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東浩紀『訂正可能性の哲学』を読んで

まず一言

 感動した。

 私は東浩紀の古い読者ではない。同時代的に著作を追いかけてきたわけでもない。デビュー作『存在論的、郵便的』から25年、東は本作をキャリアの総決算と位置付けているけれども、私が東浩紀を同時代の哲学者として認識したのはせいぜいその最後の2、3年に過ぎない。彼の著作のほとんどを私は後追いで読んでいる。だから、本作が東浩紀の到達点などという評価を私が下すのは、おこがましくてできない。しかし、たしかにそう感じさせるものがある。
 この国、この社会、この世界は腐っている。私はそう思う。しかし、東浩紀が感じてきた絶望はおそらく、私などとは比べ物にならないほど深いはずだ。華々しいデビューを飾りつつも、その後はアカデミズムの世界からも、批評業界からも、距離をとった。彼には居場所がなかった。だから、彼は自ら場所を作ることから始めなければならなかった。彼の文章を読んでいると、ここにたどり着くまでに一体どれだけの苦難があったのだろうと想像せずにはいられない。
 逆境の中で、こんなに真剣にこの世界について考え続けている人間がこの時代に存在しているという事実が、私にはほとんど信じられないことのように思われる。そのことに私は感動している。東浩紀という人間がとんでもなく頭脳明晰・博覧強記の人物であるということを私は知っているけれども、それは私の感動とはあまり関係がない。頭が良くてもダメになる人はたくさんいる。本当にものを考えるとはどういうことか、そのことを東は教えてくれる。東が「ぼく」と書くとき、それは抽象的な主語ではなく東自身のことを指している。そこには東の実存が賭けられている。思想家としての覚悟が示されている。哲学書を書くとは、たぶんそういうことなのだ。

これは現代の『饗宴』だ

 本作『訂正可能性の哲学』は、少し前に刊行された『観光客の哲学 増補版』の続編として書かれている。その感想は前回の投稿(『観光客の哲学 増補版』読んだ)に書いたので、興味のある方はお読みいただきたい。
 その前著の「はじめに」で、東は次のように書いていた。

 ぼくのようにいちど人文系の学部で哲学を学んでしまった人間には、自分自身の思想についても、過去の哲学者を参照し、他社の言葉を引用したり批判したりしてしか語れなくなるという厄介な癖がつきがちである。カントが言ったように、シュミットが言ったように、アーレントが言ったように……といった引用の連続でしか、あらゆる議論を展開できなくなるのである。人文系以外のひとには理解されにくいのだが、この癖は人文系出身者の宿痾のようなものだ。
 〔中略〕
 けれどもぼくは、そろそろその癖からも卒業したい。

『観光客の哲学 増補版』9-10頁

 『訂正可能性の哲学』は、東がそれにお別れを言うための、いわば卒業論文である。その分、その「宿痾」も盛大に発揮されている。ウィトゲンシュタインからポパー、ローティ、アーレント、ルソー、ドストエフスキー、バフチン、トクヴィルまで、ジャンルを超えたビッグネームたちが次々に引用されながら議論は進められる。
 しかし、私は本書を読み進めながら、東がここで披露する引用のスタイルは、いわゆる文系学者たちの引用スタイルとはどこか根本的に異なるのではないかと感じた。これは散文で書かれた『饗宴』なのではないか。
 『饗宴』はいうまでもなくプラトンの著作だが、プラトンは対話形式の名手だった。『饗宴』はその形式で書かれた傑作である。そこではソクラテスを中心に、当時のアテナイの有名人たちが続々集ってきて喧々諤々の議論が行われる。プラトンはそれぞれの人物の思想・主張のエッセンスをうまく引き出しながら、それらをぶつけ合って、ひとつの対話劇に仕立てた。私たちが哲学と呼んでいるものの原点はここにある。
 『訂正可能性の哲学』はその原点回帰である。むろん、プラトンのような対話形式で書かれているわけではない。しかし、もしプラトンに散文で哲学書を書かせたらこのようになっていたのでないかと思わせるような、思想家たちのスリリングな「対話」が、ここにはたしかに存在する。
 どういうことか。東はただそれら思想家を個別に召喚して解説を与えているわけではない。自説を単に強化したり権威づけしたりするために引用しているのでもない。引用が単なる飾り付けになっていない。そうではなく、東は、彼らが一堂に会する場所を作っているのだ。言うなれば、それは東が司会を務める大討論会(シンポジウム)である。

