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波乗り歴17年、プールで2キロ泳ぐのも余裕な僕が、夜の海であやうく遭難しかけた話

波乗り歴17年、プールで2キロ泳ぐのは余裕なのに、夜の海であやうく遭難しかけました。

毎年、夏になるとニュースで「サーファー、海で行方不明」「海上保安庁により救出」と報じられ「またか…」「迷惑なやつめ」って思われるアレ。あと少しで、僕がそいつでした。

上:入る前  下:出た後

その日は16時頃から、数十回は入っている比較的安全なポイントに入水しました。波サイズは腰〜セット胸肩くらい、波乗り初中級者向けのコンディション。

日頃から2歳児のおんぶ・抱っこ・外出時に多目的トイレが無い時の必殺膝抱え空中おむつ替え等の重労働をしつつ、仕事のピアノで体幹を鍛え、この日に向けて密かに腕立てや懸垂をしていたので、数年ぶりとはいえ体のコンディションは問題なし。

(パパはたまにこれ系やるよね)

ただ、不規則な波の動きを予測する感覚が衰えていたので、2時間ほどポイントで待ってもなかなか乗れず、ピーク時の40人から少し減ってからいい波に乗ろうと目論んでいました。

18時近くになり、人も減りいい波に乗れそうな予感。一本いいの乗って帰るぞ、と思いきや、急に自分の周りから波がぱたりと消えてしまう。

まずい、これは離岸流に巻き込まれてるかも…と思って岸を見ると、当初入っていたところから横に200メートルほど、波が割れているところからも50メートルくらい沖に流されている。

近くに大き目のトラでもいたら暫く気ままに漂流して、「ライフ・オブ・ジョージ トラと漂流した8時間」なんて作品も作れそうなもんだが、どこにも大き目のトラも小さ目のトラもいない。

背びれを掴んだら岸まで連れて行ってくれる、そんなウィリーという名の賢いシャチもいない。

逆に夜の海にシャチなんぞいたら怖いわ。本気で泣く。

脱線した。

離岸流の速さは場合によっては秒速2メートルと、オリンピック水泳選手の泳ぎくらいに達するので、初老を超えたピアニストの僕ごときがどれだけ逆らって泳いでも陸には近づけません。

離岸流自体の幅は30メートル前後として、岸に対して平行に動けば抜けられるはず…と、ひたすら波が割れているところを目指しても、気付くと沖に向かう流れに戻ってしまう。

少しずつ岸が遠くなり、日は完全に落ち、海もどんどん暗くなり、一台また一台と岸に止まっているサーファーの車たちが消えていき、腕の筋肉に乳酸がどんどん溜まっていき、ひとかきごとに進める距離も減っていく。

そうか、これは悪い夢だ。

ノーラン映画で言うところのインセプションだ。一つでも大きな波(作品内では"Kick"と呼ばれる)を食らってザブンとなれば目が覚めて、僕はディカプリオになれるのに。

いえ、なれません。

なぜなら、大波どころか中波も小波も来てくれない。
まさに悪夢、されど現実。

そういえば…

その昔、千葉の堤防沿いの離岸流の激しいポイントで、波がかなり高い日に初心者があっという間に沖に流され、強面な地元サーファーが「バカヤロー!死にたいのか!」と叫びながら数人で助けに行っていました。

その後も懲りずにその初心者が海に入ったのを見ていたら、暫くは安全圏でサーフィンしていたのに、またもや流れに乗ってしまう。

そして再び強面地元サーファーが「バカヤロー!死にたいのか!っていうか死んじまえ!」と叫びながらも数人で助けに行ったのを観て、「Wow...これがマトリックスのグリッチか…」と思ったのでした。

僕もこのままではやばいと思い、岸に向かって「おーい!誰か!」と叫んだり手を振ったりしたものの、遠すぎて声も届かないのか、誰も気付いてくれない。

もう少し絶望が深まりつつも、それでもなんとか波が割れているところまで進む。腹ばいになりボディボーダーのように波を捕まえて20メートルほど岸に向かって戻れたものの、頼みの波はガス欠した車のようにぷすぷすと推進力を失い、僕は再び沖に向かって流される…

あゝ、今こそテネットの時間逆行マシーンがあれば、この悪夢のような体験をなかったことに出来るのに…いや待てよ、もしマシーンがあっても自力で陸に戻りマシーンに入らないと逆行できない。

