56歳、会社辞めてシルクロードに餃子食べに出かけてみた⑤わちゃわちゃのイスラム世界にやられたウズベキスタン・サマルカンド
さらばカザフスタン。
当初はほんの経由地のつもりだったのに、ウルムチからの国際寝台列車の曜日を間違えてたのと思いがけず列車の到着が早かったので、3泊もしてしまった。
居心地はとても良かった。
アルマトイ空港から我々は空路タシケントへ!
カザフスタンは出国もゆるゆる楽々だった。
パスポートを見て「ジャパン?」と聞かれ、「イエス」と答えたら「コンニチハ!」と返ってくる。
なんて和やかなパスポートコントロール。
中国とはえらい違いだ。
ウズベキスタンに到着してからの懸念事項は、タシケントの空港でサマルカンドへ行く国内線への乗り継ぎの方法がわからないという点だった。事前にいろいろググっても全然情報無し。
普通に考えれば、国際線を降りたら「国内線乗り継ぎ」って表示が出ていて、それに沿って歩いて行けば簡単に国内線に乗れる…って思うよね!
一か八か
行くしかない。
タシケントの空港に降り立った私たち。周りに日本人観光客の姿は皆無だ。
入国審査はカザフスタンに負けないぐらい、チャッチャッと簡単なものだったが、到着ロビーに出て呆然。
出口しか無い。本当に出口だけ。
ウズベキスタンの空港は出発と到着が完全に分離されていて、行き来はできない構造。空港の建物内には(鉄道の駅舎も同様)原則乗客以外は立ち入ることができない。なんとも旧共産圏の香りがプンプンする。
インフォメーションはあるっちゃあるが、到着ロビー全体にウェルカムな空気はなく「行けばなんとかなる」という楽観的な気分は数秒で打ち砕かれた。
でもウズベキスタンの人は親切だと聞いていた。
体当たりでロビーに居た空港職員のおじさんにカタコトの英語で話しかける。
「私たちは飛行機でサマルカンドへ行きたい。ドメスティックの乗り場がどこだ?」
「え?あんたたち国内線に乗りたいのかい?」おじさんは困ったような慌てたような顔をする。
「国内線の空港は全然別なんだよ。ここから5キロも離れてるから、あんたたちはタクシーに乗るしかない」多分おじさんはこう言っていた。
え?5キロ?
おじさんと一緒に私たちは途方に暮れた。
「君たちは日本からの旅行者かい?」颯爽と各国を飛び回る若手やり手ビジネスマンみたいなウズベキスタン人の男性が声をかけてきた。
空港職員のおじさんがウズベク語で「この人たちは国内線に乗りたいらしい」とやり手ビジネスマンに説明してくれた(推測)
「君たちはここからタクシーに乗るしかない。ドルは持ってるかい?日本円は使えないよ。最大でも5ドルあれば国内線の空港までタクシーで行けるから」とビジネスマンが説明していると空港のおじさんが口を挟む。「5ドル?そんなにかかるわけないさ!」ビジネスマン氏はおじさんに「渋滞しているかもしれないからかかっても5ドルって意味だよ」と答える。
了解了解。私たちヤンデクッス使えるから!そう答えるとビジネスマン氏は安心して颯爽と去って行った。
いざヤンデックスを使おうとするとなぜかフリーズしてしまう。WiFiではなく、auの世界データ定額を利用していたのだが、なぜかネットに上手く繋がらない。(ジョージア入国時にも同じ現象が起きた)
インフォメーションカウンターのお姉さんに国内線の空港まで行きたいからこのスマホで車を呼んでくれと頼んでみたが、やはり上手くいかない。
飛行機の乗り継ぎの時間が迫ってきたので、もう外に出て空港の客待ちタクシーの餌食になるしかない…。地球の歩き方なんかを見ると、出てすぐの所にいるタクシーには乗ってはいけない。少し離れた所まで歩いてタクシーを捕まえろなんて書いてあるけど
どっちの方角に歩いて行けば正解なのかわかりません!
