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昨日?明日?

 ゲルマン語での『昨日』を表わす表現についてです。その他の印欧語も少し触れます。

1 yesterday, gestern, går などに見られる共通の語根について

 『昨日に』は英語では yesterday, ドイツ語では gestern, スウェーデン語では i går (igår と繫げて綴ることもあります), アイスランド語では í gær です。まあ語学的には避けて通れない表現ですし勉強した人はご存じでしょう。英語・ドイツ語では -ter- がついていますが、語源的に関係があると思われています。ここで北欧語の r は母音間の z (< s) が r に変わったものと考えられます(ロータシズム rhotacism)。

 これらはラテン語の heri, ギリシャ語の χθές, アルバニア語の dje などと語根を共有すると考えられます。ゲルマン(祖)語の *g とラテン語の h やギリシャ語の χ とは印欧祖語 *gʰ*ǵʰ から生じたものですね。guesthostis の対応などを思い出してください。また英語の yesterday では g でなく y になっていますが、この yg が硬口蓋化 palatalization を受けたものです。各同根語の比較により印欧語根 *dʰǵʰyes- が想定されます。

 以上の単語は『昨日』(名詞/副詞)を表わすものでしたが、ゴート語や古ノルド語では対応する単語が『明日』を表わすことがあります。これを以下で紹介します。

2 ゴート語での対応語は『明日』を意味する

 東ゲルマン語群に属するゴート語のまとまった資料は基本的にギリシャ語から教父 Wulfila によってなされた聖書の訳になります。勉強する際に Wulfila Project [2]というサイトが便利です。

 この聖書において語根 *dʰǵʰyes- を有する単語は 𐌲𐌹𐍃𐍄𐍂𐌰𐌳𐌰𐌲𐌹𐍃 (転写 gistradagis)で、これはマタイによる福音書6章30節に登場します。

Mat 6:30 
𐌾𐌰𐌷 𐌸𐌰𐌽𐌳𐌴 𐌸𐌰𐍄𐌰 𐌷𐌰𐍅𐌹 𐌷𐌰𐌹𐌸𐌾𐍉𐍃 𐌷𐌹𐌼𐌼𐌰 𐌳𐌰𐌲𐌰 𐍅𐌹𐍃𐌰𐌽𐌳𐍉 𐌾𐌰𐌷 𐌲𐌹𐍃𐍄𐍂𐌰𐌳𐌰𐌲𐌹𐍃 𐌹̈𐌽 𐌰𐌿𐌷𐌽 𐌲𐌰𐌻𐌰𐌲𐌹𐌸 𐌲𐌿𐌸 𐍃𐍅𐌰 𐍅𐌰𐍃𐌾𐌹𐌸, 𐍈𐌰𐌹𐍅𐌰 𐌼𐌰𐌹𐍃 𐌹̈𐌶𐍅𐌹𐍃 𐌻𐌴𐌹𐍄𐌹𐌻 𐌲𐌰𐌻𐌰𐌿𐌱𐌾𐌰𐌽𐌳𐌰𐌽𐍃?
(転写 jah þande þata hawi haiþjos himma daga wisando jah gistradagis in auhn galagiþ guþ swa wasjiþ, hvaiwa mais izwis leitil galaubjandans?)

 ギリシャ語聖書では以下のようになっています。

εἰ δὲ τὸν χόρτον τοῦ ἀγροῦ σήμερον ὄντα καὶ αὔριον εἰς κλίβανον βαλλόμενον ὁ θεὸς οὕτως ἀμφιέννυσιν, οὐ πολλῷ μᾶλλον ὑμᾶς, ὀλιγόπιστοι;

 詳しい解釈は省きますがゴート語の gistradagis が太字にした αὔριον の部分に対応していて『明日』の意味になっていることが分かります。dagis はもちろん dags の単数属格ですね。dags との複合名詞を属格にすることで副詞としての用法になっているわけです。ちなみに himma daga は与格を使うことで『今日』の意味になっていてで、ギリシャ語 σήμερον に対応しています。

 該当部分の訳を知りたい方の為に岩波文庫の『福音書』から引用します。

きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ! [6]

 ちなみにコリント人への第一の手紙15章32節でも αὔριον が出てくるのですが、ここでは maurgina で訳されています。ドイツ語の morgen と同じですね。

