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[ドイツ語] -chtで終わる名詞とその周辺

0 はじめに・記事内で用いる記号

 ドイツ語を勉強し始めたとき、英語と比べて語形のパターンに規則性を強く感じたものです。私が言語に興味をもつ切っ掛けになったように思います。今回はその中でも特に-chtで終わる名詞に焦点を当ててみました。

記号について
 以下の略語・記号を断り無しに用います(特に太文字は頻出):

nhd. 新高ドイツ語(標準ドイツ語)
fnhd. 初期新高ドイツ語
mhd. 中高ドイツ語
ahd. 古高ドイツ語
hd. 高地ドイツ語(総称として)
mnd. 中世低地ドイツ語
nd. 低地ドイツ語(総称として)
schw. スウェーデン語
isl. アイスランド語
got. ゴート語
eng. 英語
germ. ゲルマン語(総称として)
lat. ラテン語
vlat. 俗ラテン語
gr. (古代)ギリシャ語
idg. 印欧祖語
pl. 複数
m. 男性(名詞の文法性)
f. 女性(名詞の文法性)
n. 中性(名詞の文法性)
~ 語源的に関係があることを示す
: 文脈の中で強調された関係があることを示す
< 借用されたものであることを示す
* 理論的に考えられる形などを示す

前提知識
 Grimmの法則や強/弱動詞の概念をなんとなく知っている程度を前提にします。また、nhd.の語彙はある程度知っている方が読みやすいでしょう。schw.などについても触れますが読み飛ばせます。

太文字について
 厳密なルールではありませんが、扱う単語、強調したい点、専門用語を太文字で表記します。分からない太文字の用語がもし出てきたら専門用語ということになりますので本やインターネットで調べてみて下さい。

 それでは、分類していきます。

1.1. ti-Abstraktum

 idg.で動詞の語根に-ti-を接尾して造られ、lat. (-tis)やgr. (-σις)にも見られます。ti-Abstraktum (Abstraktumは抽象名詞の意)と呼ばれます。
 古い造語法なので基礎となる動詞は本来的な動詞であることが多いです。germ.でいうところの強動詞(もしくは過去現在動詞)です。ただし、動詞の強弱は時代の流れの中で変化することもあるので、nhd.でも強動詞のままとは限りません。廃用になっている場合もあります。

 以下に例を挙げます。名詞の右に対応する(nhd.における)動詞を掲げ、さらに右の[ローマ数字(子音)]で動詞のアプラウト系列Ablautreiheと(ゲルマン祖語での)語根末子音を示します:
Zucht 「規律」 : ziehen [II(*h)]
Bucht 「湾」 : biegen [II(*g)]
Sucht 「欲求」 : siechen [II(*k)]
Flucht 「逃走」 : fliehen [II(*h)]
Flucht 「一列」 : fliegen [II(*g)]
 ※nd.からの借用
Sicht 「眺望」 : sehen [V(*h)]
Pflicht 「義務」 : pflegen [V(*h)]
Wucht 「重量」 : wägen/wiegen [V(*g)]
 ※mnd. wicht(e)からの借用 (wによって母音が変化)
 ※wiegenはwägenの現在形du wiegst, er wiegtから造語された動詞
Schlacht 「戦闘」 : schlagen [VI(*h)]
Tracht 「柄」 : tragen [VI(*g)]
Macht 「権力」 : mögen [過現(*g)]

 以下はペアのいずれかがnhd.には残っていないケースです:
Gicht 「痛風」 : mhd. jehen „sagen“ [V(*h)]
Beicht(e) 「告解」 : mhd. jehen
 ※bei- + Gichtに対応
Fracht 「貨物」 : mhd. eigen „besitzen“ [過現(*g)]
 ※nd.からの借用でahd. frēhtに対応。fr-はnhd. ver-に対応。
・mhd. tuht : taugen [過現(*g)] ~ nhd. tüchtig 「有能な」
 ※tüchtigは-igによる派生
・mhd. geschiht : geschehen [V(*h)] ~ nhd. Geschichte 「歴史」
 ※mhd.期に-eのつく中性名詞geschichteが現れ、その複数形から現在のGeschichteが女性名詞として成立した。

