見出し画像

前略、床の上より。

「雨風を凌げる場所」という表現で家屋を表すことがある。この言葉が指しているのは屋根や壁のことだ。しかし無論、家はこの二者のみでできているわけではない。そこにはもう一つ、床という欠かせない存在がある。
灯台下暗しなどと言うが、人間には、足元への注意をおろそかにする性質があるらしい。それがすでにある程度安定した足場となっているということを足裏の感覚で察知することさえできれば、特段それ以上気にする必要が無いと無意識のうちにみなしているのだろう。足場の悪い場所などというのも普通に生活しているとほとんど巡り合わない現代においては当然のこととも言えそうだ。
しかし、普段意識していないとはいえ、いや、普段意識もできないほど自明になっているものだからこそ、それだけ床という存在は非常に大事なものなのである。
どれだけ頑丈で倒れない壁や屋根を作っても、床の代わりに地面がむき出しになっていたのでは現代人の望む快適な生活は望めないだろう。確かに雨や風は防ぐことができるかもしれないが、モグラやミミズ、その他もろもろの生物との共同生活を送ることは免れない。その上、家具家電その他を清潔に保つことも困難になる。脱いだ服をその辺に脱ぎ捨てるという何気ない行為にもとてつもない勇気が要求される。
人間にとっての”不都合”は何も天から降ってくるものばかりではない。地面からよじ登ってもくる。雨風を凌ぐという発想があるのならば、同時に、地面からの干渉を防ぐという発想も持たなければ片手落ちだ(縄文時代の高床式倉庫は、もしかすると日本において初めてこの発想のもとに作られた建造物なのかもしれない)。
床に感謝したい。床々に賛歌を送りたい。雨風のことを考える余裕があるのは、まず地表から我々を隔離するシェルターとしての床がその前提としてそこにあるからなのだ。

フローリングさん。私達の生活を支えてくれてありがとう。そして、いつも物を落としてしまってごめんなさい。ゴトッ。あ。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!