本書はクリプキとローティとアーレントを自在に組み合わせているが、彼ら自身が相互に参照しているわけではない。連結を支えているのは結局のところぼくの直感である。

『訂正可能性の哲学』133-134頁

 それはたしかにそうだろう。しかしそれは、私には逆に、歴史上は決して叶うはずのなかった、過去の偉人たちの夢の共演のように見えた。
 あるいは次のような光景を想像してみよう。クリプキ、ローティ、アーレントがゲンロン・カフェに同時に登壇している光景を。ゲンロン・カフェではしばしば、これまで交わることのなかった人と人が交わる。「この人とこの人のツーショットが見られるなんて」という奇跡を私は何度も目撃した。私が本書を読んで覚えた興奮はそれに似ている。
 ゲンロン・カフェに登壇した者たちは、長くトークを続けるうちに必ずと言って良いほど、いつもとは違う顔を見せるようになる。それと同じように、『訂正可能性の哲学』に登場する思想家たちもまたいつもとは表情や語り口が異なっている。東の言葉では、「ぼくが行なったのは、ウィトゲンシュタインの哲学を訂正し、ローティの連帯論をを訂正し、アーレントの公共性論を訂正する……といった訂正の連鎖の実践である」(136頁)ということになる。
 たとえば東がアーレントから引き出す公共性の鍵(持続性・表象の空間・制作)は、アーレント自身が公共性の核とみなしたもの(公開性・現れの空間・活動)からはズレている。にもかかわらず、東はアーレントの議論に忠実である。アーレントに学びつつ、アーレントに問い返し、アーレントの別の側面を引き出すのである。プラトン風に書けば次のようになるかもしれない。

アズマ:アーレント、君は活動(action)が大事だと言ったね。では制作(work)についてはどうだろう。世界をオイコスとポリスに分ける君の見方はいかにも当世風(※現代の私たちから見れば「古典的」)だが、そのために制作は居場所を追いやられてしまっているのではないかね。
アーレント:そうかもしれないね、アズマ。
アズマ:アーレント、ぼくの考えでは、君は二分法に囚われすぎているのではないかな。別の枠組みさえ用意すれば、制作もまた正当な評価を与えることができるのではないだろうか。そしてそれは、じつはあなた自身が述べようとしていたことではないのか。
アーレント:ゼウスに誓って、アズマ、その通りでしょうね。

 自分で書いていてあまりにも下手くそな対話なので驚いてしまったが、そこは気にしないでほしい。
 この対話のなかでアズマが「じつは」と言った箇所が重要で、というのもそれが訂正可能性の哲学の合言葉だからである。それはプラトン=ソクラテスの表現では「産婆術」に相当するものである。アーレントが何かを主張する。しかしその主張には矛盾があったり難があったりする。そこを突きつつ、別の見方を提示して、結果的にアーレントの思想の最良の部分を引き出す。それはアーレント自身の主張から論理的に引き出されるものであるが、アズマという産婆なしには決して産み落とされなかったものでもある。
 それは、私たちがいつもゲンロン・カフェで見てきた光景だ。東の前では、ゲストはいつもとは違う表情を見せ、違うことを語る。それがゲンロン・カフェの醍醐味でもある。私は、こんなに生き生きとしたアーレントを見たことがなかった。ウィトゲンシュタインも同様だ。もっととっつきにくい人かと思っていたが、話してみたら結構面白い人じゃないか。あ、でも実家は太いんですね。え、その財産は捨てて小学校の先生になった!?……
 このあとルソーが「乱入」し、イベントは最高潮を迎えるだろう。本書第二部はルソーの独壇場と化している。ここまで自由に奔放に暴れ回っているルソーも、私は見たことがなかった。ちなみに誰かがリミッターを外して大暴れするというのもゲンロン・カフェではおなじみの光景である。もしルソーが本当にカフェに登壇したら、『新エロイーズ』を自ら朗読し、急に怒り出したり、急に泣きじゃくったりし始めたことだろう。
 これだけ多様な顔ぶれを登場させながら議論がぶれることなく一冊にまとまっているというのは驚異的である。それもまた、東が千本ノックのごときイベントの数々をこなすことによって鍛えてきた司会力の賜物と言えないだろうか。東の文体はしばしば音楽的(というより歌謡曲的)と喩えられ、それが東の文章の読みやすさに繋がっていると言われている。しかし本書に関しては、私は「映画化可能性」や「実写化可能性」について、ついつい夢想してしまった。