1.2. ti-Abstraktumの語形について

[子音について]
 派生元の動詞の語根末子音を見ると*h/x/, *k, *gの3通りがあります。それぞれidg.の*k, *g, *gʰに対応します(Grimmの法則を思い出してください)が、これに*tが続くと有声音は無声化して*ktになり、*kがGrimmの法則によって摩擦音化して*htになると考えることができます(*tは変化しません):

 *gt, *gʰt > *kt > *ht

 Gift(~ geben)やdachte(denkenの過去形)と同様です。これらの、現象をPrimärberührungseffektといいます。Dentalberührungもしくはeng. Germanic spirant lawとも言うようです。日本語への定訳は寡聞にして知りませんが、前ゲルマン語時代に有声破裂音に歯音が直接後続することをBerührung(接触)と表現しているのでしょう。

[母音について]
 各例を動詞のアプラウト系列で分類すると、名詞の母音との間に以下の対応が見てとれます:
 II ⇔ u
 V ⇔ i
 VI ⇔ a
 とりあえずはアプラウト系列に沿った規則性がある、というぐらいの認識でよいと思いますが実は以下のことが知られています[6, 167頁]:

Das idg. Suffix -ti- leitete feminine Abstrakta aus der Wurzel ab. Im Got. sind Zahlreiche Nachkommen dieser Bildungen erhalten, die also als Abstrakta zu ursprünglich primären, demnach hauptsächlich zu starken Verben fungieren. Bei diesen ist der Vokal der im Part. Prät. (bei Präteritopräsentien der im Plural Präs.) erscheinende.

 つまり、動詞の過去分詞の母音と、動詞が過去現在動詞の場合は現在複数の母音と一致する、ということですね。これはgot.の話なので全くそのままとは行きませんが、
Zucht : gezogen, Flucht : geflogen
Sicht : gesehen
Tracht : getragen, Schlacht : geschlagen
 などにその片鱗を感じることができます。

1.3. 他の言語にみられるti-Abstraktumについて

 1.1.の冒頭でti-Abstraktumはlat.やgr.にもみられると書きました。
 例えばeng. tradition < lat. trāditiō, -ōnisの借用ですがtrāditiōは動詞trādōに-ti-を接辞し、さらに-onを接辞したものだと考えることができます。
 またホメオスタシスのスタシスはgr. στάσιςからですが、στάσιςはἵστημι + -σιςと考えることができます。以下では特にschw.とgot.についてどうなっているか見ていきましょう。

1. schw.  
 schw.などのスカンジナビア半島のゲルマン語では、nd.(やhd.)からの借用が目立ちます:
tukt, bukt, flykt, flykt, sikt, plikt, vikt, slakt, trakt, makt, gikt, bikt, frakt, dukt
 上で挙げたドイツ語の例ほぼ全てが借用されているのが分かります。語頭の子音の対応は第二次子音推移を思い出しましょう。
 唯一、Suchtに対して対応しそうな*suktという語形はありません。しかし、実はsot 「病気」という単語が対応していて、これはnd.からの借用ではなくて、schw.の本来語です。ノルド語では*htが*ttに同化したため、借用語と本来語の間でこのような違いが生じています。これはisl.の単語とnhd.の単語を考えてみると分かりやすいです。例えば上のSucht, sotはisl.ではsóttですが、「夜」や「(数字の)8」といった簡単な単語の対応でも観察できます:
 isl. nótt : nhd. Nacht
 isl. átta : nhd. acht

2. isl.
 [5, 37頁]に以下のような記述があります。:

     11.  Urg. urn. -ðu-, ieur. -tu-. Detta suffix bildade också verbalabstrakter. [中略] I germanska språk äro ti-stammar och tu-stammar svåra att skilja åt. Det förefaller, som om isl. i flera fall hade u-stammar, fsv. i-stammar, men detta kan bero på senare utveckling.

