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【読書日記】小出裕章『フクシマ事故と東京オリンピック』

小出裕章(2019):『フクシマ事故と東京オリンピック』径書房,149p.,1,600円.
 
以前紹介した『東京五輪がもたらす危険』の読書日記で言及した本書。この本には本書の要約が掲載されていたが,実際に読んでみると,文章は決して長くない。著者によるマニフェスト的な文章を,英語,ドイツ語,フランス語,スペイン語,ロシア語,中国語,アラビア語に翻訳して併記し,それに加えて福島の写真が多数掲載されているものである。
著者は1949年生まれで,幼少期の経験から核の平和利用を夢見て東北大学工学部原子核工学科に入学する。しかし,原子力について学べば学ぶほどその危険性に気づき,京都大学原子炉実験所の教員となっても,原発をなくすための研究と運動を続けている,と著者のプロフィールには書いてある。福島原子力発電所の事故以降,著書が多く,『隠される原子力・核の真実――原子力の専門家が原発に反対するワケ』(2011年,創史社)などを出している。
本書は「2018年7月…ひとりの日本人女性からの依頼を受け,「フクシマ事故と東京オリンピック」と題する文章を書いた。その後それは英訳され,同年10月,世界各国のオリンピック委員会などに書簡として送られた。本書はその原稿を基に一部加筆・修正したものである。」(p.8)とある。表紙には「真実から目を逸らすことは犯罪である。」とあり,帯には「忘れていませんか?この国は,現在も,100年経っても,「原子力緊急事態宣言」化にあることを――。《世界に告ぐ》東京五輪は即刻中止!」と書かれている。
本書がオリンピックに反対する理由は,基本的に『東京五輪がもたらす危険』と同じであるが,原子力の専門家とはいえ,本書で詳しい説明をしているわけではない。一気に読めるような短い文章で,力強い文章で福島原発から発せられた放射能がどれだけ強力なものでそれらに対処するには,オリンピックなぞにお金や尽力を注いでいる余裕などなく,まさに国を挙げて注力する必要を訴える。とはいえ,その大事業は,日本に現在住む人が誰一人生きている間に目撃できないような,時間がかかるものである。
『東京五輪がもたらす危険』の読書日記で,書こうと思っていて忘れていたことが一つある。本書では見開き2ページを使って大きな文字で書かれているが,「日本国政府が国際原子力機関に提出した報告書によると,その事故では,1.5×10の16乗ベクレル,広島原爆168発分のセシウム137が大気中に放出された。」(pp.34-35)とある。しかも,溶け落ちた原子炉内には約8000発分のセシウム137が存在し,大気中の168発分に,海に放出されたものを加えると約1000発分が現在までに環境に放出されたという。
私は1970年生まれで,冷戦の時代に育った。第三次世界大戦が起これば核戦争になり,全世界が滅びるという言説が溢れていたし,実際に第三次世界大戦,核戦争後の時代を描いた漫画なども多かった。でも,変な言い方だが,実際に人間が住む街に落とされた原爆は広島と長崎という都市を壊滅させたが,変な言い方をすれば当時の原爆の威力はその程度である。もちろん,当時であっても投下された原爆の威力はその規模の都市を壊滅させるだけの容量に設定されていたのかもしれないし,現在の原爆はそれ以上の威力を持つのかもしれない。しかし,原爆で一つの国を全滅させるには何発必要なのだろうか,世界を滅ぼすには全世界にある核兵器でできることなのか,素朴な疑問がわいた。下記のサイトで「世界の核兵器保有数(2021年1月時点)」が示されている。それによれば,1発の威力は広島原爆に比べてどの程度かは分からないが,13,400発の核兵器を保有しているとある。

1945年に広島に原爆が投下された当時,疎開などで移動していた人も含め,広島市内には35万人の人口があったという。もちろん,壊滅といってもその人口が全て死亡したわけではないのだが,例えば現在の世界人口を80億人とする。現在の原爆の威力で50万人を死亡させられるとすると,全人口を全滅させるのに単純計算で16,000発が必要となる。そう考えると,現在保有されている核兵器の保有数でほぼ全滅することができる。とはいえ,核兵器の殺傷能力は主に爆発によるもので,放射能によるものは付随的なものであり,78年前に被曝して,現在もご存命の方もいる。また,都市部での爆発は効果的だが,人口密度が低い場所での爆発による殺傷能力は低い。なので,この計算はまったくもっていい加減ではあるが,そんな思考実験は行える。
話はそれたが,私が漫画で学んでいたような核戦争後の世界は,確かに全ての核兵器保有国が全ての核弾頭を使えば世界全滅は可能であるといえる。しかし,核兵器を用いた戦争が始まり,全ての核弾頭を使うような事態は想像しがたい。それはもうやけくそになって地球を滅亡させようという意図のもとでしかありえない。しかし,一方で,上記福島原発の放出したセシウムを考えると,原子力発電所は爆発による即座の殺人は行えないものの,放射能の量としては原爆の8000発分というのだから,世界にある全ての原子力発電所が核兵器によって攻撃されるということを考えたら,かなり恐ろしいことにはなるだろう。
いずれにせよ,本書は一人の読者である私にこんなことを考えさせるような文章の力を持っており,東京五輪はほぼ無観客ではあったものの開催されてしまい,そこに投入されたお金と資材と労働力の一部は福島原発事故の後始末に投じられるべきものであったことは確かであった。まだ東京五輪が終了して2年が経たないが,この「復興五輪」の教訓はもうかなり忘却の彼方へと追いやられている。国会では,原発の再稼働や可動年数の延長,さらには新規増設までも目論んでおり,軍事費増額の財源として震災復興のための資金からの横領まで議論されているという。私たち市民は何度でもこの事故のことを訴え続けていかなくてはならないのだろう。

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