空港の建物を出た途端、私たち2人にタクシードライバーたちがワラワラと寄ってくる。
仕方ないので「国内線の空港に行きたい。いくらだ?」と尋ねると「メーター走だから」と答える(絶対に嘘)。ぐずぐずしていて飛行機に乗り遅れたら元も子も無いのでタクシーに乗り込んだ。
メーター走って言ったけど、車にはメーターなんてついていない。空港に到着するとドライバー氏はスマホの画面を見せてきた。
請求金額は「$15」。ビジネスマン氏がマックス取られても5ドルと言ってたのに3倍だ。多分、地元の人の5〜10倍は取られているのだろう。もうこれはしょうがないのだ。諦めろ!
国内線の空港は閑散としていた。
これが首都の空港?
おそらく、この国では空港や鉄道の駅は軍事施設なので人の立ち入りは厳しく制限されている。ちょっと前まで駅で写真を撮るのもご法度だったのは有名な話。(今は大丈夫でーす)
待合室にはいかにもウズベクの母といった風情のおばちゃんが座っている。
こっちが聞きたいぐらいだったが、彼女の方が「サマルカンド?サマルカンド?」と聞いてきたので娘と全力でウンウンとうなづいておいた。泣きそー。
そうは言っても直近の航空券を持ってる人しか出発ロビーには入って来ないので、私たちとそのおばちゃんの行き先が同じってことは多分正解のはず。
国内線の飛行機は国際線とは比べ物にならないほどオンボロだった、が、我々は無事にサマルカンドに到着した。
もはやヤケッパチになっていた私たちはそこら辺で客待ちしていたタクシーにさっさと乗り込んだ。
教訓。ぼられたって言ったってたかが千円程度の話。あーだこーだ言ってないで先に進もう!
空港から徐々に市街地に近づいてきた。
空港近辺の道路は整備されているが街中はむしろ乗り心地が悪い。土埃砂埃が舞い上がる。古い建物が増えてきた。
大きなモスクが時折姿を見せる。
ここは、イスラムの古都なのだ。
近代的なアルマトイとは全く異なる世界にやってきた。
私たちはサマルカンドではホテルではなくゲストハウスを予約していた。
伝統的なウズベキスタン風の建物に泊まってみたかったからだ。
その点では全く期待を裏切らない、素敵な建物だった。
経営者は英語が話せるので日本人の旅行者が多いと口コミに書いてあった。
私たちは長旅に少し疲れ、食べ慣れた物を食べたくなってきた。娘と海外に出て疲れると決まって韓国料理店へ行く。白いご飯とキムチを食べると不思議と元気になるのだ。
Googleマップで町外れの韓国料理店を見つけ、ゲストハウスで車を呼んでもらい、食事に出かけた。
ゲストハウスの主人とドライバーは知り合いのようだったが、運賃はびっくりするほど高かった。
知り合いの客でもぼる??(笑)
サマルカンドでヤンデックスは使えない。
ぼられるのが嫌だったら乗る前にドライバーと料金を交渉するしかないのだ。ウズベク語で交渉ができない我々は言い値を払うしかない。交渉して料金決めても追加で払えと言われたり、いろいろあるらしいし、もはやそこは諦めていた。私たちが日本人だからってこともあるけど、ウズベキスタン育ちの知人も「とにかくタクシーはたーいへん。安いからいいかなと思って乗ることにすると、人数集まるまで出発しないこともある」と言ってたっけな。(タクシー相乗りはこちらでは普通)一筋縄ではいかないみたいだ。だったらもう交渉なんてしない(涙)。払えばいいんでしょ!払えば!