 つまり、-ti-以外に-tu-で抽象名詞を造語することがあるが、ゲルマン語では両者の区別が難しい。またisl.ではu-幹が多く、schw.ではi-幹が多い傾向がある。しかし、それは各言語に分化した後の変化によるものかもしれないということです。

 統計を取ったりはしていませんが、このあたりの言語を勉強していると実際そのような感じがします。例えばnhd. Machtやschw. maktはti-Abstraktumですが、同じ語根から造語され意味的に対応するisl. mátturはtu-Abstraktumで男性名詞です。isl.はnd.の語彙的影響が比較的少ない(ゼロではありません)こともそう感じる原因なのかもしれません。

3. got.
 got.はschw.ともnhd.とも違う東ゲルマン語群に分類される古い言語で屈折もよく保存しています。ti-Abstraktumはその中でi-幹女性名詞に分類されます。ここではMachtに対応する𐌼𐌰𐌷𐍄𐍃(mahts)の屈折表を挙げておきます:
 単数主格 mahts
   属格 mahtais
   与格 mahtai
   対格 maht
   呼格 maht
 複数主格 mahteis
   属格 mahtē
   与格 mahtim
   対格 mahtins
一部の屈折形に「i-幹」と呼ばれる理由が見えると思います。

2. mnd.における音韻変化によるもの

 mnd.(特に西部)などで-ft--cht-に変化しました。これによって、ある単語がnd.からの借用であるとき、hd.の知識からは-ft-が期待されるのに実際は-cht-になるということが起こります。
 以下に紹介する単語以外にecht 「真正の」, sacht 「柔らかな」, Nichte 「姪」, berüchtigt 「悪名の高い」などにもその影響が見られます。

 それでは例を挙げていきます:
Gracht 「水路」 f. : graben [VI(*b)]
Schlucht 「峡谷」 f. : schliefen [II(*p)]
Schicht 「被膜」 f. ~ eng. shift
Ducht 「より股」 f. ~ Dieb
 ※*bや*pはidg.の*bʰ, *bに対応しており、無声化して/pt/を経てftに変化することに注意してください。(Primärberührungseffekt)

 以下の例では対応するhd.の本来語が存在し、二重語(一つの言語の中で共通の単語に由来するが、異なる語形で併存する単語の組)を構成します:
Schacht 「竪穴」 m. : Schaft 「柄」 m.
・(北部)Lucht 「屋根裏部屋」 f. : Luft 「空気」 f.

 余談ですがschw.でもこれに起因する二重語の組がいくつか見られます:
akter 「船尾へ」 : åter 「再び」, efter 「後に」
lukt 「匂い」 : luft 「空気」
häkta 「拘引する」 : häfta 「縫い合わせる」 
skikt 「層」 : skift 「交替」
sikta 「(銃などを)向ける」 : syfta 「指す」 
 ※最後の組はスウェーデン語内部での類推による-kt- > -ft-によるもののようです

3. Ge-で始まる中性名詞

 ここで扱う名詞は全て中性です。
 Ge-で始まる名詞にも色々ありますが、その中でも名詞を基礎語として『共在・集合』などの意味を付加する接頭辞としての働きに注目します。以下の例は1.1.で扱った名詞との関係が分かりやすいです:
Gewicht 「重量」 : Wucht 
 ※Wucht < mnd. wichtだったのを思い出してください(1.参照)
Gezücht 「一腹の子」 : Zucht
Gemächt 「男性器」 : Macht

 次の単語は2.も関係してきます:
Gerücht 「風評」 ~ rufen
 ※mnd.からの借用で-ft- → -chtの音韻変化が起きています

 他にもGe-chtの形の名詞は多く存在します:
Geschlecht 「性別」 ~ schlagen
Gemächt 「被造物」 ~ machen
Gefecht 「戦闘」 ~ fechten
Geflecht 「編み細工」 ~ flechten
Gewicht 「枝角」 ~ Geweih
Geleucht 「坑内灯」 ~ leuchten

4. lat. -ct-の借用

 lat.から早い時代に借用されたためc /k/の音がgerm.(もしくはhd.)特有の変化を経ています。

Pacht 「賃貸」 f. (vlat. pl. *pacta が女性単数とみなされる) < lat. pactum 
 ※Pakt 「条約」 m.と二重語です。語頭のpがhd.子音推移を受けたPfachtという形が18世紀まで残っています。
Frucht 「果物」 f. < lat. fructus ~ brauchen

 次の動詞は3.も関係してきます:
Gedicht 「詩」 n. ~ nhd. dichten 「詩作する」 < lat. dictare
 ※Gedicht, dichtenはmhd.ではgetiht(e), tihtenであり、nhd.以降の語頭のd-は東中部ドイツ語を中心に拡がった子音の弱化現象(binnendeutsche Konsonantenschwächung)によるものです。

