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自閉症の歴史を人物の功績を通して解説

今回は自閉症の歴史について、ざっくりとまとめた記事です。自閉症の歴史は自閉症の研究をした人物の歴史でもあるので、時代順に人物の紹介をすることにしました。


レオ・カナー

自閉症の歴史は1943年に米国の児童精神科医であったレオ・カナーが、人には興味を示さないが物には強い執着を示す子供達について、論文の中で、「自閉的孤立」と名付けたことに始まります。

彼が診察した子供たちは、知的な障害を持ち合わせていたため、このようなタイプの子供達は、カナータイプと呼ばれることもあります。


ハンス・アスペルガー

レオ・カナーの発見と同じ頃、ドイツの精神科医ハンス・アスペルガーは、自身が出会った奇妙な子供達について、論文を書きました。その子供達は、優れた言語発達と高い知能程度を示しましたが、カナーの自閉症と同様の特性を持ち合わせていました。そう、アスペルガーは高機能の自閉症の症例を発見したのです。

しかし、以後およそ40年間に渡って、高機能自閉症の研究は停滞してしまいます。なぜなら、アスペルガーの論文は戦時中にドイツ語で書かれていたため、世界的な話題にならなかったからです。

高機能自閉症が日の目を見るのは、1980年代にローナ・ウィングがアスペルガーの論文を取り上げるまで待たなければなりませんでした。


ブルーノ・ベッテルハイム

シカゴの精神分析家であるブルーノ・ベッテルハイムは、1960年代に、自閉症は、母親との愛着関係の弱さに原因があると考え、家庭隔離(子供を母親から遠ざけ、祖父母の元に預けること)といった治療法を行いました。

また、動物行動学でノーベル賞を受賞したニコ・ティンバーゲンは、ベッテルハイムの考え方を支持して、抱っこ法(抱っこを促し、子供の触られることの嫌悪感を打破する方法)などを推奨しました。

しかし、これらの治療法では、子供の社会性が改善しないばかりか、有害でさえあることが明らかになっていきました(この人たちは、マイナスの功績ですね)。


マイケル・ラター

1970年代に、マイケル・ラターは、ベッテルハイムの学説を否定し、自閉症は言語と認知面に問題があるとし、先天性の脳器質障害説を提唱しました。

マイケル・ラターの考え方は、以後の自閉症研究においても、支持されるようになった有力な説です。


ローナ・ウィング

イギリスの精神科医であったローナ・ウィングは、1981年に、これまで注目を浴びることのなかったハンス・アスペルガーの論文に言及し、そこで取り上げられる子供達の症状をアスペルガー症候群と命名しました。

また、自閉症とアスペルガー症候群は、それぞれ別物ではなく、連続する1つの障害であるとする自閉症スペクトラムの概念を提唱しました。

さらにローナ・ウィングは、この自閉症スペクトラムには、社会性・コミュニケーション・想像力の3つの領域に障害があるとしました。


ウタ・フリスとバロン・コーエン

自閉症の世界的な研究者として知られるウタ・フリスとバロン・コーエンはそれぞれ、弱い中枢性統合の仮説と、マインド・ブラインドネス仮説を提唱し、現在でもこれらは有力な理論とされています。

また、1990年代になると、アスペルガー症候群はWHOのICD-10という精神障害の診断基準や、アメリカ精神医学会の診断基準DSM-4に記載されるようになり、一般の人々にも、この障害の名前が知られるようになっていきました。


まとめ

・自閉症の歴史は、レオ・カナーとハンス・アスペルガーによって、ほぼ同時期(1940年代)に始まった。
・カナーは自閉性障害、アスペルガーは高機能自閉症の症例についての論文を発表した。
・1970年代に、自閉症は先天性の脳器質障害であることが認められた。
・1980年代に、ローナ・ウィングがアスペルガー症候群、自閉症スペクトル、三つ組みの障害の概念を提唱した。
・1990年以降、ASDの研究が進展し、アスペルガー症候群が精神障害の診断基準に記載されるようになった。

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