高いって言っても東京と比べたら物価はうんと安いのだ。
韓国料理をお腹いっぱい食べた私たちは、宿まで歩いて帰ることにした。
2、3キロの距離だ。腹ごなしにちょうどいい。
そう言って歩き出したが、すぐに後悔した。歩道が大変な悪路なのだ。穴だらけ。こんなんでは私が転ぶのも時間の問題だ(笑)
そして、交差点の横断が中国並み、いや中国以上に難しい。
サマルカンドはとても交通量が多い。信号はあるけれど歩行者優先の交通ルールではないらしい。歩行者用信号は青からいきなり赤に変わり、その途端に交差点に大量の車がクラクションを鳴らしまくりながら流れこんでくる。右も左もクラクションだ。
普段クラクションを鳴らされ慣れてない日本人の私は、クラクションを聞くとついハッと立ち止まって振り返ってしまう。日本ではクラクションは警告だからだ。
こちらではクラクションは運転中にリズムを刻むような軽い気持ちで鳴らすもの。俺はここに居るぜ!程度の挨拶みたいなものなのだ。
「いちいち止まっちゃダメ!」娘に叱られながら半ベソで道路を渡る私。
せっかくカザフスタンでのんびりしたのに、また緊張して道を歩かないといけないのか。泣きたい。
足元の穴ぼこにも気をつけなきゃならないし、道路を渡るのは難しいし…。
ぶつぶつ言いながら歩いていたらそのうちあたりは日が暮れて真っ暗になってきた。
イルミネーションが灯り始めると、街はまた違った表情を見せ始めた。
土色の埃っぽい古い建物は目立たなくなり、あちらこちらにライトアップされたモスクが浮き上がって見えてきた。
このまま行くとこの先がレギスタン広場らしいね。
地図を見ると宿へともどる途中がレギスタン広場のようだ。人もクルマも皆そちらに向かって進んでいるみたいだった。
せっかくだからライトアップされたレギスタン広場を観に行くことにした。
大きーい!
大きいのだ!とにかく大きい。
写真ではそのスケール観はなかなか伝わらない。近くで見るとその大きさに圧倒されてしまう。
そして美しい。
今夜はここでプロジェクションマッピングが観られるらしく、広場の前には徐々に人が集まり始めていた。
プロジェクションマッピングの上映に備えて、広場は立ち入りができなくなっていて、観光客は柵の外からライトアップされた建物を見ていた…。ん?
写真をよーく見て欲しい。
柵の中にも少ないけれど人の姿があるのだ。
だが広場は明らかに柵で閉じられており、制服の警備員が何人もいる。柵の中と外の違いはなに?
気をつけて見ていると柵の左右の端から観光客が出入りしていて、そこには警備員が待機している。
とにかくあそこに行ってみよう。
行ってみると警備員が私たちに「2人で9ドル。写真も撮っていいよ」と言う。
どうも警備員たちは、広場を入場禁止にした後に観光客から勝手に入場料を取って自分たちのお小遣い稼ぎをしているらしい。私と娘がその警備員からちょっと離れて写真を撮っていたら別の警備員から「お前たち、何している!入場禁止だぞ!」と言われていたら私たちを入れた警備員が飛んできて、ウズベク語で何やら話す。途端に私たちを咎めた警備員は笑顔になり、こりゃまた失礼!と立ち去って行った。
世界遺産をしばし独り占め。
正直1人500円なら絶対おすすめ。
旧ソ連、避けては通れぬ袖の下…
我々はその後袖の下の真の威力を知ることになるのだっ!こんなのまだ可愛いもんさ。
翌日はたっぷりと市内観光。
幸いゲストハウスはレギスタン広場のすぐそばだったので、ショブバザールや有名な史跡にも近い。私たちは徒歩で回ることにして歩き出した。
結果、どうなったかというと、熱中症になりかかってダウン。
もっとも暑い時期ではないとはいえ、昼間のサマルカンドの日差しはなかなか強烈だ。空は抜けるように青い。そうなんです雲ひとつないってことはずっとかんかん照り。もしも日傘が売っていたら私は迷わず買ったと思う。湿度が低いので日陰はとても爽やかなのだが…。
最後の力をふりしぼってショブバザールに寄った。
やはりここでも朝鮮系の人々がキムチを売っている。白菜もあった。
ほとんど何も見る気力も残っていなかったが、スパイスや種を売っているお店でプロフとディムラマの素を買った。なかなかまけてくれないので、サフランを付けてもらった。日本ではサフランの方がずっと高価だ。
ショブバザールを出たところにあったローカルな感じのお店に飛び込んだところ、ここがとても美味しかった。
ショーケースで串を選び焼いてもらう。
ウズベキスタンはとにかくサラダが激ウマ。
ほかほかのナン。美味しいけどさすがに食べきれない。
じゃがいもも絶品。お肉も人参サラダのじゃがいももシンプルな味付けなので素材の旨みが引き立っていて、とても美味しい。
飽きずにいくらでも食べられる!
