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手術は成功したのか?…現役外科医が描く、感動の医療ドラマ! #3 泣くな研修医

大学を卒業したばかりの研修医、雨野隆治。新人医師の毎日は、何もできず何もわからず、上司や先輩に怒られてばかり。初めての救急当直、初めての手術、初めてのお看取り。自分の無力さに打ちのめされながら、隆治はガムシャラに命と向き合い成長していく……。

白濱亜嵐さん主演でドラマ化もされた、中山祐次郎さんの『泣くな研修医』。現役外科医ゆえの圧倒的リアリティが評判を呼び、すでにシリーズ4作品が出版されています。ハマったら一気読み間違いなしの本作、その物語の幕開けをお楽しみください。

*  *  *

「タイムアウトー」

佐藤が言った。気が抜けた声だった。

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タイムアウトとは手術前に患者の取り違えがないことを確認し、どんな手術をどれくらいの時間でやるかといった情報を外科医、ナース、麻酔科医、その他スタッフで共有するというものだ。

「はい」

ナースが患者の氏名、年齢などを言っていく。

「術式は小腸部分切除、あと他に臓器損傷があったら切除など行う。最後に腹壁を修復して終わる。時間は一時間半から最大で四時間、出血は一〇〇ミリリットル以下に抑える」

佐藤が言った。女性の麻酔科医が続ける。

「麻酔上のリスクは貧血と脱水、あと背骨も折れてるっぽいから移乗に注意しましょう」

「メス」

佐藤が言う。

「いや、いらないかな。ま、一応」

緑の布に囲まれた腹部は皮膚と筋肉がちぎれ、一部で腹の壁に大きな穴が開いており腸が露出していた。穴を広げるようにして皮膚をさっとメスで切る。

「電気メス」

ピーーー

ジュウという音がして、煙が上がる。

――速い……しかもまっすぐだ……。

佐藤は五〇、いや一〇〇件ほども手術をやっているのだろうか。四年後には自分もこんな風になれるのだろうか。手際良く開腹していく。出血もほとんどない。岩井は時折「もうちょい右」「うん、いいよ」などと言うだけで、ほとんど指示を出していなかった。

小さい腹が大きく開くと、

「じゃあリングドレープと中山式開創器」

それぞれが装着され、お腹の創が大きくひし形に広がって中がよく見えるようになった。

「まず洗おうか」

佐藤がナースから受け取った大きな銀色のピッチャーでざばっとお腹の中にお湯を入れ、岩井が吸引した。

「さ、全部の臓器をよく見てみよう。CTでは何もなさそうだったけどなあ。まず腸から」

岩井が言った。お腹から一旦小腸を全部出し、端からずっと見ていく。

「ここと、ここが傷んでますね。……ここは壊死ってます、切らなきゃダメでしょうか」

「そうだな、でもここだけでいいんじゃない」

二人の会話の内容は、隆治にもなんとなく理解できた。事故の時にシートベルトと背骨に挟まれた腸がダメージを負っていて、それを見た目の色で判断しているのだろう。明らかに腸に穴が開いているところはなさそうだった。

小腸はピンク色で、白い紙に水彩絵の具の肌色をさっと引いたような、鮮やかな色だった。その一部に、褐色や黒の、腐った無花果のような色になったところがある。隆治は手術の時に小腸や大腸、肝臓など内臓の色を見るたびに、ああなんと美しいんだ、自然の色だ、と感じていた。「人間が自然の一部である」ということを強烈に感じた。

「あとはどこだ。一度小腸を腹の中に全部入れよう。膵臓は大丈夫かな、CTではちょっともやもやしていたけど」

小さい体に小腸をどさどさと入れると、二人は再び腹に手を入れてごそごそしだした。

「先生、少し挫滅しています。十二指腸も」

「そうだな……」

隆治は身を乗り出してお腹の中を覗き込んだ。が、どれが膵臓でどれが十二指腸かもわからなかった。佐藤が無言で膵臓と十二指腸を指差してくれた。

「これは微妙だな……まあでもこれならなんとかなるか。膵管は大丈夫だろうし」

確かに淡い黄色の膵臓が、膵体部、つまりぐるりと十二指腸に抱かれている部分より少し左の部分で褐色になっていた。

「ドレーン置いて保存的治療にしましょうか」

「うん、いいんじゃない」

コンサバとは、ダメージを負っているところを切って取ったりせずに放っておいて様子を見るということだ。その代わり出血したり膵液が漏れたりした時にすぐにわかるように、ドレーンと言われる管を近くに置いておく。そういう戦略である。

しかし隆治にはその意味がわからなかった。二人はあっという間に傷んだ小腸を切除すると、腸と腸を吻合した。隆治はまったくついていけず、ほとんど何もできなかった。

「さ、も一度洗浄ね」

と岩井が言うと、またはじめと同じようにザブンとお湯がお腹の中に入れられた。お湯に浮かぶ腸を見て、隆治はちょっと美味しそうだなと思い、すぐにその気持ちを打ち消した。自分はなんということを考えるんだ。そう思うと同時に、さっき急ぎでカレーを食べてから結構時間が経ったので腹が減ってきたのだと気づいた。

