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日野原先生、「死」とはどのようなものですか?

2017年7月、105歳の天寿をまっとうした、聖路加国際病院名誉院長・日野原重明先生。『生きていくあなたへ 』は、日野原先生が遺した最後の一冊です。死ぬことは怖くないのか? 人生で一番悲しかったことは? なぜいつまでも若く元気なのか? 誰もが気になる悩みや疑問に、やさしく答えた本書から、先生の「ラストメッセージ」を抜粋してお届けします。

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質問「今までたくさんの人の死を見てきた先生にとって、死とはどのようなものですか?」

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「新しい始まり」という風に感じます。

死ぬということは、多くの人にとって、まるでとかげのしっぽがきれるように終わるものだと考えられていますが、たくさんの死をみとってきて感じるのは、終わりではなく、新しい何かが始まるという感覚です。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。これは、聖書の中でも僕の好きな「ヨハネによる福音書」の一節です。

麦が死ぬというと、何かさびしいような気がするかもしれません。でもそうではなく、麦が地面に落ちれば、翌年にまた多くの実を結ぶことになる。つまり、一粒の麦は死ななければいけない、死ぬことによって、無数の麦の誕生につながるという希望を示しているのです。

僕は妻をはじめ、たくさんの親しい人を亡くしましたが、亡くなった後のほうが、むしろ生きていたときよりも、その人の姿が僕の中で鮮やかになっていくのを感じます。

そして彼らがかけてくれた言葉の意味が、死んだ後に、心の中でより深まっていくということを経験してきました。

死は「新しい始まり」

たとえば妻とは、今もともにいるという感覚があるのですが、その実感は彼女が生きていたときよりも強くなっているのです。死によって、しっぽがきれるように終わるのではなく、今もなお続いている、しかも以前とは違うもっとはっきりとした形で……そういう感覚です。

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だから僕自身も、死そのものはこわいのですが、そこで人生のすべてが終わるという感覚よりも、新しいものが始まる予感の中にいます。多くの人の死を経験し、そしてその時が自分にも確実に迫ってきている、この歳になって持つことのできた感覚です。

これまでは医者として人々を助けるためにこの世での時間を使ってきましたが、新しい世界でこそ僕の本当の仕事が始まるような気がしています。

本当の仕事をするとき、僕の肉体はこの世にないかもしれません。それでも、一粒の麦のように、死によって僕の遺した言葉が豊かに実っていくことを願っているのです。