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【美術鑑賞備忘録】ロンドン・ナショナル・ギャラリー展


モネの睡蓮を観た。ゴッホのひまわりを観た。いずれも数々の美術書、それにとどまらず各所の本や雑誌やテレビなど、あまた目にする機会がある。だから、そこまでアイコニックになった絵を目の当たりにしても、「ああ、かの睡蓮だなあ」「かの向日葵だなあ」と、どこかその感慨を昔に置いてきてしまった印象を受ける。

ただ一つ、際立った感覚としてあったのは、特にひまわりの方を観たときで、絵の具をキャンバスにだくだくに盛ってあるために、黄色の渦の中に種を表す黒い渦が出来ていた、そのことへの興味だ。この絵の具の盛り上がりを目で撫でることが、それらアイコニックな絵を実際に観る価値ならば、目の当たりにしなければならない名画は、一生のうちに見切れない数となるだろう。

ここでふと疑問を感じる。絵の具の跡に作家の息づかいを感じ取り、その価値を置くならば、絵の本当の価値は質感になってしまわないだろうか。描かれている主題は家に帰って本で見られるし、近ごろの高精細な映像ならば、微妙な明暗の中にあるモチーフに気付くことだって出来る。では、現物と対峙して注意して見るべきは、どう足掻いても持ち帰りが出来ない、絵の質感になってしまうだろう。

なるほど、だから家に帰って画集を見たのではよく意味の理解できない、現物と対峙して初めて何か感じることのあるような、いわゆる難解美術を都合よく纏め表した「現代アート」も、生まれるのだろう。

ただ、モネの睡蓮は近づいてもやはり点描だ。あの点描の絵の具の跳ね躍るさまは、是非とも絵を壁から外して寝かせ、舐め回すように観ないと味わいきれない気もした。



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