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500年前のスウェーデン語で『主の祈り』

1 主の祈り

 「主の祈り」をご存知でしょうか。『天にまします我らの父よ~』です。新約聖書の『マタイによる福音書』第6章第9節~第13節 (Mat6:9-13と表記) のものが有名です。

 Mat6:5-15が主の祈りについての部分で、5-8節で祈り方について述べ(偽善者のようであってはならない)、第9節の前半で

だからあなた達は、このように祈りなさい。――

([1, 83頁]より)

 と、その後の主の祈り本文(第9節後半から第13節まで)への導入を行っています:

わたしたちの天のお父様、
お名前がきよまりますように。
お国が来ますように。
お心が行われますように、
  天と同じに、地の上でも。
その日の食べ物をきょうも、わたしたちに戴かせてください。
罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
私たちを試みにあわせないで、悪から守ってください。

([1, 83頁]より)

 今回は500年前のスウェーデン語の主の祈り (Herrens bön) を紹介します。ただし、Mat6:9-13全体を紹介します。つまり、『だからあなた達は、このように祈りなさい。――』を含めて紹介します。

 また、現代語の主の祈りとの比較も行うために現代スウェーデン語の主の祈りも引用します。

2 スウェーデン語原文

[Thet Nyia Testamentit på Swensko af år 1526] (1526)
 
1523年にスウェーデンはカルマル同盟 (Kalmarunionen) から離脱し、グスタフ1世 (Gustav Vasa) が国王に即位しました。その3年後の1526年に新約聖書の翻訳が完成しました。同盟からの独立と共に、聖書の国語訳は近代スウェーデン語 (nysvenska) の成立に大きく寄与しました。

Therfoͤre skolen j så bedhia / Fadher wår som aͤr j himblomen / Helghat wardhe titt nampn / Tillkomme titt rike / Wardhe thin wilie så på iordenne som j himmelen / Geff oss j dagh wårt daghelighit broͤdh / Och foͤrlåt oss wåra skuld / såsom och wij foͤrlåtom them oss skyldoghe aͤro / Och inleedh oss icke j frestilse / Utan frels oss från onda / ty rikit aͤr titt / och macten och herligheten j ewigheet / Amen.

([2, http://runeberg.org/nt1526/0025.html]より)

[Biblia, Thet är All then Heligha Scrifft på Swensko] (1541)
 
上記の1526年の新約聖書訳から15年経って旧約聖書の翻訳が完成しました。また、新約聖書も若干の改訳が施されました。聖書の初のスウェーデン語全訳であり、Gustav Vasas Bibel (GVB) と呼ばれます。また、ルター聖書の影響を色濃く受けています。

Therfoͤre skolen j bidhia altså.
Fadher wår som aͤst j himmelen. Helgat warde titt nampn. Tilkomme titt Rike. Skee tin wilie så på jordenne som j himmelen. Giff oss jdagh wårt daghligha brödh. Och foͤrlåt oss wåra skulder / såsom ock wij foͤrlåtom them oss skyldighe aͤro. Och inleedh oss icke j frestelse. Vthan frels oss jfrå ondo. Ty Riket aͤr titt / och machten och herligheten j ewigheet. Amen.

([4, https://litteraturbanken.se/f%C3%B6rfattare/Anonym/titlar/BibliaGV/sida/605/faksimil]より)

[Bibel 2000] (1999)
 最新の公式の翻訳です。

Så skall ni be: Vår fader, du som är i himlen. Låt ditt namn bli helgat. Låt ditt rike komma. Låt din vilja ske, på jorden så som i himlen. Ge oss i dag vårt bröd för dagen som kommer. Och förlåt oss våra skulder, liksom vi har förlåtit dem som står i skuld till oss. Och utsätt oss inte för prövning, utan rädda oss från det onda.

([6, https://bibeln.se/visa?q=mat.6@b2k]より)

[Svenska Folkbibeln] (2015)
 上のBibel 2000とは宗教的に違う部分があるそうです。

Så ska ni be: Vår Far i himlen, låt ditt namn bli helgat. Låt ditt rike komma. Låt din vilja ske, på jorden som i himlen. Ge oss i dag vårt dagliga bröd. Och förlåt oss våra skulder, så som vi förlåter dem som står i skuld till oss. Och för oss inte in i frestelse, utan fräls oss från det onda.

([7, https://www.folkbibeln.it/?book=matt&chapter=6&verse=9]より)

違いを以下の点に分けて見ていきましょう:
・文字・綴り・語形
・構文
・頌栄 (しょうえい) 部分の有無

4.1 比較その1 (文字・綴り・語形における違い)

1) 文字

 この時期から、それまでのaa, ø, æに代わってå, , が使われるようになりました。これはドイツ語の影響とされています。oͤ, aͤは現在のö, äに対応します。

 次の画像を見てください。

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 これはGVBの"Och foͤrlåt oss wåra skulder / såsom ock wij foͤrlåtom them oss skyldighe aͤro."のthemの部分ですが、mの上の横線でeの省略を表しています。今回取り上げた場所では出てきませんが、母音の上の横線でnやmの省略を表すこともあるようです。

2) 綴り

 d,gなどの後でhが使われている部分が目立ちます:

 古 be(i)dhia, fadher, wardhe, brödh, helghat, dagh, skyldo(i)ghe
 現 be(dja), fa(de)r, varde, bröd, helgat, dag, skyldiga