それどころか、逆行によってもう一度体がボロボロな状態で後ろ向きスタイルで夜の海に入り、二時間半もがくなんて絶対にイヤだ。

ノーラン先生、僕はテネットが大好きです。

脱線した。

この頃すでに日はとっぷり暮れ、かろうじて月の明りで周りの状況が見えている感じです。状況は変わらず僕は離岸流の中にいて、遠く離れた陸の駐車場には点灯している車の車内灯が2台分だけ見えている。

着替えを終えて次々と離れていく車のテールランプは、ペニーワイズの風船を彷彿とさせる。

"それ"が見えたら、終わり。(← 見てないけど)

時間はそろそろ18時20分ごろだろうか。
まさに全員、居なくなる寸前だ。

半月だったのが唯一の救いで、これが新月の頃だったらペニーワイズにマンホールに引きずりこまれる瞬間さながら絶叫していたかもしれない。映画見てないけど。

夕ご飯を家族や友人達と食べる予定だったので、そろそろ「海あがった?」「着替えた?」的なメッセージがスマホに届いているだろう。こんな時間まで既読にならないと、心配するのではないか。

最初は「すぐ読んでよね」「すぐ連絡してよね」とプリプリ怒られるだろうが、このまま10分、20分と僕からなにも連絡がなかったら、狂ったように電話をしてくるのだろうか。

そうだ、こんなときはインターステラーだ。

(以下、見てない方はネタバレ注意、1ページ飛ばしてください)

流れの中に自ら飛び込み、4次元超立方体テサラクトの中をふわふわと泳ぎながらも本を探してトン・トン・ツーとつつけば、過去の子供が砂の模様から周期性を見出し、優秀な科学者になりじじいとなった僕を陸に帰還させてくれるのだ。

あのシーンは実に美しかった。ノーラン作品でもインターステラーファンは多いし、ノーランって誰?テネット?なにそれ?って人でもインターステラーを好きな人が沢山いる。

映画の内容も、科学的にもある程度検証されているのが素晴らしい。だがしかし、僕の目に映っているのは事象の地平面(Event Horizon)ではなく、4年ほど漂流すればカリフォルニアに漂着するだだっ広い水平線だ。

僕はノーランが好きだ。テネットも二回見たし、なんなら池袋のどでかいIMAXでもう一回見ようと思っているし、心の中でノーラン先生と呼んでいる。

メメントを始めとした彼の作品と数々は掛け値なしに好きだが、あと数十分で海で遭難しそうなとき、岸に戻るクソの足しにもなりゃしない。

それどころか、僕の気分はダークナイトで竪穴を上るクリスチャン・ベールそのものだった。あの最後のジャンプが…届かないんだなあ〜

って言うてる場合か!

脱線した。

話を離岸流に戻そう、
いや、離岸流には二度と戻りたくない話に戻ろう。

このまま家族や友人から僕と連絡がつかなかったら、30分後に海上レスキューに連絡が行き、僕が入ったポイントを起点に捜索をかけてくれるのだろうか。

その頃まで、僕は岸の近くにいられるか、それとも遙か沖まで流されているのか。黒いウェットスーツは夜間は見つけづらいので、朝までなんとか持ちこたえて、脱水になりながらも運良く漁船に拾われる可能性はあるのか。

「サーファー44歳 昨日夕方から行方不明」とニュースになり、日本中の海関係者や無関係者から「ったく…これだから海を舐めてる奴は」「ざまあwww」「自粛しろや」「低能め、死ぬなら人に迷惑かけずに死ねよ」「税金泥棒」「ヘリコプター出動費用で草」「初心者がハードコンディションで出ていくな」とか言われるのだろうか。

こと最近は人が人を裁きがちだが、果たして俺やお前らに人を裁く資格はあるのか。みな誰かに迷惑をかけて生きているんだ。武田鉄矢も言っていただろう、「人という字はぁ」と。