このときはそう思っていました(涙)
日が落ちて涼しくなるまでホテルで昼寝することになったのだが、実はこの頃から私の体に異変が起きていた。お腹が痛いのだ。
「軽い脱水症状に違いない。お水を飲んで昼寝すれば大丈夫」
夕方にはすっかり元気になっていた(と思っていた)
夕飯は念願のマンティとラグマンでウズベクグルメ三昧。レストランの雰囲気は素敵だし、料理は美味しい。幸せ…と思っていたらまたも腹痛が襲ってきた。今度はかなりの激痛だ。胃も腸も痛いがどっちかというと胃の方が辛い。
帰り道歩けなくなりうずくまってしまった。
来る途中に薬局があったことを思い出しそこまで休み休み歩いて、スマホで「私は胃が痛い」をウズベク語に翻訳して薬局のお兄さんに見せて胃薬と水を買って飲んだ。
薬が効いてきたのか痛みは和らいですぐに元気に歩けるようになった。
ちょっと不思議だったのは、胃痛や腹痛、下痢がある以外は全身比較的元気なのだ。熱も出ないし何かの中毒のような感じもない。食欲もある。食欲はあるからお腹が空けばまた食べて、痛くなって下痢をする、この繰り返しがしばらく続いた。
宿に戻りふと「ウズベキスタン 腹痛」とググってみた。
どうやら、ウズベキスタンで下痢や腹痛に悩まされる日本人は珍しくないらしい。はっきりとしたことはわからないがどうやら調理に大量に使用される綿実油が日本人には合わないことが多いらしいのだ。もちろん何ともない人もたくさん居る。
ずっと元気だった娘も私に遅れること半日、やはり胃痛腹痛下痢に悩まされるようになった。
食事してしばらく痛みと下痢が治るまで休んでいれば、その後はなんともないので、私たちはそういうものだと受け入れて、気にしないことにした。
ただ、ぶらぶらと街を歩く時にはトイレの場所を常に要チェック。
レギスタン広場には有料のトイレがあるので助かります。(博物館のトイレも有料だった)
ウズベキスタン3日目。
豪華な宿の朝ごはんに
昨日のお店でまたもシャシリク。
こっちのサラダも絶品だった。
サマルカンドにまた来たらこのお店にまた来ようと思ったほど、何を食べても(ってほどいろいろ食べてないけど)美味しかった。
その日は寝台列車でヒヴァに移動することになっていたので、夕方まで荷物を預け、ぷらぷらと土産物屋を冷やかしたりしてのんびり過ごした。
宿に荷物を取りに戻ると、レセプションが何やら騒がしい。
私たち同様に今夜の列車でヒヴァへ移動する日本人の女性グループの1人が、スマホをタクシーに起き忘れてしまったというのだ。
海外個人旅行でスマホ紛失はもはや遭難。宿泊先やフライトの情報も入ってるし、翻訳機能に地図。スマホは命綱だ。
宿の主人がタクシー会社と彼女のスマホに電話をかけまくっていた。
徐々に駅に行く時間が迫り、一同焦りがピークになりかかった頃、彼女のスマホが応答した。運転手が気づいて電話に出てくれたのだ。スマホを見つけた運転手氏が宿まで届けてくれて一件落着。
宿のご主人も尽力してくれたし、タクシーの運転手さんも親切!
ウズベキスタンってちゃんとスマホが戻ってくる国なんだねーと娘と感心しながら騒動を見守っていた。
まさかその後、自分たちがもっとわちゃわちゃなことになるとは知らず、私たちは寝台列車に乗るためにサマルカンド駅に向かった。
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