんたちの生活を覗くわくわく感があったのかと思う。

子どもが「持っていないものではなく手にしているものに目を向け、小さなことにも幸せを感じられるジュディを見習いたい」とか、「自分の手で未来を切り開いていくジュディの強さが好き」といった感想を抱いていたとは思えないから、いや、そのようなことを感じたとしても言語化はまだできなかっただろうから、「ジュディがあしながおじさんのおかげで大学に行けて良かった」とか、「大学生活はとても楽しそう」とか感じていたのだろうか


大人になった今感じたこと


「馬車での遠乗り」「モスリン地のドレス」

このような言葉を目にしたとき、懐かしさが込み上げた。『赤毛のアン』や『大草原の小さな家』などもそうだが、この時代の海外児童文学によく登場し、子どもの頃憧れたものだ。

あしながおじさんの正体には早い段階で気付いたけれど、面白さがそれによって削られることはなかった。

ジュディの前向きさはとても素敵だと感じた。子ども時代の苦労を美化して良いわけではないし、どの子どもも幸せいっぱいの毎日を送ることが望ましいけれど、ジュディのように周囲への感謝にあふれ、目の前にある幸せを噛み締めることができる人は無敵だと思う。

『サクラ咲く』のマチやみなみの読書を追体験して、当時の素直さを思い出したり、積み上げてきた経験によりちょっぴり大人の感想を持ったりしたいなと思う。次は『続あしながおじさん』を読みたい。


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