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女将自ら足湯をして…老舗旅館の女将奮闘記! #4 花嫁のれん

女将の奈緒子はおせっかいで世話好き。持ち前の明るさで、金沢の老舗旅館「かぐらや」を切り盛りしている。そんなある日、「背中を流せ」と無茶な注文をする客がやってきて......。厳しい仲居頭や女将修業中の新米仲居たちと一緒に、お客を満足させる「おもてなし」を見つけることはできるのか? お腹も心も満たされる人情味溢れる物語、ここに開店!

日本の伝統やおもてなしが感じられて、旅気分も味わえる。
そんな盛りだくさんの本書から、一部を公開いたします!

*  *  *

玄関横の帳場で増岡が長く深い溜息をついた。
事務机やパソコン、四人掛けのソファなどが置かれ、ここでお客様の予約を受けたり、業務の打ち合わせをしたり、仲居たちの出勤日程を調整したりする事務方の部屋である。

「あのお客様が非常識なお申し出をされたというのに......」
増岡は、五年ほど前に神楽家の親戚筋の能登の老舗旅館から、かぐらやにやって来た。

年はもう還暦(かんれき)を超えている。「接客業は、みだしなみが大事でございます」と髪はいつも短く刈り、かぐらやの銘が入ったはっぴは毎日糊付(のりづ)けし洗濯している。

実直な人柄で、忙しい時などは仲居の仕事も手伝ってくれたりする。
それで夕べも、優香の代わりに熊川の背中流しを買って出てくれたのだ。

「いくらお客様といえど、若い娘さんに風呂場に一緒に入って背中を流せとは、あまりにもな話でございます」
奈緒子の向かいに立っている増岡は憤慨(ふんがい)しているようだ。

と、その隣に並んで立っていた房子が横合いから口を挟んだ。
「ですが、まあ、昔から、そういうことをおっしゃる男性のお客様は、たくさんいらっしゃいましたからねえ。私なんかは、それにも笑顔で耐え、着物の裾を上げて帯に挟み、腰ひもで襷掛(たすきが)けにし、ごしごしとお背中をお流ししたものでございます」

「まあ、房子さんなら、それもありかとは......」
「は?それはどういう意味です?」
「あ、いえ......大した意味はございませんです」
睨(にら)みつけられ増岡が慌てて口を閉じた。

「ですが、足湯とはねえ」
房子が話を続けた。
あの後、奈緒子は温泉のお湯の入った桶(おけ)を優香に客室まで運んできてもらい、そのお湯で熊川の足を洗いながら揉もみほぐしたのである。

女将自らのその世話に、熊川もさすがにもう文句は言わず、広縁の窓際の椅子に座り、足を湯につけ、されるがままになっていた。
窓越しに、ちょうど卯辰山がその目の先に見える。
うっすらと緑がかかり、山の息吹が感じられるこの季節ならではの景色である。

「山もええもんやな」
屈かがんでいる奈緒子の耳にも、そうボソッと呟(つぶ)やくのが聞こえた。ガラス窓越しに差し込む日の光も穏やかで温かく、よほど気持ち良かったのだろう。

見上げると、熊川は先ほど起きたばかりなのに、またウトウトしだしていた。奈緒子は微笑むと、そばにいる優香に目で合図し、優香が交代すると薄い毛布をそっと熊川に掛けた。

熊川が目を開けた時には、先ほどの不機嫌な表情は消えていた。
「熊川様、これでリラックスされ、今日もお仕事頑張れそうでございますか?」

出立する熊川に奈緒子は玄関で両手を揃そろえ笑顔で声をかけた。
少しは満足していただけたに違いない。そう思っていた。

だが、違った。

◇  ◇  ◇

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花嫁のれん

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