 GVBの中でもhを伴わない形と混在しており、有声摩擦音/đ/, /ǥ/が有声破裂音/d/, /g/に移行する過渡期であることを示唆しています。

 また、j ⇔ i, w ⇔ vなどの対応も見られます:

 古 j, iordenne, wij, wår, wårt, wåra
 現 i, jorden, vi, vår, vårt, våra

3) 代名詞の違い

・二人称複数代名詞 j

 現代スウェーデン語のniは倒置された動詞(複数二人称)の屈折語尾の末子音がi (j)についたものとされています。niが登場するのは17世紀中葉からで、GVBの時代にはまだ登場していません。

・三人称複数代名詞 them、二人称単数所有代名詞 tin, titt

 これらは現代語のdem, din, dittに対応します。当時はd-の代わりにth-やt-の語形が用いられたようです。therfoͤreにも見られますね。

4) 豊富な屈折

 現代スウェーデン語はドイツ語などと比べて屈折が少ないゲルマン語として知られますが、この当時の聖書には古スウェーデン語時代の豊富な屈折(の名残)が見られます:

skolen (助)動詞skolaの二人称複数 (直説法現在)
 (上記のiとniの関係を思い出してください)

himblomen 名詞himmelの複数与格定形(後置冠詞-enが接辞した形)
 (-omで終わる現代スウェーデン語の単語の中には複数与格に由来するものが少なくありません)

foͤrlåtom 動詞foͤrlåtaの一人称複数 (直説法現在)

ondo 形容詞ondの単数与格

aͤro 動詞varaの三人称複数 (直説法現在)

※ondoやäroは今も少し古い文章や固定表現で見ることがよくあります。
※聖書という性質から擬古的な表現になっているので、当時としても古さ、荘厳さ等を感じる表現だったと思われます。 

4.2 比較その2 (構文における違い)

 現代語では使役動詞låtaの命令形を使って表現している箇所で接続法現在が使われています。これは願望を表しており、スウェーデン語の文献ではoptativ (希求法) と書かれることのある用法です。

Helgat warde titt nampn. (GVB)
låt ditt namn bli helgat. (SFB)

 GVBで使われている単語wardeは現代スウェーデン語のvardaの接続法現在です。不定詞の-aを-eに変えた形をしています。
 vardaは初級頻出語ではないと思いますが、聖書など文脈によってはよく使われます:

Och Gud sade: ”Varde ljus”; och det vart ljus.

([8, https://www.biblegateway.com/passage/?search=1%20Mosebok+1&version=SV1917]より)

 創世記の『光あれ』ですね。

4.3 比較その3 (頌栄部分の有無)

 頌栄 (しょうえい) とは神の栄光を称える祈祷です。
 頌栄部分は二次的に付加された部分であり、ラテン語聖書Vulgataや現代の聖書(の多く)にはありませんが、ルター訳聖書などの宗教改革時代に訳された辞書には付け加えられているそうです。

 実際に上の引用を見てみます。現代語の聖書2つにはないが、古い聖書2つにはある部分があることに気付きます:

ty rikit aͤr titt / och macten och herligheten j ewigheet / (NT 1526)
Ty Riket aͤr titt / och machten och herligheten j ewigheet. (GVB)

 明治訳新約聖書で以下のように訳されている部分に対応します:

國と權と榮は窮りなく爾の有なればなり

([9, http://bible.salterrae.net/meiji/htmlnt/matthew.html]より)

 ちなみに、見比べると分かりますが、主部"r(R)ikit och mac[h]ten och herligheten"の内部に述部である"aͤr titt"が入り込んでいます。

おわりに

 私はキリスト教徒では全くありませんが、聖書は言語的に興味深いし重要度も高いのではないかと思います。

 また、今回扱ったGVBで使われているスウェーデン語は現代語と違う部分も多いですが、似ている部分も多く、またSAOB(近代スウェーデン語以降を扱う)のカバー範囲に入っているので調べやすく楽しいのでおススメです。

参考

[1] 塚本 虎二 訳『福音書 (岩波文庫 33-803-1)』 (岩波書店, 1981)

[2] http://runeberg.org/nt1526/
 NT 1526です。OCRはされていません。

[3] https://sv.wikisource.org/wiki/Bibeln_(Gustav_Vasa)
 福音書の一部だけですが、OCRされた形で見ることができます。文字に慣れていない場合はこちらのほうが良いかもしれません。

[4] https://litteraturbanken.se/f%C3%B6rfattare/Anonym/titlar/BibliaGV/sida/4/faksimil
 GVBです。ファクシミリです。

[5] Natan Lindqvist, Nya Testament i Gustaf Vasas Bibel under jämförelse med texten av år 1526 (Svenska Kyrkans Diakonistyrelses Bokförlag)
 GVBの新約部分です。読みやすいので文字に慣れていない場合はこちらのほうが良いかもしれません。リンク先(GUPEA)から無料でpdfでダウンロードできます。

[6] https://www.xn--bibelsllskapet-bib.se/ 

[7] http://www.folkbibeln.net/

[8] https://www.biblegateway.com/versions/Svenska-1917-SV1917/

[9] http://bible.salterrae.net/meiji/htmlnt/

[10] その他、これまでの記事で挙げた文献




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