 東は前作で引用が連続からなる文章からの卒業宣言を行なっていた。しかし、以上述べたように、本作では引用の意味そのものが変えられているように思われた。その点でも比類のない哲学書である。
 なお、穿った見方を許してもらえるなら、そこには「引用って本来こういうものだろ?」という、硬直したアカデミズムへの批判(あるいは挑発)も少し混じっているような気がした。プラトンの哲学から、文系学者たちのやる哲学はいかに遠く隔たってしまったことか。

 もう一点、付け加えておきたいことがある。
 それは、東が上記のような歴史上のビッグネームに加えて、成田悠輔や落合陽一といった現代日本の思想家をも議論の俎上に載せていることである。彼らを「思想家」と呼ぶことに違和感を覚えるかたもいるかもしれない。彼ら自身、そう呼ばれたら戸惑うかもしれない。しかし重要なことは、彼らの自己認識にかかわらず、彼らの主張の思想史的意義を問うことなのである。アーレントやルソーといった歴史上のビッグネームと並べて、落合、成田といったある意味でローカルな人物にも焦点を当てて平等に論じるところに、私はむしろ東の学問的誠実さを感じる。
 そしてその論じ方だが、たしかに東は落合・成田の主張をまとめて「人工知能民主主義」と名付けて批判的に取り上げている。とはいえ、彼らの主張もまた近代民主主義論の起源から、つまりルソーの説いた民主主義理論から必然的に帰結する正当な主張であるとも述べている。東は人工知能民主主義が民主主義の歪曲であるとか矮小化であるとは決して言わない。それはそれとしてひとつの民主主義の可能性として認めなければならないのだ。その上で、そうではない別の民主主義の可能性をルソーの思想から導き出そうとする。このあたりの議論の組み立て方が、本当に素晴らしいと思う。そこには批判する相手に対するリスペクトがある。だからこそ根本的な批判になりうる。批判とはかくあるべし。今日の知識人の、意見を異にする相手への口汚い罵倒を思う時、私たちはこのような節度ある態度をもう一度思い起こすべきだと感じる。

ルソー研究の文脈から

 では、人工知能民主主義を回避して、民主主義はどこへ向かうべきなのか。
 そこで東が重視するのが、小説『新エロイーズ』である。『社会契約論』があまりにも有名なので私たちはルソーを政治思想家と考えがちだが、実は彼は小説家としての顔も持っていた。『新エロイーズ』は当時ベストセラーとなっていたので、生前はむしろ作家としてのほうが有名だったかもしれない。
 厄介なのは、政治的ルソーと文学的ルソーとでは、言っていることが全然違うように見えることである。一方では全体主義者扱いされるほど「公」の重要性を説きながら、他方ではうんざりするほど甘い言葉で「私」を擁護する。この矛盾に、ルソー研究者たちはずっと悩まされ続けてきた。E・カッシーラーが「ジャン=ジャック・ルソー問題」と名付けた問題である。
 私は院生時代にルソー研究をしていたこともあり、ルソーに関する研究書については日本語、英語、仏語で読めるものにはある程度目を通してきたつもりだ。それゆえ、僭越とは承知しつつ、以下、少し専門的な立場からもコメントしておきたいと思う。
 「ジャン=ジャック・ルソー問題」に対しては様々な解決策が提起されてきた。ルソーのパーソナリティの問題として片付けるもの。主に『エミール』の読解を通じて、「私」から「公」への移行の契機として「教育」を見出すもの。あるいは、そもそもそれらを統合する必要はないとして、ルソーは文明の病への処方箋として色々な治療薬を提示したのだと考えるもの。
 そうしたルソー研究史のなかで、今回東が提起した、「私」による「公」の絶えざる訂正というルソー解釈は、真にオリジナルかつ魅力的なものであると言って良いだろう。
 『新エロイーズ』にルソーの共同体論を読み込む研究がなかったわけではない。しかし、私の知る限り、それもやはり先ほどの3つ目の解決策、すなわち文明の病に対する様々な処方箋のひとつとしての愛の共同体、といった趣旨の議論にとどまっていた。政治的ルソーと文学的ルソーに整合性を与ようという意志が薄い。
 それに比べると、東の『新エロイーズ』読解ははるかに深い。なんと言うか、狂気じみている。ルソーの狂気と東浩紀の狂気が共振するのを感じて、私は読むのが怖くなったくらいだ。
 読者の楽しみを奪うべきではないので、ここでは、ルソー研究史の文脈から見ても画期的であるという点を強調しておくに留めよう。一箇所だけ、東の読解を端的に示している恐るべき一文を引用させていただく。

