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うつ病、依存症、末期がん…最新科学でわかった幻覚剤のすごい効果 #3 スピリチュアルズ

人間の行動はすべて、あなたの知らない無意識(スピリチュアル)が決定している……。これを聞いて、驚く人も多いでしょう。ベストセラー『言ってはいけない』や『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』などで知られる橘玲さんの近刊『スピリチュアルズ――「わたし」の謎』は、脳科学や心理学の最新知見をもとに、自分とは、社会とは、人類とは何かについて迫った意欲作。読みごたえたっぷりの本書から、一部をご紹介します。

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「自己」をつくり出すDMN

DMN(デフォルトモード・ネットワーク)は2001年にワシントン大学の神経学者マーカス・レイクルによって偶然に発見された。

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典型的なfMRI検査は、装置のなかに横たわった被験者の「安静時」の神経活動を標準データとして記録するが、なにかに注意を向ける必要がなく、精神的タスクがなにもない、つまり脳の「デフォルトモード」のときに活発化する部位があることにレイクルは気づいた。

これは「私たちの心がふらふらとさまよう――白日夢を見る、思いを巡らす、過去を振り返る、反省する、不安を抱く――場所」だ。

デフォルトモード・ネットワークに対応するのが、外界から注意喚起されるたびに活性化するアテンショナル(注意)・ネットワークだ。この2つのネットワークはシーソーのような関係にあり、一方が活性化しているときは他方は沈黙する。

外界からの刺激に対応する知覚から離れて機能するDMNは、大脳のなかの進化的に新しい部位である大脳皮質から生じ、内省など高次の「メタ認知」プロセスでもっとも活発化する。このDMNは、子どもの発達段階でも後期になるまで完成しない。

このことは、脳のシステムがヒエラルキーになっていることを示している。進化の遅い段階で発達した大脳皮質にある「上位」の領域は、感情や記憶に関係する大脳辺縁系の「下位」の領域に対して抑制的に働くのだ。

より重要なことは、DMNが自己の構築に関係しているらしいことだ。そのため一部の神経学者はこれを「ミー・ネットワーク」と呼ぶ。「自伝的記憶」は自己を過去・現在・未来と結びつける一貫した物語だが、それはDMNのなかにあるノード(中継点群)のつながりで構築されるのだという。

カーハート=ハリスの実験でもっとも衝撃的だったのは、DMNの活動が急低下したときと、被験者が「自我の溶解」を経験したと訴えた時点が一致していたことだ。DMNでの血流量と酸素消費量が急落すればするほど、被験者が自我の消失感を訴える傾向が高かった。

DMNの活動を示すデータが急落するときに自我が一時的に消え、ふだん私たちが認識している自己と世界、主観と客観といった区別が消えてしまう」らしいのだ。

幻覚剤でうつ病が治る?

だがこれは、自己が「if~then~」のシミュレーションだと考えれば、不思議でもなんでもない。

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抑うつというのは、過去のシミュレーションがネガティブな方向に極端に偏ることだ。そうなるとDMNは、「あのときこうしていれば、こんなことにはならなかったのに」という後悔ばかりをえんえんと反芻するようになる。

不安障害というのは、未来のシミュレーションがネガティブな方向に極端に偏ることだ。DMNは、「いまのままだと、将来、悲惨なことが起きるにちがいない」という不吉なことばかり考え、その無限ループから逃れられなくなる。

抑うつや不安は脳というシミュレーション・マシンの傾向がネガティブに偏ることで、それによって「自己という檻」に閉じ込められてしまう。幻覚剤が過剰なシミュレーションを抑制するのなら、自己は後景に退き、抑うつや不安は消えるだろう。

サイケデリック体験では、自己が消えても意識は残る。だとしたら、「自己」は「なくてはならない」ものではない。カーハート=ハリスはこれが、神秘体験で「啓示」が得られる理由だという。

ある種の洞察を自分が考えたことだと判断するには、そもそも主観がなければならない。だが幻覚剤による神秘体験ではその主観が消失するのだから、洞察はどこか別の「超越的」な場所からやってくる以外にあり得ないのだ。

LSDやサイロシビンのような幻覚剤は、うつ病だけでなく、余命宣告されたがん患者などにも大きな効果があることがわかっている。これは、終末期の患者を苦しめるのが「(死という)未来への不安」だからだ。サイケデリックによって「自己の檻」から解放された患者は、自分が「宇宙」や「自然」と一体化するイメージを体験し、死への不安がやわらぐのだという。

幻覚剤は依存症の治療薬としても期待されている。これは依存症が、アルコールやドラッグなどの依存の対象に「自己」がとらわれることだからだ。サイケデリックで自己が後退すると、依存をより客観的に見ることができるようになる。――この体験は、宇宙飛行士が宇宙船から地球を眺める「概観効果(オーバービュー・エフェクト)」になぞらえられる。

ニコチン(タバコ)依存はもっともやめるのが難しいが(ヘロインより困難とされる)、サイケデリック治療のあと6カ月経過しても禁煙を続けていた被験者は80%にのぼり、1年後には67%に落ちるものの、それでもニコチンパッチなど、現在もっとも有効とされる治療より成功率が高い。

ここでも末期がんの患者と同様、完全な神秘体験をした被験者ほどよい結果が出たという。

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スピリチュアルズ――「わたし」の謎 橘玲

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