5. 非語源的なt

 ここで扱う単語では15世紀頃に付加されたtにより-ichが-ichtになりました。語末への二次的なtの挿入は珍しいことではなく、mhd.期の末期頃から、n, r, s, f, ch等に後続してtの挿入が起きることがあったようです。

以下で例を挙げていきます:
Habicht 「オオタカ」 m. ~ heben
 ※Kranich 「ツル」 m.と同様の造語とされる

植物を表わす名詞につけて『~の生えているところ』を意味します:
Röhricht 「ヨシの茂み」 n. ~ Rohr
Weidicht 「柳の林」 n. ~ Weide
Dornicht 「イバラのやぶ」 n. ~ Dorn

動詞の語幹につけて『~されたもの』を意味します:
Kehricht 「塵芥」 m. n. ~ kehren
Spülicht 「汚れた洗い水」 n. ~ spülen

6. その他

以下、雑多な例となりますが、その中で面白いと思ったものを紹介します:
Pracht 「壮麗」 ~ brechen 
 ※Lutherの時代からBrachtに代わって使われるようになった
Durch-, Erlaucht 「殿下」 f.: durch-, erleuchtenの過去分詞(中部ドイツ語における形)の名詞化
 ※それぞれ特にFürst, Grafの尊称として使われる
Wicht 「小妖精」 m.: 否定の副詞nichtは非常に基本的な単語ですが、この単語は語源的には否定小辞(ahd. ni)+je+Wichtと分解されます。ちなみにnieはni+je, neinはni+einに由来します。

-dacht, -richtで終る単語はものによって文法性が違います:
Verdacht  「疑い」 m., Bedacht 「思慮」 m., Andacht 「敬虔な気持ち」 f.
Unterricht 「授業」 m., Bericht 「報告」 m., Nachricht 「通知」 f., Gericht 「料理」 n.

 最後に扱う単語は-chteで終わりますが面白いと思ったので紹介します:
Latüchte 「ランタン」 f.: LaterneLeuchteから造語され、戯語として使われます。いわゆる混成語Kontaminationでしょう。

7. まとめ

 まとめでは私がこのような話のどこに面白みを感じているかについて書きたいと思います。

1. Pflicht : pflegentüchtig : taugenという対応を知っていて、さらにti-Abstraktumについて知っていれば、現在は弱動詞として用いられることが多いpflegenやtaugenが本来的には強動詞(もしくは過去現在動詞)だと言われても納得できます。また、近い系統の言語や古語についての知識があると、現在の形をより深い形で理解することができます。この「納得できる」というのが私は好きです。

2., 4. 借用関係によるが二重語の形成などが面白いです。

5. 音の挿入や脱落について考えるのも楽しいです。完全ではありませんが規則性があり、様々な現象を引き起こします。

6. 小ネタの供給元としても優れています。

 以上、様々な情報源があるので正確性(また、複数の説がある場合も少なくありません)には注意を払う必要がありますが、語源について調べるのは楽しいということが伝われば幸いです。

8. 参考文献

[1] Etymologisches Wörterbuch des Deutschen
  オンラインで無料で利用できるWolfgang Pfeiferによる語源辞典です。語源はここを参照することが多かったです。
[2] Der Duden Bd. 7: Das Herkunftswörterbuch (1963)
 上記語源辞典の確認・補助として利用しました。
[3] 小学館 独和大辞典 第二版 (1998)
 nhd.の単語の訳語は基本的にここから選びました。語源も参照しました。
[4] Svensk Språkhistoria I Ljudlära och ordböjningslära, Elias Wessén, (第四版, 1958)
 schw.の歴史の本です。音韻変化や屈折について書かれています。
[5] Svensk Språkhistoria II Ordbildningslära, Elias Wessén (1948)
 [4]の2巻目です。schw.の造語法について書かれています。
[6] Geschichte der Gotischen Sprache, Max Hermann Jellinek (1926)
 got.について書かれています。

最後まで読んで下さった方へ

 読んで下さってありがとうございます。間違いのご指摘などありましたら大歓迎です。お気軽になさってください。

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