サン=プルーにとっての自然がアルプスの山々であるとすれば、ヴォルマールにとっての自然はクラランの農地である。

296頁

 美しい文章だ。

 あまりに見事なので私はしばし呆然としてしまったのだが、そのうちに少し気になってきたことがある。以下に述べることは議論の本筋とはあまり関係がないので、単に私の些細な疑問として聞き流してもらって構わない。 
 引用箇所で東が言い表そうとしているのは、要するに、ありのままの自然と訂正された自然の対比である。
 ヴォルマールが無神論者であったことを思い出そう。クラランの農地からは神が追放されていなければならない。ヴォルマールは神経質に自分の農地を手入れし、自然を訂正し、「第二の自然」を創り出そうとする。それは自分が神=主権者になることである。東がヴォルマールの自然観こそ『社会契約論』の人民主権論に繋がるものと見ているのはやはり慧眼だ。
 では、それと対比されるところのサン=プルーの見つめるアルプスの山々は、本当に「ありのまま」の自然なのだろうか。そこには、都会に疲れたサン=プルー(=ルソー)が遡行的に見出した理想の自然の姿が投影されているのではないだろうか。サン=プルーの目に映るアルプスは、あまりにも神々しい。その意味では、サン=プルーの自然もまた別の角度から訂正を受けていると言わなければならないだろう。
 とはいえ、この話に特に結論があるわけではない。ルソーにおける「自然状態」の位相についてとか、美術史における自然の描き方との連関とか、何とかかんとか、ごちゃごちゃ書くことはできるかもしれないが、とりあえず現段階ではこれ以上議論を展開する能力は私にはない。単なる思いつきである。蛇足である。自分用に少し書き記しておきたかっただけなので、読者の皆様にはやはりご放念いただきたい。

改めて、「ドストエフスキーの最後の主体」について

 哲学は何の役に立つのか? 「すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる」、「役に立たないからこそ役に立つ」、そういった返しが哲学擁護のための常套句となっているが、本書を読むとそれも一周回って浅いように思えてくる。
 東の哲学は、そうしようと思えば、すぐに役立つ。「訂正可能性」という言葉は、たとえばビジネスに、家事・育児に、スポーツに、その他様々なことに応用可能だろう。
 ただし、そのようなことが可能なのも、東がそれを概念として精緻に練り上げているからに他ならない。読みやすさに反して、本書で展開される議論は実際には極めて高い抽象度を保ってもいる。その意味では、本書は学生や院生が哲学を学んだり自分で文章を書くときのお手本ともなるだろう。また、さらには、東が提示したアイディアを基にして別の議論へと派生させることもできるだろう。
 いずれにせよ、このような良書を読んだときには、読者は単に新しい知識を身につけるだけではない。それは私たち自身のなかにある思考の種のようなものの発芽を促しもする。今まで漠然と考えていたことや、言語化できなかったモヤモヤした経験が、「訂正可能性」という言葉を用いることで理解可能になるかもしれない。

 私は、「訂正可能性の哲学」とは「赦しの哲学」だと思う。それは世界を肯定する哲学だ。他者を受け入れる哲学だ。そして何より、自分の存在を赦す哲学だ。
 本書は『観光客の哲学』の続編という位置付けであるが、より俯瞰して見るなら、デビュー作『存在論的、郵便的』以来、東の思考はずっと同じ問いを巡っている。
 「おわりに」には次のようにある。