そして「僕は死にましぇん」とも。

ラッセンした。

そう、僕は今すぐ死に瀕しているわけではない。海面は穏やかなのでサーフボードがある限り溺れ死ぬことはないが、万一陸に戻れない場合は数日で脱水になってしまう。

あれこれと、打開策を考えていた。

小型船のようなロングボードとは違い、この165cmのショートボードは浮力も少なく、水面下の3本のフィンは抵抗となり、身一つで泳ぐスピードよりかは遅いと思われる。

いっそ、ボードを捨てて岸を目指そうかと思った。だけど、もし戻れなかったとしたら、助けを待つ長時間に渡って海に浮かんでいられる自信がなかった。

よし、板はキープ。
少しずつパドル。
そして声を出す。

諦めそうな気持ちと筋肉疲労と戦いながら、パドルしては流れに捕まり「おーい!」と叫ぶ、パドル、捕まる、叫ぶ、パドル、叫ぶ、捕まるの繰り返し。

ふいに、岸に白い光が灯った。車のライトにしては小さすぎる光源で、一点からあちらこちらに何かを探すように向けられている。

あれは…スマホのフラッシュライトだ!

中村修二さん、ありがとう。あなたが勤務先の不条理な待遇と闘いながら決死の覚悟で青色LEDを発明していなかったら、僕は今頃この長文を書いていないかもしれません。

叫びに気付いた誰かが、ライトを振って海面を探してくれていることがわかった。このまま更に10分くらい岸に上がらなかったら、レスキューを呼んでくれるかもしれない。

大げさかもしれないが、その「あなたに気付いているよ」という意思表示は、英語を勉強する学生の頼もしきパートナー、すなわち嵐の中にぽつんと見える灯台のようだった。

「生きろ。」

倍賞千恵子さんの声が、脳裏に響いた気がした。
いや、作品が違う。

美輪明宏さんの声か?
いや、キャラが違う。

糸井重里さんの声だったかもしれない。
いや、僕は「ほぼ日」は読んでいるが、糸井重里さんの肉声を知らない。

正確に言えば、18年程前に骨董通りのスタバで樋口可南子さんと一緒にラテを買っているところに遭遇し、糸井重里さんとIBMに務める26歳のシステムエンジニアが遭遇した場面で行われがちな、月並みな

「ほぼ日、楽しみにしてます。」
「ああそうですが、ありがとう。」

という会話はした気がするので、肉声を知っているはずだが、さすがにもう声は忘れた(深みのあるいい声だったような)。

余談だが、この日の「今日のダーリン」の内容が「怖いもの知らず」だったのは何の因果か。

「怖い」は、死角から飛んでくるパンチでもあり、吹き消せば消える「まぼろし」でもある。

波乗りを17年もして、プールで2キロくらいは鼻歌交じりに泳げて、比較的穏やかな海で離岸流に流される…まさに、死角からパンチが飛んできた以外の何物でもない怖さ。

結局、鳴り響いたその声が誰の声かはわからないし、実際に聞こえたのはアシタカの台詞「パドルしろ、そなたは美しくないオッサンだ」だったのかもしれない。

ラッスンした。

とにもかくにも、中村修二さんが発端となって世に出回るようになった鮮やかな白色LEDを見ていたら、火事場の馬鹿力がわいてきた。

そして

人様に迷惑をかけたくない、
みんなに心配をかけたくない。

よし、帰ろう。岸に。家族へ。
これ以上流されない、安全なところに。

その一心で、最後の力を振り絞って波をかきわけ、離岸流のちょっと外側、崩れる波のちょっと内側にたどり着いた。

「努力は裏切らない」というが、実際のところ、タイミングの合わない努力は裏切られる。ただ、その努力をしなければ、報われることもないのだ。

ちょうどタイミング良く、大きめの波が二本やってきたのが、沖の方にぼんやりと見えた。

南無三!
ナムサン!
正式には「南無三宝!」

一本目に乗っかり20メートルほど岸に近付くと、波はまたプスプスと突っ張りの足りない屁のように消えた。

次の波を逃さずに乗れたら、もう20メートルほど進んだ。

希望の光にだいぶ近づいたがまだまだ気は抜けず、そこからもう少し小さ目の白波を何本か捕まえたら、やっと、足が浅瀬の砂を踏んだ。

そこから更に暫く水の中を歩き、波打ち際まで辿り着いた。おお、砂だ!ここはアメリカ大陸か…いいえ日本です。おおよそ2時間40分ぶりの陸地...大げさか。

入水時に比べると潮がどんどん満ちてきており、砂浜はほとんど無くなっていた。

余談:干潮から満潮へ、もしくは満潮から干潮へと潮が大きく動くときは、離岸流も発生しやすい。また、周囲と比べて砂浜がなく、そこだけ堤防の岸壁に波があたるところも同様に。今回、まさにその二つの条件が重なったので「パーフェクト・ストーム」ならぬ「パーフェクト・離岸流」って、これはふざけている場合ではない。