3 古ノルド語での対応語が『明日』の意で使われる例

 古ノルド語で í gær は基本的には現代アイスランド語と同じく <昨日> の意ですが、詩などで <明日> の意味になることがあります

 今回はその例をハムジルの歌 Hamðismál から引用します。ハムジルの歌は『詩のエッダ』の最後の英雄詩、ですから全体の中でも最後のものです。この詩ではニーベルング伝説が題材になっており、英雄 Sigurður の妻 Guðrún による東ゴート王 Jörmunrekkr への復讐が取り扱われます。例によって詳しくは調べてみて下さい。

 さて以下が問題の部分で Guðrún の後妻の子 Sörli によるセリフです。

29.
„Ekki hygg ek okkr
vera ulfa dæmi,
at vit mynim sjalfir of sakask
sem grey norna,
þá er gráðug eru
í auðn of alin.
30.
Vel höfum vit vegit,
stöndum á val Gotna,
ofan eggmóðum,
sem ernir á kvisti;
góðs höfum tírar fengit,
þótt skylim nú eða í gær deyja;

kveld lifir maðr ekki
eftir kvið norna.“

さて上で強調した2行の部分だけ考えてみたいと思います。

góðs höfum tírar fengit,
þótt skylim nú eða í gær deyja;

一語ずつ解釈していきます。

・góðs; 形容詞 góðr <良い> の単数属格。スウェーデン語の god や英語の good やドイツ語の gut と同根です。

・höfum; 完了の助動詞 hafa の直説法2人称複数。

・tírar; 男性名詞 tírr 「栄光」の属格。góðs に修飾されています。間に動詞が入っていますが古語では珍しいことではありません。あまり見ない単語ですがドイツ語の Zier と同根のようです。

・fengit; 動詞  <得る、勝ち取る> の完了分詞(= 過去分詞中性単数主対格)。はスウェーデン語の やドイツ語 fangen と同根の動詞で対格を目的語に取りますが、属格の名詞を目的語をとることがあります。

・þótt; þó at の縮約です。譲歩 <であっても> を表わす接続詞です。þó はドイツ語の doch やゴート語の 𐌸𐌰𐌿𐌷 (転写 þauh) と同根です。ノルド語では語末の h が消失したわけですね(上の , , fangen の対応でも実は同じことが起きています)。

・skylim; 助動詞  skulu <shall> の直説法2人称複数

・nú eða í gær; 問題の箇所です。nú eða は <今、または、> の意味です。

・deyja; 動詞 deyja <死ぬ> の不定詞です。スウェーデン語の や英語の die と同根です(ドイツ語では餓死する意の sterben で置き換えられています)。

以上をまとめて gær 以外を訳すと以下のようになります。

我らが今日や〇〇に死すとも、高き誉れを勝ち取ったのだ。

 さて、この〇〇 (gær の訳が入るべきところ) に『昨日』を入れたらどうですか?セリフの中で『昨日に死すとも』というのはおかしいですよね。ということで『明日』と訳すのが自然と言えます。

4 なぜ『昨日』が『明日』の意味になるのか

 『昨日』と『明日』に共通する性質を考えましょう。もともと『今日とは別の(隣接した)日』の意味を持っていたと考えると説明がつきますね。実際、DUDEN の語源辞典 [3] にも Pfeifer の語源辞典 [4] にも OED [5] にもこう仮定すると~という記述があり、よく唱えられる説のようです。

 ただし OEDでは個別言語内でこのような類の意味変化をすることも稀な現象ではない(ので確証は持てなさそう)といった記述があります。例えばラテン語の perendiē  <明後日> は <一昨日> の意味でしばしば用いられていたようです。

参考文献

[1] Wulfila project
 ゴート語の聖書のテキストを確認できます。

[2] A Concise Dictionary Of Old Icelandic (Zoëga)
 著作権が切れているためインターネット上で見ることが出来ます。

[3] Das Herkunftswörterbuch (DUDEN 7)

[4] Etymologisches Wörterbuch des Deutschen
 Pfeifer の語源辞典が主なソースになっているようです。

[5] Oxford English Dictionary

[6] 塚本虎二訳 「新約聖書 福音書」 (岩波書店)

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