本書はその意味では、52歳のぼくから27歳のぼくに宛てた長い手紙である。四半世紀前のぼくは、はたしてこの返信に満足してくれるだろうか。

『訂正可能性の哲学』347頁

 過去の自分と現在の自分は、同じ人間でありながら同じ人間ではない。その不連続の連続に、人は耐えられない。過去の自分を赦すことができない。そこでしばしば人は、自己否定を通じて新しい自分を獲得したいと思う。
 でも、それではダメなのだ。自己否定には際限がない。過去の自分を否定するなら、現在の自分もいつか否定されることになる。
 他者を受け入れましょう、尊重しましょう、と私たちは教えられている。しかしそれを言うなら、過去の自分もひとつの他者ではないか。それなら、私たちはまず過去の自分を肯定することから始めなければならないだろう。過去の自分を赦すことから始めなければならないだろう。現在と過去が和解したとき初めて、希望とともに未来が開けてくるはずだ。
 そしてまた、未来の自分も他者である。その他者を、私は無理やり現在に繰り込もうとは思わない。現在に繰り込まれた未来は、たとえば「リスク」として換算される予測の対象でしかない。それはもはや、本質的な意味において「未来」ではなくなっている。そのような「未来」に住む私はもはや他者とは言えないだろうし、現在の私をがんじがらめにしてしまうだろう。未来のためと言われてマスクを強要され口を封じられ、未来を奪われてしまった時代のことを、私は覚えていようと思う。
 未来とは文字通り「未だ来らざるもの」のことだ。未来の私は「誤配」の産物としてしか存在しえない。そして誤配から生まれた私は、現在の私とは異なるものでありながら、やはり私以外の何者でもないだろう。そのすべての「私」を、私は受け入れたいと思う。

 私は昔、思春期の頃、人並みにいろいろ悩んだこともあった。それを言葉にできなくて苦しんだ。言葉を求めて本を読んだ。それでも解決しなかった。最終的には、「今の自分の年齢ではこの問題は解決できない」と考えるに至った。ただし、単にありがちな思春期の悩みとして片付けず、悩んだことについてはちゃんと覚えていようと決意した。この問題については10年後、20年後にまた考え直そう。そう日記に書いたことを覚えている。
 実際に年月が経ち、今の私は当時の私の悩みをある程度言語化して考えることができるようになった。そこで私もまた、かつての私に尋ねてみたい。君はこの返信に満足してくれるだろうか、と。

 前回の投稿で私は『観光客の哲学 増補版』の感想を書いた。その最後のところで私は、誤配の厳しさについて考えたいと記した。なぜ誤配を受け取らなければならないのか。なぜ単に配送の手違いとして差し戻さないのか。なぜあたかもそれが必然かのように受け取らなければならないのか。それが私にはわからなかった。
 今回『訂正可能性の哲学』を読み、それを親と子の問題(それは『観光客の哲学』の「ドストエフスキーの最後の主体」という章のテーマだった)に再接続して考えてみると、その意味が少しわかるようになった気がする。
 未来の私は、現在の私から見れば年老いている。しかし、未来の私は現在の私の「子」のようでもある。そして未来から見れば、現在の私は「親」である。
 親にとって子は「不気味なもの」である。私に似ているが私ではない。しかし、「生き写し」という言葉もあるように、確かに私でもある。それは、奇妙な言い方だが、私自身が私に対して親でもあり子でもあるということではないか。
 現在の私はさまざまな事柄に関して「不能」である。しかしそんな不能の父である私が解決できなかった問題も、誤配の末に生じた未来の私、「子」としての私なら解決してくれるかもしれない。実際、「親」としての過去の私ができなかったことを、その「子」である現在の私はできるようになっている。同じことがこの先も起きるだろう。そう期待して良い。現在は現在で、私には解決不能なことがたくさんある。それは、私が現在にとどまる限り決して解決しない問題である。解決のためには、私は「子」を必要とするだろう。その「子」は、必然性が貫かれた世界からは、決して生まれない。必然から生まれた「子」など、所詮は私の一部でしかない。私に解決できないことを、私の一部が解決できるわけがない。だから、誤配された「子」が必要なのである。

 長くなってしまった。それでも書ききれなかったことがたくさんある。しかし、それについては私の「子」がいつかまた書いてくれることだろう。

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