跪いて砂に両手をつけ、家族のことを想いながら砂に頬ずりをする…そんなレオ様な演出をする余裕もなく、その瞬間も沖に向かって左右に振ってくれているフラッシュライトに向かって100メートルほど走った。

待っていたのは大人かと思いきや、声変わり前のあどけない声の男の子だった。海に降りる階段の上から、声をかけてくれた。

「だいじょぶですか?さっき海から『おーい』って言ってました?」
「はい、それ僕です。」
「あー!良かったです。ケガはないですか?」
「大丈夫です、日暮れ前に上がろうと思ったら離岸流にはまって、30分くらいずっともがいてました。いやー参った…。」

彼の近くにはもう一人、彼のお兄さんらしき人と、スマホのフラッシュライトをかざしていたお母さんらしき人がいて、僕がズルズルと階段をあがり車に着くまで見守ってくれていました。

沖から自力で陸に戻る希望を失いかけていた僕の叫び声を聞きつけ、小さくも力強い光を届けてくれたことに何度もお礼を言い、心配かけたことを平謝りしました。

運転席の扉を開け、スマホに届いていたメッセージに返事をする。

「さっき海から上がったよ。長くなるので後で話す…
 遅くなったので直接、待ち合わせ場所に向かうね。」

唯一良かったのは、真っ暗になって30分経っても既読にならなかったことに、良くも悪くも心配されていなかったこと。

当然、家族に顛末を話したら「何それ危なすぎる…もう夕方の一人サーフィン禁止ね」と、プリプリ怒られるのですが、それすら耳に心地いい。

ええ、生きているって素晴らしい。

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以上が、数日前に体験した内容です。

サーフィン初心者でなくても、台風前後の荒れた海でなくても、運動不足でなくても、潮の流れと自分の体力を読み誤ると、あっという間に流されてしまいます。

たとえ上級者でも、荒波にもまれて板がぽっきり折れたり肩を脱臼したら、そしてバディやライフセーバーが近くにいなかったら、終わりです。

ひとたびパニックになると体力も思考能力も激落ちし、ますます離岸流から抜け出せなくなる。僕自身、危うくサーフボードを捨てて、生存確率を落とすところでした。

今までに流されたり大怪我をする人を見たり、友人と共に離岸流に15分ほどはまったこともあるので、常に畏怖の気持ちと警戒心は持っているものの、今回はまさに青天の霹靂。

海の怖さを甘く見たとは思わないけど、流された結果が全てです。昔と比べてパドルの速さも落ちていたので、完全に脇(パドル筋)が甘かったです。

もし、これを読んだ方がいつか離岸流にはまってしまったら、「まだ大丈夫」とは思わずに「これからヤバいかも」と状況判断を切り替え、いち早く「誰か!」「助けて下さい!」「戻れません!」と声をあげてください。

それ以上パドルする力がなくなったときに、それ以上声が届く距離に誰もいなかったら、"それ"は終わりの始まりです。見てないけど。

僕自身、陸で見守ってくれた3人に心配かけたことに反省しつつ、もう金輪際危ないのでサーフィンなんてしないなんて言わないよ絶対。

いやマッキーか。

しっかりと反省をし、疲労しきった筋力を一日おいて回復させてから、朝の海で小さめの波に乗ってきました。

いやマッキーか。正直者か。
気持ちの切り替えマッハか。

離岸流には、はまらなかったです。
もう夜の海には、二度と残されたくない。

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この文章は、田中奏延さん著作・今野良介さん編集の名著「読みたいことを、書けばいい」から影響を受けつつ、漂流しかけた経験を元に一気呵成に仕上げました。

さちこ、それ、一気呵成やのうて小林亜星や。

初心者サーファーにも、上級者サーファーにも、波乗りなんて全然興味ないけど海に少しでも接点がある普通の方々にも、少しでも海の怖さを知って貰えれば。

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