「じゃあドレーン入れてお腹閉めるよ。減張縫合もやるからね」

佐藤はそう言って、手際良く腹を閉め始めた。いつもは数カ月で溶ける糸ですきまなく縫っていくが、この日はナイロンと呼ばれる昔ながらの糸でおおざっぱに縫っていた。きっと綺麗に縫っても感染して、また創を開けなければならなくなるからだろう。

――何せ腸が飛び出していたお腹だったからな。

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最後の一針を縫い、岩井が目にも留まらぬ速さ(本当に手が見えなかった)で糸を結び終える。

「ありがとうございました」

佐藤は最後の糸をハサミでパチンと切った。

手術は終わった。

創にガーゼを当て、緑色の覆い布を外すと、ただの腹部に手足と胸と顔が戻ってきた。そこに横たわっているのはまぎれもなく、五歳の少年だった。交通事故で大怪我をして運ばれてきた、彼そのものだった。精巧な肉の塊、神経と血管が張り巡らされた臓器の塊から、一つの人格を持つ人間存在に戻ってきたのだ。お腹に大きな創、口には管が入っている。

――こんな小さい体なのに……。

そう思ったその瞬間、隆治は、不意に立ちくらみを感じた。

「ちょっとすみません」

そう言うと、手術台から離れてガウンを脱ぎ手袋を外した。視界がぐにゃりと歪む。

暗い。向こうに何かが動いている。はっきりとは見えない。なんだあれは……二つあるような……人? いや、それにしては小さい。子どものようだ……もう少し、もう少し見えてくれば……。

人影は徐々に明らかになってきた。

あれは……俺だ。昔の俺じゃないか。そして隣にいるのは……兄貴だ。横たわっているのが兄貴だ。俺はいったい何をしているんだ、兄貴はなんで横になっているんだ……。俺が何かを叫んでいる。おい、もっと大きな声で、もっとちゃんと言え、そうしないと……。

その瞬間、白い幕が上から落ちてきて、隆治の目の前は真っ白になった。

「いやしかし、ぶっ倒れるとはねえ」

岩井が面白そうに言っている。隆治は気づくと手術室の控え室のソファで横になっていた。

「まあ疲れてたんじゃないですか、こいつ全然家帰らないらしいんで」

佐藤が答えている。隆治はどうやら失神してしまったらしい。誰かが運んでくれたのだろうか。手術が終わってからそれほど時間は経っていないようだった。目が覚めたことをどう伝えればいいのかわからなかったが、寝たふりをしているわけにもいかない。仕方なく起きることにした。

「おお、お目覚めかい」

岩井がにやにやと嬉しそうに言った。

「はい、すみません」

頭をかきながら隆治が答えた。

「大丈夫?」

佐藤が変わらぬ調子で言う。

「はい、すみません。なんかいつの間にか倒れちゃったみたいで、本当にすみませんでした」

「まあ手術終わってたからよかったよ、倒れるタイミングが優秀だねえ君は」

「すみません」

倒れる時に頭を打ったのだろうか、後頭部にズキンと痛みを感じた。触ると皮下血腫ができていた。外科医は手術室で医師やナースが倒れるのに慣れているのか、それほど心配されていないようだった。隆治はただ謝るしかなかった。

「あの、患者さんは……」

「集中治療室行ったよ、抜管してないから」

「そうですか、ありがとうございます。ちょっと見てきます」

そう言うと隆治は立ち上がった。背中の右のあたりもずきずきと痛んだ。

――肩甲骨かな。まさか折れてはいないだろうけど……。あんな大きい骨なんて折れるのかな。

結構派手に倒れたらしい。隆治は手術着のまま手術室を出て、同じフロアにある集中治療室に向かった。薄暗い廊下は静まり返っていた。今が何時なのかもわからなかったが、少なくとも夜中の一時や二時にはなっているだろう。なんとなく音を立ててはいけない心地がして、隆治はスリッパの爪先に力を入れながら廊下を歩いて行った。

夜中の病院の廊下は、いつも何かの気配を感じる。誰かが角の向こうで息を潜めて立っているような気配。俺の恐怖心が作り出しているのか。それとも数えきれぬ人の「死」を引き受けてきたこの廊下が生み出しているのか。どちらであっても、敬意を失わず、厳粛な気持ちで歩けばいい。もし霊やお化けがいても、それは病院なのだから当然だ。ただ、失礼のないようやるだけだ。

そう言い聞かせながら、隆治は歩いた。

「集中治療室」と書かれたドアの小窓から暗い廊下に光が漏れている。あの部屋は二十四時間同じ明るさだ。いのちの瀬戸際で治療をする患者だけが入る。勝つ試合もあれば、負け戦もある。いのちの光が最後の咆哮を放つ時、あの小窓から漏れる光は少し明るくなる。

隆治の頭に、医学生のころ聞いた「集中治療室は三途の川のクルージングだ」という言葉がよぎった。確か、言った学生は不謹慎だと教授にこっぴどく怒られていた。

◇  ◇  ◇

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