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「正義は我にあり」と思い込め…ヤクザに学ぶ人に強くなる極意

理論武装、いちゃもん、因縁、いいがかり、難クセ……。さまざまなテクニックを駆使する「ヤクザ」の交渉術は、意外や意外、ビジネスパーソンにも参考になる部分が多々ある。そのテクニックを豊富な実例とともに紹介するのが、裏社会の事情にくわしい、山平重樹さんの『ヤクザに学ぶ交渉術』だ。読めばこっそり試したくなる、そんな本書から一部をご紹介します。

*   *   *

「自分がどう思うか」がすべて

何という偉い人がいったのかは忘れたが、人間が最も強くなれるのは、自分が正しいことをしていると思いこんでいるときという。

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それをまさに地でいっているのがヤクザである。ヤクザが交渉ごとにおいて絶対的な強さを発揮するというのは、その思いこみの凄さでもある。

とくにカタギの人から依頼されて、交渉ごとを行なうときなどは、

「自分は人助けをしている。任侠精神を発露しているのだ。正義は我にあり!」

との思いこみが度はずれているのだ。

よくヤクザが口にする言葉に、

「それが筋だろう」

「それじゃ筋が通らないよ」

があげられるが、この“筋”こそ彼らにとっての正義なのである。

カタギは交渉にあたって、どんな場合でも、

「自分の考えてることに間違いはないだろうか?」

とか、

「これを押し通せば、世間体はどうなんだろうか? 人はどう見るだろうか?」

と結構胸の中で揺れ動くものがあるものだ。

ところが、ことヤクザに限っては、

「人がどう見るか」

などということは関係ない。

「自分はどう思うか」

がすべてなのだ。

「つまり、思いこみの美学というのかな、交渉する前に、依頼してきた人を助けてあげるんだ、これぞ任侠精神なんだ――という思いこみを固める凄さが、ヤクザの圧倒的交渉力の秘密だとオレは思うんだな」

とはヤクザをよく知る人の弁である。

思いこんでいる人間に対して、

「そうじゃないですよ」

と反駁することの困難さはいうまでもあるまい。

この思いこみのすさまじさで、

「そら、アンさん、筋が通らんやろ」

といわれれば、カタギの人間は閉口せざるを得ない。

一般人が考える常識とは違う次元で、ヤクザは筋や正義を持ってくるのだ。

この「正義は我にあり」の思いこみの実例をひとつ――。

「思い込み」の激しい人間が勝つ

関東の某組織の直系であるT氏は、企業ヤクザという性格が強かった。

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このT氏の親分筋にあたるS氏は、財閥系不動産会社と電鉄会社が出資する企業の代表をつとめていた。当然、両企業のケツ持ち――いわゆる用心棒役をもずっと果たしてきた。

ところが、あるとき、電鉄系不動産の売却をめぐって、その電鉄会社と対立するに至った。

そこで親分S氏の命を受けて、電鉄会社との交渉にあたったのがT氏であった。

それに対して電鉄会社は、警察官僚OBを天下りさせて、T氏らにぶつけてくる。会社がヤクザとの縁を断ち切ろうとしているのは明らかだった

会社側は一貫して不誠実な態度に終始して、話しあいはいっこうにラチが明かなかった。どう考えても会社がいっていることはおかしかった。

T氏ははっきりと企業の裏切りを感じたのだ。

〈ハハーン、こうなったらもう交渉も何もないな。われわれの拠って立つ基盤が何なのか、われわれの存在の背景というものを思い知らせる必要があるな。そうでなきゃ、この交渉は成立しないようだ〉

T氏は、最後の手段の行使を決断した。

相手電鉄会社の社長宅へ、拳銃を撃ちこんだのである。

この一撃が相手をどれだけ威嚇し、底知れぬ恐怖心をもたらしたかは、想像に難くない。

それは次の結果がすべてを物語っている。間もなくして、電鉄会社とT氏の親分筋との関係は修復されたという。

T氏は出所後、こう語った──。

「それまでさんざんわれわれを利用して、甘い汁を吸ってきたのに、手のひらを返したようにわれわれを捨てた。心底、不誠実だと思った。企業のズルさがよくわかった。こういう大資本の勝手極まる行為に泣かされている中小企業も相当あるのだろう。そう思うと、自分の行為は違法かも知れないが、誰かのためになると自信が持てた

思いこみの激しい人間には勝てない。まず交渉にあたるに際し、「正義は我にあり」と自己を納得させることが相手に対等以上の交渉ができるコツといえるだろう。

いや、それ以上に、何だかんだといっても、ヤクザの交渉力にカタギが勝てないというのは、その背景にある彼らの暴力(装置)ゆえにであろう。いざとなったら抜きますよ、という伝家の宝刀があればこその話なのだ。

「やるかも知れないし、やらないかも知れないというのでは、相手が舐めてかかってくる。やるときは間違いなくやるということを、きっちり見せなきゃならない。それがあればこその交渉力。やるときはやるということがあるからヤクザなんで、それがなくて、交渉術だけに長けているというんだったら、そのヤクザは一流企業が年俸二千万円払っても営業マンとして引き抜きにくるだろ」

とT氏は笑う。

それでも、最後の手段である暴力を行使すれば、当然ながら刑務所行きが待っている。そのリスクを冒してまで一線を越えるのは、やはり「正義は我にあり」の思いこみなのであろう。


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